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zoom RSS ドストエフスキー『悪霊』への挑戦20 スタヴローギンの悪魔性

<<   作成日時 : 2006/07/03 09:23   >>

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『悪霊』を一通り読んで、それも三度か四度にはなっただろうが、最近になってどうも読み方に手落ちがあったことに気づかされたのです。

きっかけは亀山郁夫著<『悪霊』神になりたかった男>を読んだことでした。みすず書房から発刊されている「理想の教室」シリーズのひとつで、文学、哲学、科学、芸術などの分野の名作を第一線の研究者・専門家が講師となって初心者にもわかりやすく解説しようとするシリーズです。
ここで亀山郁夫は『悪霊』から「スタヴローギンの告白」だけをつまみだして個性的で刺激的な解釈を試みています。それは私の全く気がつかなかった『悪霊』への視点でした。これを読んで私はいままで「スタヴローギンの告白」を全くといっていいほど読み取っていなかったのだと気づいたのです。

私が読んでいたのは新潮文庫版の江川卓訳だったのですがこれでは「スタヴローギンの告白」は巻末のいわば付録のような扱いとなっています。少なくとも私にはそう見えました。
江川卓自身もあとがきにあたる「解説」で
ドストエフスキーがこの章を『悪霊』の構成上の中心をなすものと考え、それが雑誌に掲載できなくなったあとも深い愛着をこの章にもっていたことは疑いないが、しかし、いま残っている形では、この章はやはり独立したものとしての『悪霊』とは別物であり、それゆえにこそ作者も生前、単行本上梓に際しても、その復活を考えなかったのだと思われる

と述べている。
つまり、『悪霊』は「スタヴローギンの告発」を除いても独立した小説として完成しているとしているのです。

さらに江川卓訳ではこの巻末の「スタヴローギンの告発」は82ページのうち22ページにおよび94項目の注釈を加えていますから、小説を読むというより研究論文を分析的に勉強することになります。つまり小説として読むにはふさわしくないために実際には読んでいないということになったのですね。

とは言うものの「スタヴローギンの告白」を除いたところで、『悪霊』は凄い小説でした。スタヴローギンの「恐るべき悪魔性」は感じられませんでしたが、特に当時のロシアにあった混沌がそのままに現代日本の精神状況を表現しているところを見出したときには興奮しました。
そして亀山郁夫著<『悪霊』神になりたかった男>を読んで、ついにスタヴローギンの「戦慄すべき悪魔性」がなにものかにようやくたどりつくことができました。


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