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谷中霊園そばのケーキ屋さん 「PATISSIER INAMURA SHOZO」パティシエ イナムラ ショーゾー パティシエ とはフランス語でお菓子職人のことらしい。 根本中堂から谷中霊園へ入る手前にある。辺鄙なところだと思ったがケーキを買うために行列ができているのだ。 とにかく有名な店らしい。 家に帰って娘から「谷中へ行ったのならどうしてケーキを買ってこなかったの!」と叱られた。 ここのオーナー:稲村省三パティシエは、スイス・フランスで修行を積み、各国の賞を受賞する一級パティシエなのだそうだ。 芋坂 赤茶けた落ち葉の絨毯を踏みしめて谷中霊園を抜ける。 芋坂跨線橋を渡った所にこの道程がある。 坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺へ通じていた。鉄道線路でこれに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名づけられて、わずかその名を残している。坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石の作品にもこの芋坂の名が書かれている。 羽二重団子 ここが有名な羽二重団子屋さん。 看板にこうあった。 芋坂も団子も月のゆかりかな 子規 ケーキは買わなくともやはりこれはお土産にひとつと。あんことしょうゆ。 根岸 「子規庵」 正岡子規の旧居、東京都の指定史跡とされている。 95年日清戦争を背景とした〈日本〉の自覚のたかまりの中で従軍、帰国の船上で喀血した子規は病臥の生活をここで送り、多くの革新事業を病床で推進した。 狭い庭にはびっしりと草花樹木が植えられ、特に窓越しの棚に見える糸瓜(へちま)ののんびりした様子でぶら下がっているのが印象的であった。 財団法人子規保存会のパンフレットによる(画像も含む) 子規庵は、俳句、短歌の革新者正岡子規が、命の炎を燃やし尽くした家です。元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、二軒続きの一軒であったといわれています。子規は、故郷松山から母と妹を呼び寄せ、明治二十七年二月にこの家に移り住みました。当時の 正岡子規の絶筆 絶筆三句 糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな 痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず をとといの へちまの水もとらざりき 鬼気迫る病魔との戦いである。 明治354年9月18日、この句をかき、19日に死去した。満35歳になる直前であった。 豆腐料理の店 笹の雪 さて根岸まで来たのだから名物料理をいただこうと思う。 知っている限りではフランス料理「香味屋」か豆富料理「笹の雪」しかない。 当店のキャッチコピーによると 元禄四年(約三百十年前)初代玉屋忠兵衛が上野の宮様(百十一代後西天皇の親王)のお供をして京都より江戸に来て初めて絹ごし豆富を作り、豆富茶屋を根岸に開いたのが当店の始まりです。 ところでこのあたりはラブホテルが立ち並んでいて歩くのが恥ずかしいほどなのだ。 上野・谷中・根岸 散策マップ 大きな地図で見る |
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