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zoom RSS 上野・谷中・根岸 文化史跡めぐり その六 谷中から根岸へ 芋坂 羽二重団子 子規庵 笹の雪

<<   作成日時 : 2008/01/07 02:12   >>

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                      谷中霊園そばのケーキ屋さん

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「PATISSIER INAMURA SHOZO」パティシエ イナムラ ショーゾー
パティシエ とはフランス語でお菓子職人のことらしい。

根本中堂から谷中霊園へ入る手前にある。辺鄙なところだと思ったがケーキを買うために行列ができているのだ。
とにかく有名な店らしい。

家に帰って娘から「谷中へ行ったのならどうしてケーキを買ってこなかったの!」と叱られた。

ここのオーナー:稲村省三パティシエは、スイス・フランスで修行を積み、各国の賞を受賞する一級パティシエなのだそうだ。

                        芋坂

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赤茶けた落ち葉の絨毯を踏みしめて谷中霊園を抜ける。
芋坂跨線橋を渡った所にこの道程がある。
坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺へ通じていた。鉄道線路でこれに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名づけられて、わずかその名を残している。坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石の作品にもこの芋坂の名が書かれている。
芋坂も団子も月のゆかりかな 子規


                      羽二重団子

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ここが有名な羽二重団子屋さん。
看板にこうあった。
芋坂も団子も月のゆかりかな 子規
文化文政の頃、遥かな荒川の風光に恵まれたこの辺り日暮の里は音無川
のせせらぎと小粋な根岸の三味の音も聞こえる塵外の小天地でありました。
文政2年、小店の初代庄五郎がここ音無川のほとり芋坂に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供しておりました。
この団子がきめが細かくて羽二重のようだと称されてそのまま菓名となっていつしか照合も「羽二重団子」となり創業以来今も江戸の風味と面影を受け継いでおります。

ケーキは買わなくともやはりこれはお土産にひとつと。あんことしょうゆ。

                    根岸 「子規庵」 

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正岡子規の旧居、東京都の指定史跡とされている。
95年日清戦争を背景とした〈日本〉の自覚のたかまりの中で従軍、帰国の船上で喀血した子規は病臥の生活をここで送り、多くの革新事業を病床で推進した。
狭い庭にはびっしりと草花樹木が植えられ、特に窓越しの棚に見える糸瓜(へちま)ののんびりした様子でぶら下がっているのが印象的であった。

財団法人子規保存会のパンフレットによる(画像も含む)
子規庵は、俳句、短歌の革新者正岡子規が、命の炎を燃やし尽くした家です。元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、二軒続きの一軒であったといわれています。子規は、故郷松山から母と妹を呼び寄せ、明治二十七年二月にこの家に移り住みました。当時の
地番は、下谷区上根岸町八十二番地現、台東区根岸二丁目)です。子規はこの家に病臥しながら、文学の近代化のために、精力的に情報発信し続けました。
八年後の明治三十五年九月十九日、糸瓜の句三句を絶筆として、その生涯を終えたときは、三十四歳十一カ月でした。
子規のまわりには、俳人の高浜虚子や河束碧梧桐、寒川鼠骨、歌人の香取秀真、伊藤左千夫、長塚節、画家の浅井忠、中村不折を始め、松山時代からの友人知人たちが常に集まり、句会や歌会、文学美術談義を行いました。大学予備門以来の友人夏目漱石や森鴎外、与謝野鉄幹等もこの家を訪れています。
子規没後、母八重と妹律が子規の門人たちと共に守り続けた子規庵は、昭和二十年四月の戦災で焼失しましたが、寒川鼠骨等の尽力により、二十六年にほぼ当時のままの姿に再建され、現在に至っています。


                  正岡子規の絶筆

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絶筆三句

糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
をとといの へちまの水もとらざりき

鬼気迫る病魔との戦いである。

明治354年9月18日、この句をかき、19日に死去した。満35歳になる直前であった。

                       豆腐料理の店 笹の雪

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さて根岸まで来たのだから名物料理をいただこうと思う。
知っている限りではフランス料理「香味屋」豆富料理「笹の雪」しかない。

当店のキャッチコピーによると
元禄四年(約三百十年前)初代玉屋忠兵衛が上野の宮様(百十一代後西天皇の親王)のお供をして京都より江戸に来て初めて絹ごし豆富を作り、豆富茶屋を根岸に開いたのが当店の始まりです。
宮様は当店の豆富をことのほか好まれ「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と称賛され、「笹乃雪」と名付け、それを屋号といたしました。

「豆腐」ではない「豆富」です。
笹乃雪では豆腐のことを「豆富」と書いて「とうふ」と読みます。その由来は今からさかのぼること80年ほど前9代目当主 奥村多吉が料理店に「腐る」という字はふさわしくない、という理由で「豆富」と記すようになりました。今では、「豆富」という字も日本中で使われているようです。

ところでこのあたりはラブホテルが立ち並んでいて歩くのが恥ずかしいほどなのだ。


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