日記風雑読書きなぐり

アクセスカウンタ

zoom RSS 2002年11月16日 青春モノにあるオジサン族の思い出

<<   作成日時 : 2005/04/01 23:44   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
宮本昌孝  『夏雲あがれ』 「きらめく青春の光、爽快な時代小説」と背の帯装丁にある。「きらめく青春」かぁ、なんと古めかしい言葉なのだろう。今この言葉を使うのは気恥ずかしい思いがする。こんなコピーを使っていまどきそんな本が売れるのかしらと心配になります。
「きらめく」は健康的躍動感の表現だろうが、ところで、今の若者たちにも「きらめく青春」はあるのだろうか。もしかしたら死語になってしまっているのではないだろうか。

青春ドラマ、青春映画というジャンルがあった。
戦後それは石坂洋二郎「青い山脈」から始まった。
「若く、明るい、歌声」
そう、イメージは健康、明朗であった。

その延長に加山雄三「若大将シリーズ」があって
学園、スポーツ、ミュージック、共同生活とそこで起こる事件、そして友情と恋。とにかく明るさである。

恥ずかしそうでほんのり「ほろ苦さ」を加味した「吉永小百合の純愛もの」も忘れられない。

その一方には青春を「性の解放」としてとらえるジャンルも早くからあった。小学か中学生、親には内緒で若尾文子「十代の性典」などドキドキしながら見に行ったことを覚えている。そういえば中学の国語の漢字テストで「せいてんをよむ」なんて悪質な問いがあって当然のことだが「聖典を読む」とは書けなかったものだ。

さらに学生の乱行、乱交、いまの石原都知事が芥川賞を受賞した作品「太陽の季節」がはしりとなった「太陽族」なる風俗ドラマもまた青春モノであった。

そして学生運動。大島渚の「青春残酷物語」によって若く明るい青春は屈折していく。
柴田翔「されどわれらが日々………」、青春は挫折へと変化してしまったようだ。 

で、現代の青春とはなんなのだろうと首をひねる。少なくとも「きらめく青春」はやはり死語になってしまったのだろう。

宮本昌孝 『夏雲あがれ』 を読みながらこんなことが浮かんだのです。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
2002年11月16日 青春モノにあるオジサン族の思い出 日記風雑読書きなぐり/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる