![]() 「少しも古さを感じさせないハードボイルドの古典」と賞賛するのにはそれだけの理由がある。 数年前まで『マルタの鷹』を『鷲は舞い降りた』や『ナバロンの要塞』のような戦争冒険小説と思っていた程度に本格ハードボイルドには疎いものだったが、昨年暮れからの原ォ復活の余韻が後を引いていて、チャンドラーの 『長いお別れ』を読み、そしてこの「ハードボイルドの創始者」と言われる1929年の「古典」を読む気になった。 ダシール・ハメット。実際に7年間探偵社で仕事をした経験がある本物の私立探偵。軍隊入隊、結核による療養、物書きとしての貧窮の生活、筆を取れない長いスランプ、反政府運動、服役を含む赤狩りの犠牲者、非国民扱いと彼は亡くなるまで四面楚歌のマイナーな作家であった。彼の作品が日の目を見たのは亡くなった後であったという。 見わたせばハメットは「ハードボイルドの創始者」としてだけではなく、「私立探偵小説の始祖」とか「純アメリカ産文学の巨匠」とまで神格化されている作家だとわかった。もはやなにももの申すことはないほど「ハメット論」、「マルタの鷹・論」は出尽くしているようだ。あとがきにある小鷹信光氏の「解説」は熱狂的ファンとしての心情と評論家・訳者としての見識があってちょっとした読み物になっている。 マルタの鷹。エルサレムの聖ヨハネ・ホスピタル騎士団=ロードス騎士団がスペイン王カルロス五世からマルタ島を下賜された見返りに贈呈した黄金の彫像。この秘宝の争奪戦に巻き込まれる私立探偵サム・スペード。最近はやりの 「ダ・ヴィンチ・コード」の向こうを張ったかのようなプロット。「すこしも古くささを感じさせない」という常套句がぴったりとあてはまる。当時は相当過激な表現であったかもしれないが適度な濡れ場と適度な暴力は今読んでも適度な刺激で読者を楽しませてくれます。 サム・スペード。理不尽な権威に超然とした実行力と強靭な精神力で自分を貫く矜持。誇りをかけるところに伴う反倫理的行動、斜に構えた人間観察と歯に衣を着せぬ物言いなど、われわれがやりたくても踏み込めない人物像がそこにある。 ただこれは本格ハードボイルド主人公に共通する魅力なのだが、サム・スペードは加えて実に興味深いキャラクターをのぞかせるのだ。 それは、スペードが相手役の女に語る、ある長いエピソードに見いだされる。 事業に成功し資産も蓄え、妻と二人の子供と平穏なアメリカンライフをおくっていた男が突然蓄財を家族に残したまま、無一文で蒸発する。悪事に関わりなく、仕事の問題もなく、女もいない。そして5年がすぎる。不可解のままに過ごした夫人が別の町に男を見かける。そして帰宅を願う夫人の依頼を受けたスペードは男にこの間の事情を尋ねる。 おもしろいなぁ、仏にならんとする菩薩の道か、1929年のアメリカのマイナーな作家がねぇ。これはまるで東洋的な発想ではないですか。 アメリカの高僧にでもなったのかと思いきや、なんてことはない。 この男は数年を経て、二人目の女房と子をなしてふたたび秩序ある世界で幸せに暮らしているのだ。 「おれはいつも気に入っている」!!!??? 「小市民的調和などクソくらえ」 とこの男を張り倒すのがハードボイルドの常道だと思うのだが………。 このエピソードはストーリーとは無関係なのだ。 脈絡なくヒョッコリと挿入されている。 異物がいったん引っかかって、すぐスッと胃の中に納まった。だが緊張と安堵がないまぜになってその感覚が喉元に残っている。そんな味わいのある一節だった。 これはスペードのせりふではない。ハメットの苦悩に満ちた生活実感からでた本音だろう。 日本のことだが、十年前までは多くの人は、明日という日は今日の延長にあるものとしてそれを疑うことはなかった。ところがある日突然、たとえば勤めていた会社がなくなっていた。そして底なしの深淵をのぞくハメになったものだ。 その実感はまだなまなましいものとして残っているだけに、このエピソードにある人物の生き方について、ふがいないとか、無様だとかで一笑に付すことはできやしない。 時代に逆らうことにともなうある種のカッコよさ、時代に逆らったことによる手ひどい代償、そして何とかして生きていかねばならない現実とすべてを経験したハメットがつぶやく「気に入っている」との一言にはこの作品の「古さを感じさせない」ところの本質があるような気がした。 そしてわたしは70数年の時をこえてハメットを身近に感じたのである。 たまたま、宮部みゆき 『日暮らし』を読んだ直後だから蛇足は承知であえて、日常の平凡な生活をかけがえのないものとする表現方法のへだたりは月とすっぽんほどある。 |
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ハードボイルドって格好いいですよね。ただ、第三者的に見た場合に限りますが。 |
読者A 2005/06/15 21:23 |
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