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日本の権力構造をとらえる高村薫の視点に関することである。 初稿を読んでもう10年近くもたつのかと、私自身この間の時の経過、その凝縮された濃度を実感する。 バブルという魔物に日本の全体構造は窒息状態に追いやられた。 その魔物の周囲で数多い不正義があった。 私の友人・知人の幾人かはその責めを問われ被告席に立たされた。 経済的制裁、社会的制裁をうけた友人・知人の数は知れない。 しかしこれらの告発は司法制度というごく狭い視野で、局部の積み重ねとして行われたものであり、 あるいはヒステリー症状のマスコミの無節操がなしたものであり、 魔物の核心を斬るものでは決してなかった。 この魔物には鮮明な核というものはない獏としたなにものかであって、むしろ核を構成した要素が分裂して、日本の全体構造のいたるところに拡散してしまった状況なのではないか。 では小説家であればペンによって今、この核心を暴き、斬ることができるのか。否であろう。 松本清張は「戦後」という日本の構造に潜む「黒い霧」「深層」の核心を小説作法で摘出しこれを告発し多くの階層から共感をえた小説家であった。清張がこれをなしえたのは彼の天才もあろうが、それだけではない。 戦後あるいは昭和という時代には社会事象を白か黒かに区別する「原理」が明らかに存在していた。それを的確に機能させたことによる。その「原理」は徐々に形骸化し、1980年代終わりには消滅した。そして高村の透徹した現状認識は小説としてもその「原理」がすでに通用しないことに気づいていたのだ。 年月を経た今、合田(刑事)は、権力のありのままの現状から目をそらすことによって得るものは何もないという考え方に変わってきていた。ここまで来るのは長い道のりだった と初稿本で高村はみずからを語るのである。 そして合田刑事をして 権力とは無縁のところで、日々社会の底辺でおこる惨めな犯罪を地道に防いでいくことが自分の務めだと思ったところで、その自分自身が警察官である限りは権力の一部であり、目に見えない情報網の一部であった と醒めた職業意識をもたせている。 改訂版では「原理」からさらに遠ざかり、合田が未解決の部分へさらに捜査の矛先を向けようとする意欲の表現にあたるラストシーンを削り取っている。 これが現実なのだ。 と実感する私はそれだけ歳を経たのだと想うのです。 |
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03/02/23 高村薫の直木賞『マークスの山』 その2「10年後の印象」
実は1993年に初稿版を読んだときには直木賞受賞とはいえ、退屈だった記憶を除いて印象が薄い作品であった。 ...続きを見る |
日記風雑読書きなぐり@WebryBlog 2005/05/09 13:05 |
「マークスの山」文庫版 高村薫
ごく普通に読むのとは、また別の味わいがありました。 ...続きを見る |
日だまりで読書 2005/10/20 08:47 |
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