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zoom RSS 江戸歴史ウォッチング 八丁堀界隈

<<   作成日時 : 2008/01/19 17:19   >>

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八丁堀には最近週に1回ほど出かける用事がありますがここもまた江戸の歴史を残すところでありビックリの再発見でした。

「八丁堀」の名前ですがこれはいまは埋め立てられた河川の名称だったんですね。江戸の初期から開削された掘割に八丁堀川とよばれたのがあって、近年は桜川と呼ばれていたが昭和にすべて埋め立てられたのです。長さが八町あったとか、開削者が名古屋の人で八丁味噌からきているとかあるようです。

2008/01/15

                        亀島橋

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亀島橋は元禄12年(1699)ごろ架橋されたと考えられている。「亀島」の名称は昔、瓶を売るものが多くいたからとの説と、かつて亀に似た小島があったからとの説がある。江戸時代の八丁堀には町奉行配下の与力・同心の組屋敷が置かれ、新川は酒問屋を中心とした問屋の町として栄え、亀島川には全国から物資を運ぶ船が往来し、繁栄していた。現在亀島橋は東京駅と大川端リバーシティ方面をむずぶ重要な橋であり、亀島川は江戸時代の名残りをとどめる貴重な川のひとつとなっている。

                   八丁堀・霊岸島地図

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亀島川(越前掘ともよばれた)
江戸の初期に隅田川にいたる亀島川の下流の左岸(新川側)に、幕府の御船手組屋敷が設置され、戦時には幕府水軍として、平時には天地丸など幕府御用船を管理した
大坂の陣で水軍を率いて大阪湾を押さえた功績により、御船手頭に任ぜられた向井将監忠勝をはじめ、向井家は代々将監を名乗り御船手頭を世襲したことから亀島橋下流から隅田川にいたる亀島川の左岸を将監河岸と呼ぶようになった。
また1889年(明治22年)に東京湾汽船会社が設立され御船手組屋敷に霊岸島汽船発着所が置かれ、房総半島、伊豆半島、大島、八丈島などに向け海上航路を運営し、明治・大正・昭和初期にわたり港町の伝統を引き継いでいった。

霊岸島
江戸の城下町が開拓された頃、下総の僧・霊巌上人の寺院建立の希望に応えた御船手頭・向井忠勝が八丁堀東の葭原の土地を寄進し造成されたのが霊岸島。寛永元年(1624)に創建されたこの霊巌寺は明暦の大火後深川白河町に移転している。霊岸島は現在の新川1〜2丁目にあたる。
寛永11年(1657)寺地の南方に、越前福井の藩主松平忠昌が、二万七千余坪におよぶ浜屋敷を拝領した。邸の北、西、南三面に舟入堀が掘られて後に越前堀の地名の起る原因となった。
明治大正年間には富島町、浜町、四日市町、塩町、大川端町、川口町、長崎町、霊岸島町、銀町、東港町、新船松町、越前堀、南新堀の十三町に分かれ、多額納税者も多数居住して検潮観測所もあり、湾内海運の発着地、倉庫地帯として下町商業の中心であった。

新川と河村瑞賢
江戸前期の商人で治水・海運の功労者。伊勢国出身土木業を営み幕府や諸大名の工事を請け負い治水事業につくすとともに、海運事業でも東回りと西回りの航路を確立した。「新川」は現在の新川一丁目を東西に流れていた運河で、1660年(万治3年)瑞賢が開削したと伝えられ1948年(昭和23年)埋め立てられるまで重要な運河として栄えた。瑞賢は運河に面して広大な屋敷を構えたこの地で没したと言われている。

                 写楽や伊能忠敬もゆかりの地

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亀島橋のたもとにあるガイドによるとこんなかたがたも縁のあるところだったんですね。

東洲斎写楽
写楽の生涯や正体は不明な点が多かったが、幕末の考証学者、斉藤月岑(げっしん)は「増補浮世絵類考」で
「写楽は江戸の八丁堀に住む阿波の能役者の斉藤十郎兵衛」
と記載した。
さらに1997年埼玉熊谷市の法光寺に残る過去帳に
「江戸八丁堀に住み、阿波藩に仕える斉藤十郎兵衛が1820年(文政3年)3月7日に58歳で死亡した」
との記述が発見されて「写楽と斉藤十郎兵衛は同一人物で、ここ八丁堀に居住していたとの説が注目されるようになってきた。
伊能忠敬1814年(文化11年)深川の隠宅を八丁堀亀島町に移した忠敬は地図の作成を続け、4年後この地で没した。

                   えっ 堀部安兵衛も!

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堀部安兵衛武庸の碑
高田馬場の決闘の後、このあたりに住んでいたという。

                      そして芭蕉も

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亀島橋というのは随分と歴史に深みがあるところなのですね。こんな句碑も立っていました。

俳人松尾芭蕉(1644〜1694)の句
菊の花
咲くや 石屋の
石の間(あい)

元禄6年(1693)作。
「藤の実」「翁草」「蕉翁句集」などに所収。
この句は「江戸名所図会」三つ橋の挿絵に「八丁堀にて」として載っている。

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