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zoom RSS 上野、谷中、根岸文化史跡めぐり その四

<<   作成日時 : 2008/01/05 00:53   >>

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                   紅葉に映える噴水池

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江戸時代、現上野公園の地は東叡山寛永寺境内で、堂塔伽藍が立ち並んでいた。今の噴水池のある一帯を俗に「竹の台」と呼ぶ。そこには回廊がめぐらされ、勅額門を入ると根本中堂が建っていた。根本中堂は中堂ともいい、寛永寺の中心的堂宇で、堂内に本尊の薬師如来が奉安してあった。中堂は瑠璃堂ともよばれ、坂東一といわれたほど、荘厳華麗であった
瑠璃のように美しかったであろう。中堂前両側には近江延暦寺中堂から根分けの竹が植えられ、「竹の台(うてな)」と呼ばれた。竹の台はその名によるものである。慶応4年5月15日、彰義隊の戦争がこの地でおこり、寛永寺堂塔伽藍はほとんどが焼けた。
台東区教育委員会


御本坊(寛永寺の本坊)は国立博物館のあたりに建てられていた。

                     寛永寺 五重塔

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下総国(千葉県)佐倉城主土井利勝が上野東照宮が大造営してから4年ほどたった寛永8年(1631)に建てている。しかしこのときの塔は火災によって焼失してしまったので、当時、幕府の大老職にあった土井利勝は即刻再建したのであった。寛永16年(1639)7月である。

                  旧因州池田屋敷表門

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国立博物館正面の左手にある。
因州32万5干石、旧因幡鳥取藩池田家の表門、江戸時代は八代洲河岸(現・日比谷堀前)に建てられていた。昭和29年より東京国立博物館の脇に移築され、国の重要文化財。
大名屋敷の表門は石高、官位によって規模や形式に制限があった。入母屋作り、門の左右に唐破風の番所を備え、屋敷門としては国持大名の格式を持っている。鳥取藩の池田光仲の流は、家康の血が入っており三葉葵の紋の使用を許されている。

                     両大師堂(開山堂)

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両大師由来
寛永寺開山慈眼大師天海僧正、第18代天台座主・大僧正慈恵大師を祀る。天海大僧正は本坊内に慈恵堂を設けておられたが、やがて大僧正の入寂後に建立された開山堂に慈恵大師を合祀したため「両大師」と呼ばれるようになった。

                  寛永寺・旧本坊黒門

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旧寛永寺本坊表門で、3間薬医門・切妻作り・本瓦葺き、門には今も彰義隊の戦いの弾痕が残っています。江戸時代初期の建立。

                  上野戦争の傷跡
旧本坊黒門に残る弾痕

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