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help リーダーに追加 RSS 茨城のむかしむかし大昔 その1

<<   作成日時 : 2005/04/22 00:44   >>

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私は茨城県江戸崎町に生まれた者です。還暦を越えたこの歳に至っておよそこの故郷周辺の古い歴史について、知識を持ち合わせていなかったことに気がつきました。それは私の実家筋来栖平右衛門家の過去帳を調べたことに始まる。そこでは戦国時代の江戸崎周辺の武将たちが私も知っている歴史の動乱に巻き込まれながら活き活きとうごめいているではないか。

そこでもっとさかのぼって古典中の古典『古事記』『日本書紀』『風土記」から茨城=常陸国にまつわる面白そうなお話を拾ってみることにします。

呼称「茨城」の由来もありますがそれは後回しにして
まずは日本武尊の東征から拾い始めましょう。


★★★東国をアズマとよぶは?★★★

走水哀話 (オトタチバナヒメ伝説)
ヤマトタケルがおのれを焼き殺そうとした国造たちを逆に皆殺しにして(だからこの地を焼津というのだが)なおも東へ分け入って、走水の海(神奈川県浦賀と房総半島の間の浦賀水道)を渡ろうとしたときのことです。海神の怒りに、それまでの順風が突然に暴風と化し、荒巻く波に一行を乗せた船は木の葉のようにもてあそばれ、進むことも退くこともできなくなりました。ヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメはわたしがあなたの代わりに海に入りましょうと、みずからを海の神のいけにえとする覚悟で、入水されました。波の上にスゲのたたみを八枚、皮のたたみを八枚、キヌのたたみを八枚かさね、その上に身をおき、

山のそびえる相模の国の
野を焼き払う火の中に
燃える炎に立ちながらも
私を気づかってくださいました
その、あなたですもの

と歌をうたいました。

このため、さしもの荒波も鎮まり、一行は上総に渡ることができました。オトタチバナヒメの髪にさしておったクシが浜辺に流れ着いたとき、見つけたヤマトタケルはそこに小さな墓をおつくりになられました。
『古事記抜粋』


三浦半島は横須賀の走り水にオトタチバナヒメを祀る「走り水神社」がある。
また房総半島の木更津には「吾妻神社」がある。
オトタチバナヒメの袖がこの海浜に漂着したので、これを納め、祠を建てたのだそうだ。木更津に上陸したヤマトタケルは、太田山に登り、愛する妃の面影を偲んで何日も立ち去らなかった、これが、君不去=きみさらづ=木更津のおこりだといわれている。

そこからなおも奥に分け入り、あらぶる蝦夷どもを言向け、山や川の荒ぶる神どもを平らげ和らげ、ようやく東のはてをきわめました。そして都へ帰る途中に足柄の坂のいただきにたち、かなたを遠望しましたとき、
吾妻はや(最愛の妻はどうして………)
とつぶやいて、三度お嘆きになりました。
それで足柄の坂より東の国をアズマと呼ぶのです。
『古事記抜粋』


続く

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「日本人なら一度は読んでみよう「古事記」」について
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日記風雑読書きなぐり@WebryBlog
2005/05/20 20:53

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