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zoom RSS 数々の歴史を残す愛宕山

<<   作成日時 : 2007/12/12 18:24   >>

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汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

愛宕山という山ははおそらく鉄道唱歌で記憶があるのだろう。いや、もしかしたら講談「寛永三馬術」であったかもしれない。

虎ノ門に勤務していたことがあったが、行ったことはなかった。先日、日経のコラム「江戸の風格」に寛永三馬術の曲垣平九郎の手折りの梅がここにあるとの紹介にさっそく出向いてみた。

「山」であるから見上げながら高台を探して神谷町から歩いてみたが直ぐ見つけることはできなかった

驚いたことには高台であるはずの愛宕山は林立する高層ビル群に囲まれた窪地のようだと、それが第一印象だった。

2007/11/27


                  安藤広重 「芝愛宕山」 
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愛宕山とは
「芝公園の北に続く洪積層の小丘。標高26m。武蔵野台地の東端部が分離して,南北約500mにわたって島状に残ったもの」
である。

想像もできなかったがこの地は東京23区内でもっとも高いところだそうだ。標高26mで本当にそうなのだろうか。

愛宕神社は江戸城南方鎮護のため徳川家康が建立。
図は毎年1月3日におこなわれる強飯式という地主神を祭る行事だが現在ではおこなわれていない。

江戸時代は眺望が良かったろう。江戸の町が北から南まで見下ろせ白帆が点々とする江戸湾の広がり。築地本願寺も見える。

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愛宕神社はもともと京都にあった防火の神様である。
家康が江戸鎮護のためにこの神社を建立した。祭神として勝軍地蔵があって戦の神様として武士たちには崇められていた。

万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもあった。

                      出世の石段
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愛宕神社正面の男坂の下より

ネットの無料動画で講釈師・神田きらりの講談「寛永三馬術 誉れの梅花」を視聴する。釈台に張り扇を叩きつけポンポンポンと調子をとりながら語る。バッバッバッと馬で石段を駆け上るこの痛快講談にはぴったりの心地よいリズムだった。

「時は寛永11年。正月の28日………秀忠公の命日にあたります。」
増上寺参拝の帰途、三代将軍徳川家光が山上にある梅が咲いているのをみて、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣・曲垣平九郎が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、馬術の名人として全国にその名を轟かせた。

こんな急階段を馬で登れるわけはないと思うでしょうが、実際に試して成功した人がいるのだそうだ。

数えてみると86段ありました。

                         平九郎手折りの梅
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なるほどこれが一つの枝に紅白の花をつけるという源平梅か。咲き誇る春にもう一度来てみよう。
梅の枝を襟元に、さて石段を見下ろせば、
石段の幅も狭いし、これは降りるほう登るよりもよほど難しい。
家光が心配して「もういいから歩いて降りろ」と扇を振ったが、曲垣平九郎、早く降りて来いと催促されたものと勘違いして、馬上のままここを下ったのだそうだ。

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このあたりは森ビルによる再開発地区だったことに気づかされる。

写真上に愛宕山があり、そこに愛宕神社がある。また山上には小さな公園の南側に位置する建物、NHK 放送博物館がある、1925年7月ここで東京中央放送局の放送所から日本初のラジオ本放送が開始された。

詳細はアルバム「愛宕山」をご覧ください。


愛宕山散策マップ


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