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10月16日、元勤務先のOB会が開催した養老孟司先生の講演会に出席した。先生の著書はだいぶ前に『バカの壁』を読んだことがある。そのときの印象は支離滅裂でなにを言っているのかまるでわからないことだけであって、よくこの著書がベストセラーになったものだと首をかしげた。 人間の脳の働きで他の動物と際立っているのは五感でインプットされた千差万別の情報を類似性でまとめるところにあるようだ。概念をつくるということだろう。そこで言葉が生まれるのだが、これが他の動物にはできないのだそうだ。 赤いリンゴ、青いリンゴ、腐ったリンゴ、もぎたてのリンゴ。これはサルにとっては食えるか食えないかまずいかうまいかの個別対象にしかすぎず、人間のようにおなじ「リンゴ」だとする働きが脳にない。 これはよくわかった。 次がわからなかった。ペットの犬に「モコちゃん」と声をかける。私と妻の声の質の差を感じとるのであってその二つはモコちゃんにとってはまるで違う意味なのだとおっしゃる。これは先生の間違いでしょうね。わがやのモコちゃんは「ハイ、ねんねの時間ですよ」といえば私だろうと家内だろうとちゃんとしかるべく寝床に入る。条件反射かもしれないが、言葉の意図するところは理解しているのである。言葉を創れないかもしれないが概念として脳はインプットするのだ。 社会評論家として活躍を始めた先生にとって脳の働きはどうでもいいようだ。 それからプラトンとアリストテレスの違いを語っていた。イデアに実体があるとするのがプラトン。実在するここの万物はイデアが不完全な形であらわれたものとする。アリストテレスはどうやらその逆らしい。 しかし、こういう認識論というか哲学はいつの時代でも西洋でも東洋でもあったことでいまさら先生がおっしゃることではないと思うよ。 結論が近くなる。リンゴとナシとブドウを果物とした。果物と草や木を植物とした。そして最上位には唯一の絶対神があらわれる。日本は八百万の神であり。先生はその個別現象に実体があると考えるべきではないかといいたいらしい。つまりアメリカ的なものを批判されているようだ。そして情報化社会はますます絶対合理が力を持ってしまう傾向があるからそこを懸念されているようだ。 わからない話ではない。グローバルスタンダードが絶対真理だといわれてそんなことはあるまいと先生に教えられなくとも直感しているのだから。 先人がすでに言い尽くした論理を情報化社会という目新しいところで応用しただけではないか。ましてや先生の専門である脳の解剖学的所見を無理に社会評論にはめ込もうとするとなにがなんだかわからなくなる。 脳の話しなんぞもうやめたらいかがか。 もっとも脳の話をしないと先生のよって立つところがなくなりますものね。 |
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私は今日、養老孟司氏の講演をきいてきました。やっぱりこれからはフラットな見方で社会をみ、捉えるということが大切だなと思いました。 |
私も 2006/10/22 20:20 |
コメントありがとうございました。 |
よっちゃん 2006/10/22 21:22 |
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