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help リーダーに追加 RSS 川上未映子 『乳と卵』 芥川賞受賞作 もやもやの中にすっきりとさせてくれます。

<<   作成日時 : 2008/02/21 17:04   >>

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雄弁は銀、沈黙は金っていう。そんなことかもしれないと思いながら、いずれにしても自分の気持ちを相手にそのまんま伝えるのは相当難しいことだ。
サラリーマンを卒業し家庭の中の時間が圧倒的に増えた今になって振り返れば、会社生活のほうが意思の疎通は容易だったような気がする。なぜかというとそこは約束事とか規則とか通念ってものが完璧だから、「文法」に従って言葉を口に出しまた文章を書けばそれで「私」をありのままに表現することになっているからだ。「慎重に検討させていただきます」といえばそれなりに社会通念が調和的に機能するものだ。心の奥の襞に隠された本当の私など伝える必要もなければ聞く人もいないのだからね。
ところが家庭という奴はそんなシンプルなものじゃあない。積年の喜怒哀楽、怨念、愛憎、恩讐、貸借の実績が複雑な層を成して沈殿している場が家庭である。そして洗いざらいさらけ出さねばならない、さらけ出させて聞かねばならない時がある。上等の社会通念など通用しない、感情が先行するいわば無法地帯が家族であって、夫婦、親子の間で相手が気を悪くしたり迷惑がるようなことも平気で言い合うことなんてしょっちゅうだから、饒舌が喧噪に転化し罵倒にまで至れば別れろ切れろ、でていくかと、翌日冷静になれば、えらいことを口走ってしまったと反省しきりで気まずい沈黙の結果にいたる。そして沈着に思考するに 自分の本当の気持ちを相手に伝えるのはいかに難しいことであるかと。さらに思索的に突っ込みを入れれば、言葉の海に漂いながら、いったいぜんたい自分の本当の気持ちを組み立ててくれる言葉なんてあるのだろうか。記号の組み合わせにすぎない言葉に変換した途端、それは本当から遠いところの虚しいものでしかないと。

作中の巻子さんによれば標準語は嘘くさいそうだが、語り手の「わたし」は奔放にめまぐるしく大阪弁でまくし立てる。軽やかであり、粘々した、それでいて痛快さもある。話し言葉の面白さ。
「巻子はわたしの姉であり緑子は巻子の娘であるから、緑子はわたしの姪であって、叔母であるわたしは未婚であり、そして緑子の父親である男と巻子は今から十年前に別れているために………父親の何ら一切を知らないまま、まあそれがどうということもないのだけれど………この夏3日間を巻子の所望で東京のわたしのアパートで過ごすことになったわけであります。」
とまぁこれがワンセンテンスの饒舌であります。父親を知らない少女の境遇を「まあそれがどうということもない」と、いかにも突き放したようなひとことに少女と向き合う「わたし」の繊細な気配り、やさしさの気配を滲ませている。話し言葉ならではの魅力である。
また、巻子のおしゃべりのなかには屈折して哀しい母親の情感が直接に読む人の心に伝わるところがあって、なるほど「嘘くさい標準語」ではこうはいくまいと、これもまた話し言葉を操る著者の巧みさである。

巻子、39歳、場末のホステス。目下豊胸手術を受けようと無我夢中で「わたし」にそのことだけを語りかける。しかしそのブツブツと沸き立つ言葉からは「わたし」も読者も彼女がなぜそこまで豊胸にこだわるのか、判然とした理由としてはわからない。テレビで識者が喧々諤々とやりあう女性の豊胸願望論争をおちょくった「わたし」がなんともおかしい。これがタイトルの「乳」である。
緑子、小学校6年生。母を拒絶し、なぜかだれに対しても言葉を一切口に出さない。会話は筆談で済ませる。言葉の海の海面の喧騒をよそに海底で殻を閉ざし、かたくなに沈黙し続ける少女。ただ日記風にノートに自分の内心を率直に綴っている。初潮期を迎えようとしている少女の生きることへの恐れ、これは昔からよく小説のテーマになったと思えなくもない。しかし、彼女の場合それは「人生への恐れ」よりも受精卵ベースでの「生命体そのものへの嫌悪感」に近いものがある。これがタイトルの「卵」である。

『乳と卵』は親と子の微妙な葛藤をテーマにしている。偶然だがこのところ立て続けに同じテーマで4作品を読んだことになった。著者たちの世界観に関わらず、親子ものがこれだけ話題にされる、それほどにひどく寂しい世の中になっちまったんだ。桜庭一樹『私の男』、親子関係と夫婦関係を融合して成立するという特異な家族観。松浦理英子『犬身』は親子、夫婦、兄弟関係を支配・被支配の対立で描いた。吉田修一『悪人』はそこに加害者・被害者の視点を持ち込んだ。川上未映子はこの作品で緑子の視点から親子関係を対立にせず侮蔑・嫌悪と依存・哀憐が両立している関係とみている。緑子が始めて声をはりあげる。その瞬間。読者のわだかまった心が氷解する。饒舌と沈黙を対比させながらすすんできたストーリーがこの万感のこもる叫びで山場を迎える。
小説・映画・芝居、昔から似たようなシーンにはたびたび出くわしたなぁと思うのだけれど、そのありきたりなところが親子っていうもんじゃないかと心打たれた。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
「乳と卵」
第138回芥川龍之介賞受賞作。 まだ本として出版されていないので(2008年2月現在) 雑誌「文学界」2007年12月号にて読む。 ...続きを見る
本ヲ読ムヒト
2008/03/01 21:41

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
「文藝春秋」で読みました。
2月15日の記事で書きましたが、私は、どうも、それこそ、確たる理由がある訳でなしに何となく、感情で言わせて頂くと、この作者の文章、容姿(これは全くの好み)そしてその2日後にBSブックレビューで書評ゲストで登場した時の話しっぷり・・・等々の理由で「作家」としては好きにはなれないと思いました。
戦前生まれのおじさん作家に同調した訳ではないですが・・・
「嫌う」気持ちの背後には「妬み」が隠されているのでしょうか?自己分析してみますと。
そうだとしたら「好きではない」けど「すごい作家誕生」ですね!
変なコメントですみませんm(__)m
noritan
2008/02/22 16:56
コメントありがとうございました!世代が全く違う方とも共通の話題でつながることが出来る、ネットのよい側面を実感しました。私も歌舞伎など江戸文化も好きなので、興味深くブログを見させていただきました。川上未映子さんでブログ検索をかけると、長文で読み応えのあるブログが沢山発見できて、面白い傾向だなと最近思っています。
そうび
2008/02/22 21:43
noritanさんコメントありがとうございます。2月15日の記事見ました。かなり手厳しい読後感でした。彼女が芥川賞を受賞する前にたまたま小生の拙文を取り上げて誉めてくれたので、快く思っていたのでこういう読み方になってしまったのかも知れません。
よっちゃん
2008/02/22 23:23
そうびさん、ありがとう。
長文のブログですか?そんなにあるとは気がつきませんでした。あの文章のタラタラしたリズムが乗り移ってしまうのかな。
江戸文化、興味ありますか。ときどきこのブログ、見てください。
よっちゃん
2008/02/22 23:29
コメントありがとうございました。
私もこの「乳と卵」のあと
「私の男」を読みました。
今回の直木・芥川は偶然にも同じテーマのものが
受賞した、ということになりますね。
そういう時代・・・なのでしょうか。
いまいちど「家族とは?」について考える
そんな時期というか・・・。

ほんとうにコメントありがとうございました。
またよろしければ、
お暇〜なときでかまいませんので
私のブログへ遊びにいらっしゃってください。
じゃすみん
URL
2008/03/01 21:55

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