日記風雑読書きなぐり

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 町田康 『告白』  「河内十人斬り」河内音頭に歌われる明治の惨殺事件をモデルに

<<   作成日時 : 2005/05/15 13:09   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 2

画像
灰神楽三太郎・森の石松・八尾の浅吉を合計した大馬鹿者の一生。国定忠治も思わずニヤリとするだろう。

明治26年河内水分で36歳の農家の長男・城戸熊太郎が同じ村の住民に金を騙し取られ、妻を寝取られた恨みからその相手を含む村民10人を惨殺したという事実を題材にしている。
といわれてもそんな事件があったことなど知らなかった。
人は人をなぜ殺すのか。河内音頭のスタンダードナンバー「河内十人斬り」をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説

このように紹介されると殺人というのは人間の本源的な行為であって、人殺し願望の普遍性みたいなものを哲学する小説のような気がして、それならば、息が詰まりそうな重苦しい純文学なのだろう。と、町田康の作風をまったく知らなかっただけにいささか緊張感を持って手にとったものだから、冒頭からの軽快でひょうきんな、それは現代の風俗・流行・ギャグを巧みに織り込んで古典落語を語る立川談志風で、しかも汚い、ガラの悪いで知られている河内弁でのそれだから、露骨で、どぎつく、猥雑な長広舌には思いがけない面白さがあって驚かされた。

城戸熊太郎の人物だが、わたしはどうしても、小学生のころ聞いていた浪花節に登場するヤクザ者、しかも三枚目という異色のヒーローをイメージしてしまうのだ。
ドジで、間抜けで、でたらめで、そのうえ寝坊でオッチョコチョイ。これは相模太郎の浪曲にある次郎長一家の一人・灰神楽三太郎である。
それと、酒と喧嘩に明け暮れて、乱暴者と異名をとる。人情、からめばついホロリ、馬鹿は死ななきゃぁ〜なおらぁない〜と遠州・森の石松がいる。
もうひとり。今東光というよりも勝新太郎が男を上げた「悪名」、農民のせがれにして無類の暴れん坊、酒と博打と喧嘩に女。滑稽な野放図さと一直線のバイタリティーで大活躍する、同じく河内は八尾の浅吉でしょう。

この三人を足し上げたような「大馬鹿者」が熊太郎である。その出来損ないぶりには大いに笑わせられる。
素直で、純情で、思いやりが厚い青年なのだが、百姓仕事はトンと身につかない。家にいては寝ている、外では酒をくらっているか喧嘩と博打にうつつを抜かしているのだから農村共同体では厄介者・除け者である。何をやっても思うように運ばないのだ。たとえ善意からのことであっても、誤解される。村娘にナンパしたって痴漢と間違えられる。賭場では大金を巻き上げられる。子供を助けたところが賭場荒らしにされてしまう。悪徳商人を懲らしめるはずが相手を間違えてお門違いのゆすり、たかりをやらかす。やることなすこと大騒動が持ち上がり、それがますます誤解を生み、悪循環が大きくなっていく。

熊太郎はこのように読者から見るといくつもの喜劇的事件を起こすのだが、その都度、彼の内心の弁明が語られる。
熊太郎がなぜ同村の農民を多数惨殺し破滅するにいたったのか。町田は独白スタイルで熊太郎自身の内心にある矛盾だらけの思念を徹底的に解析していく。
灰神楽三太郎、森の石松、八尾の浅吉と共通項の多い熊太郎であるが、たった一つ異質な精神構造がある。それは熊太郎が「極度に思弁的、思索的」なのだ。具体的行動の基にある自分の複雑な思念はレベルの低い河内弁に変換できない。したがって農村共同体の構成員には理解できないのだ。熊太郎はそう思い込んでいる。そこに破滅へ向かわざるを得ない熊太郎の悲劇があると町田は理屈をつけて語る。
「文化の発展過程で普遍的に発生する精神の摩擦をテーマにした異色のエンタテインメント」といえないことはない。
また、理解されないことで社会からドロップアウトしていく現代の若者像につうじるところもある。さらに誰しも自分の気持ち・思いを正確に言葉にできないときに、ひどいもどかしさを実感しているものだから、熊太郎がキレルに至る過程はワカルワカルといいたいところだ。
ただし、町田のこの理屈っぽい語りはくどすぎるのである。時代に先駆けたインテリゲンチャの悩みとでもいいたいのなら、私には奇をてらった作者の勝手な技巧の産物に思える。

ところで八尾の浅吉は熊太郎と同じ馬鹿をしてもカッコよく「古い任侠精神で弱気を助け強気をくじく」ことができた。それは村社会を離脱して別な世界で生きたからやれたことだ。人を殺すことだってやっている、次郎長一家の三枚目にしても世間相場が彼らの生きかたをどこかで評価したからとにかくヒーローにしてもらえたのだ。
熊太郎には農村共同体サイドが評価するなにものも持ち合わせていなかった。にもかかわらず最後までそこにとどまった。それが悲劇だったのだ。

単純に「馬鹿は死ななきゃ直らない」というお話である。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
『告白』町田康
[[attached(1,right)]] 久しぶりに小説を読んだ。って言っても表面的にはほとんど「知的な」ことは何もないし、何も起こらない事件を素材にした小説だ。事件というのは明治26年に河内地方で起きた10人斬りという殺人事件のことである。私はそういう事件があったとは知らずにフィクションとして読んだ。... ...続きを見る
年金生活なんて
2008/08/31 19:25
『告白』町田康
[[attached(1,right)]] 久しぶりに小説を読んだ。って言ってもこの小説には表面的にはほとんど「知的」なことは何もないし、「知的な社会的事象」は何も起こらない小説だ。事件というのは明治26年に河内地方で起きた10人斬りという殺人事件のことである。私はそういう事件があったとは知らずにフィクションとして読んだ。 もちろん、あちこちのHP,ブログにこの小説について素人さんが批評しているけど、どれもこれも的外れなんですね。 例:http://yottyann.at.webry.in... ...続きを見る
年金生活なんて
2008/09/09 01:54

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あるブログにこの記事が次のように紹介されていました。
「もちろん、あちこちのHP,ブログにこの小説について素人さんが批評しているけど、どれもこれも的外れなんですね。
例:http://yottyann.at.webry.info/200505/article_20.html
まあ、ブログなどの「読書感想文」は似たり寄ったりで、ほとんど文芸作品の批評と言うことを理解していません。読書と批評は全然違う、そういうところから出直したらいいと思う。」

参ったな。書評のつもりはなくて単なる読書感想文ですから。ごめんなさい。
よっちゃん
2008/09/01 15:35
先のブログ兄からまたまた叱られました。
………「時代に先駆けたインテリゲンチャの悩みとでもいいたいのなら、私には奇をてらった作者の勝手な技巧の産物に思える。」
こういう書き込みはちょっと「読書感想文」の域を超えているように私は思いました。批評=批判じゃないかと。
この作品は実在したらしい人物をどのように再現したかには価値がないと思うのです。どのように描いたか、それを中心に論ずべきでしょう。この作品の批評は結構難しいと私は思います。………

読書感想文だと申し上げても信用してもらえないようです。
ご理解ください。
よっちゃん
2008/09/10 12:33

コメントする help

ニックネーム
本 文