![]() ★★★来栖宮司のお話★★★ 先に笠間観光協会へ問い合わせ来栖神社の電話番号も住所も不明であったことを記したが、実はそのとき、もしかしたらこの来栖さんが知っているかもしれないとその電話番号を教えてくれたのだった。 私は思い切って電話をしたところその方こそ来栖神社の宮司さんであった。そして実に興味深いお話を聞くことができたのである。 笠間民話にあった「栗の栖(すみか)」説が最近作られた創作昔話の類ではないかと心配していたのだが、これは昔から伝わる本物の民間伝承であるとの証言を聞いてまず安心したものである。 (「11」に記したとおりこれが播磨国風土記と本源的に同じ伝承であった) 来栖宮司はまずヨーロッパ人によるアメリカ大陸「発見」を引用して土地名の起源について一般論を説いてくれた。 先住民族はその土地に「赤い谷」とか「白い山」とか自分たちの名称を用いてはずだが、征服者とはえてしてそれを改名しその権力の象徴として新たに名を授けるというものである。 『記紀』『常陸国風土記』で頻繁に現れる「名づけ事象」は後に大和朝廷に繋がる征服者の痕跡であると説得性ある史観を披露してくれたのである。 そして 「私は『栗の栖』が淵源だとは考えていません」 と思いもよらないことをおっしゃる。 ヤマトタケルと陪臣たちがこの地に居所を構えていた。 つまり文化の中心より辺境の地に「来たりて住んだ処」が来栖の起源だと。 なるほどそうだそれに違いないと私はおもわす膝を打った。 だいたい名詞形の「栗」が動詞形の「来る」に変化すると考えるのは不自然ではないか。「来栖」と称される土地は詳細に調べると全国にまたがることを考慮すれば「栗」の変化とするよりは「来たりて住んだからおれの土地だ」としたほうが全国普及に沿っている。 「ついでながら………」と 「一般に日本人の姓は名詞と名詞の組合せか、形容詞と名詞の組合せで成り立っているが、来栖さんは動詞と名詞の組合せで珍しい語感になっておられる」 と申し上げると 「それは気がつかなかったが実は………」 とさらに未知なる伝承を教えてくれたのである。 実はそばに「折戸(おりと)」と呼ばれる部落があります。昔は「下処(おりと)」でありました。昔ヤマトタケルの尊が東征伐のとき、この地をお通りになられ、車駕から降りられた所で、そこを「御所」「下処(おりどころ・車から下りられた所)」と言い、今も神社の境内を始め、その東方一帯の小名字を「折戸」と呼んでいるのです。これもまた動詞と名詞の組合せですね。ここでは今でも旧暦9月28日にはヤマトタケルをお迎えする神事が村人たちによって行われているのです。 この話を聞いた私はタイムスリップして伝説の埋蔵金を探し当てたような興奮と驚きを覚えたのです。本当にいい一日でした。 「14」へ続く |
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茨城のむかしむかし大昔12 来栖神社とヤマトタケル
笠間村の伝承にあった「来栖神社」 江戸崎の平右衛門家は苗字を「来栖」としていたところから、わたしとしては特別に興味をそそられたところです。そこでいちど来栖神社を詣でようと思い立ったのです。笠間市の観光協会に住所を尋ねたところ、この神社はあまり人も訪れないところで、宮司もいないし、観光地として登録がなく、したがって電話も住所もわからないとの回答にかえって好奇心をかきたてられました。 ...続きを見る |
日記風雑読書きなぐり 2005/07/24 14:57 |
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