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zoom RSS 熊谷達也 『氷結の森』 名作『邂逅の森』の続編として新たな感動を呼ぶ傑作

<<   作成日時 : 2007/03/27 18:11   >>

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主人公、柴田矢一郎。出生は秋田、山々の懐に囲まれたマタギである。昔かたぎのマタギについては前作 『邂逅の森』 に詳しいので『氷結の森』では省略されている。このため『邂逅の森』を振り返ることで、はじめてマタギである矢一郎の心の奥の哀しさを感じとることができる。彼の前にぬかずくべき基準、あの神聖な自然の摂理はすでになくなっていた。物語はそこから始まる。

日露戦争から生還した矢一郎は故郷を捨てた。鰊漁や樵の仕事を転々とし、仕事ぶりを買われてもなぜかひとところにとどまろうとしない流浪の生活。場所は当時、日本の領土だった南樺太から、やがて間宮海峡踏破を経て、大陸の尼港(ニコラエフスク)と厳寒の海域、氷結の森林、凍土地帯。他人と深く関わることを峻拒する孤高の放浪。姉の仇だと十年以上も彼の命を狙って追跡する同じマタギの男がいる。矢一郎は逃亡者である。しかし矢一郎が逃げたかったのは復讐に執念をもやすこの男とのかかわりだけではない。読者はもっと別の深く傷ついた過去があることに気がつく。それはなんなのだろうとミステリータッチに謎が序盤で提起されている。

彼は肉体を酷使する労働によってのみ生きていることを実感するだけだ。ぎりぎりと軋みをたてる筋肉、冒頭の鰊漁と次の森林伐採の現場にまず圧倒され、この物語にグイグイと引き込まれる。氷点下48度、死に場所を求めている男。ただし今は死ねないと、精神が昂ぶるいくつもの事件に巻き込まれる。一つ一つのバトルの迫力が徐々に厚みを増し、全編を通じ、切れ味の鋭い緊迫した冒険小説として完成している。

死を惜しまぬ男が死ねない理由はただ一つ、人間関係においては恩には恩返しで報いるという真正マタギの絶対的倫理観だ。借りたお金は命に代えて返す。恩人の娘を救出するには日本国を捨てる。鉄砲に封印はした、が約束を果たすためだ、降りかかる火の粉は払わねばならない。心を寄せる女たちに背を向けなければならない。余談だがもはやこの男性像に心を揺さぶられる年代は限られているのかもしれない。義理と人情をはかりにかけて義理を選択し、タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がないと、ないものねだりの郷愁を最近つとに感じる私だから映像化すれば往時の高倉健がはまり役と言っておこう。
しかし、この物語の核心はもっと深いところにある。

時代は日露戦争後、日本も加わった列強のシベリア出兵から尼港事件あたりを背景にしている。さまざまな人格が登場するが無駄はなくそれぞれの個性が面白い。内地で食い詰めた日本人の群れ、緊張関係下にビジネスを拡大しようとする政商、樺太の原住民、朝鮮人、中国人、革命派と反革命派に分れたロシア人、日本陸軍。そして諜報戦。他人とのかかわりを拒否してきた孤独が皮肉にも時代の大きなうねりの渦中に立たされる。そして逃げてきたはずの過去がさらに過酷さをました現実として再現される。惨劇、ラスト近くの凄まじい描写力はまさに圧巻だ。この運命に慟哭する彼の魂はあまりにも痛ましい。

『邂逅の森』は自然界の摂理と人間の営みすなわち文明の発展を抜き差しならぬ対立構図に置いて、大自然の神性に帰依しようとするマタギの苦悩を壮絶に描いた傑作であった。そのテーマを根底にしつつ本著は近代という社会を生きる人間同士の宿命をさらに残酷な切り口で開け広げる。それは現代人にも共通している愚かしさである。近代化とは差別をつくり、人と人とが殺しあう宿命を負うことなのか。

廃墟をあとに静寂がおとずれる。樺太のニブヒ族、マタギと同様に大自然の懐で生きる民へ思いだけが矢一郎に残された。尼港から樺太に向けて雪原に一歩を刻む矢一郎ではあるが、そこにも安寧の地はないだろうと私には感じられて、この寂寥感にいたたまれなくなった。

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熊谷達也『氷結の森』○
 初出「小説すばる」2005年5月号〜2006年10月号。2004年に第17回山... ...続きを見る
駄犬堂書店 : Weblog
2007/07/16 02:13

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コメント(21件)

内 容 ニックネーム/日時
「邂逅の森」は、後世に残る現代小説と心得ます。一方、「氷結の〜」は、残念な作品と感じました。私が、作者に求める期待が狭隘なのでしょうか?
私は作者に、自然界との関わる人間の在り方に興味を持っております。 名瀬香 遙
名瀬香 遙
2007/05/06 20:19
名瀬香さんコメントありがとうございました。『邂逅の森』は自然と人間の営みを直接対峙させました。この作品は人間らしい営みと人間の犯す最悪の戦争とを対峙させています。やはりこれも人間の宿命なのでしょうか。
よっちゃん
2007/05/07 14:40
はじめまして、こんばんは。
私は、熊谷氏の作品は、『邂逅の森』『荒蝦夷』しか読んだことがありませんが、気になる作家さんです。よっちゃん様の書評を拝読して、ますます気になってきてます。
さっと
2007/07/16 22:51
さっとさん、コメントありがとうございました。
素敵なブログですね。
よっちゃん
2007/07/17 17:45
こんばんは。
『氷結の森』読みました。
ラストで尼港事件に絡ませるあたり、計算高いですね。
北方の厳しい自然と戦争という極限の状況のなかで、人間というものをみつめた作品だと思いました。
さっと
2007/07/19 17:42
そうです。極めて現代的テーマだと思います。
さっとさんへ
2007/07/19 19:30
題名「氷結の森」の「森」は、一体何なのか?と、終始疑問を抱きつつ読みました。
未だに、答えが見つかりません…
熊谷先生の大ファンこと甲山

甲山筆夫
2007/07/29 12:46
題名「氷結の森」の「森」は、一体何なのか?と、終始疑問を抱きつつ読みました。
未だに、答えが見つかりません…
熊谷先生の大ファンこと甲山

甲山筆夫
2007/07/29 12:46
邂逅の「森」と同じ森なのだろうと思いますよ。
その神性さにマタギあるいはアイヌのぬかずく大自然の摂理ではないでしょうか。ただし本編ではそれがもはや失われてしまったのではないかと絶望の淵にたったいる。
よっちゃん
2007/07/29 19:01
私見/推量、アイヌではなく鰊の魚場では…?
また、彼の懐刀は村田銃であって欲しかった。
「蓑作り弥平商伝記」を読みました。熊谷先生、
バッチリです。
甲山筆夫(こうべやま ふでお)
2007/07/29 19:41
甲山さん
自民党が惨敗しました。いい意味でも悪い意味でも日本人らしさ、あまり理詰めでは割り切れないものを求めるところがあるんでしょうね、日本人には。熊谷先生はいい意味でのそのあたりの大切さがわかった方なんでしょう。
よっちゃん
2007/07/30 14:50
こんばんは。
『相剋の森』も読み、結局森シリーズ三部作をすべて読んでしまいました。それも、ここで『氷結の森』に出合えたおかげだと思います。
これからもご丁寧な書評をお願いいたします。
さっと
2007/08/01 00:01
さっと店長さんへ
北海道書店のブログを覗いて見ました。
私は10年以上も前になりますがある企業の札幌支店長をしていました。あのころの北海道はまだたいへんな元気があり、楽しい思い出がたくさんあります。
ところで今年は時代小説でいい作品が多いように思われます。
よっちゃん
2007/08/01 17:22
こんばんは。
北海道も日ハムがきて、少しは元気になったような気がします(笑)
さて、私のまわりでは、山本兼一の『いっしん虎徹』が評判いいようです。不幸にして私はまだ未読ですが。
最近の本をチェックできておらず、なにかおすすめがあればご教示ください。
さっと
2007/08/01 18:47
よっちゃん様
さっと様
読書への興味が近い気がします。
私のレビューも、ぜひ呼んで戴きたいと存じます。
名瀬香遙(甲山筆夫と同一人物です)で検索してください。
甲山筆夫
2007/08/01 20:50
45歳のお父さん、甲山さん、見ましたよ。アマゾンにレビューのレギュラーさんなんですね。
「「森」三部作の完結版として、発表された。今回の主人公はマタギであったが、「熊」は出て来なかった。熊の代わりはパルチザンであり、「森」の変わりはロシア革命か?
この作品で主人公のマタギらしさは、気骨な精神と銃の名手であると心得ました。購入前は、失敗の前作「相剋の森」はともかく、「邂逅の森」を凌ぐ作品であることを期待しました。しかし、「相剋の森」を超えたものの、「邂逅の森」の足元にも及びませんでした。愛読者のひとりとして、主人公をゴルゴ13の如くに仕立てるよりも、むしろ自然との共存の視点に立つ、「漂泊の牙」や「モビードール」の視点を取り入れて戴きたいと考えます。
平凡な作品で残念でしたが、今後も純文学を描く中堅作家への期待として、評価は「4」とします。私の好みで悪しからず… 」
『邂逅の森』は熊谷先生の原点なんでしょうね。
『破獄』は確かにいい作品でした。
『退廃姉妹』は案外でした。

よっちゃん
2007/08/02 15:06
さっとさんへ。
山本兼一『いっしん虎徹』面白そうですね。読んでみます。
おすすめといわれひとつをあげるなら辻原登『円朝芝居噺夫婦幽霊』ミステリーとして読んでも念には念を入れて作られた騙しの重層的テクニックは凄い。文芸作品としてもレベルが高い。丸谷才一『輝く日の宮』に比肩します。
もうひとつといわれれば直木賞をとっちまったけれど、松井今朝子『吉原手引草』なんでしょうね。
今読み終わった葉室麟『銀漢の賦』、これは定年後の読者には泣けますね。
よっちゃん
2007/08/02 15:23
よっちゃん様。
たくさんあげていただきありがとうございます。
どれから手を出そうかとわくわくしています。
ありがとうございました。
話は変わりますが、『数学的にありえない』読んでらっしゃったのですね。ある人に言わせると、「『ダ・ヴィンチ・コード』がかすむ」のだそうで、読んでみたいです。

甲山筆夫様。
私もアマゾンレビュー拝見しました。
確かに、紹介されている作品は、私のストライクゾーンにはまるものが多かったです。宮本輝や吉村昭、横山秀夫といった方々はとくに。
熊谷達也氏の作品も森シリーズ以外も読んでみようと思いました。
さっと
2007/08/02 18:15
名瀬香遙は、書評やエッセイを書くときのペンエームです。甲山筆夫は、BIGLOBEウェブリブログに投稿する際のニックネームです。BIGLOBEウェブリブログも覗いて下さい。
テーマは、極めて身の回りの話です。
甲山筆夫
2007/08/02 20:53
よっちゃん様。
勝手ながら、リンク貼らせていただきました。
とりあえず、『吉原手引草』を読もうと思います。では。
さっと
2007/08/04 12:55
甲山さん、覗いてみました、きりりと締まったブログですね。
さっとさん、リンクありがとうございました。
『数学的には………』が『ダ・ヴィンチ・コード』と似ているのは単にマンハントの追跡ものだからですね。多次元宇宙論とかタイムマシン理論とかどちらかというとSF的超能力者のお話。
『いっしん虎徹』買いました。
よっちゃん
2007/08/04 13:41

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