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zoom RSS 火坂雅志 『天地人』 2009年NHK大河ドラマの原作。傑作の歴史小説

<<   作成日時 : 2008/09/15 16:58   >>

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輝虎(謙信)公の曰く、天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なおあるべしをも覚えず
なるほどこういう為政者は今日まで出現したためしはない。

自分の知らない史実には興味がひきつけられるものだ。越後の王者・上杉謙信の治世を引き継いだ上杉景勝とともに生きた直江兼続の時代は………。
幼くして景勝に仕え、景勝が謙信の養子となると春日山に移り、謙信急死後の御館の乱では景勝を助けて勝利、執政の一人として景勝を補佐する。直江家を継ぎ、5万余石を領する大身となって国政を独裁した。上杉の最盛期・越後時代には謙信譲りの「義」の精神で家臣団統制の強化を図る。また父惣右衛門の才能を借りて領国内の通商を掌握、治山治水、新田開発、鉱山開発、など行財政・軍事・外交・殖産産業などに天才的な手腕を発揮する。しかし豊臣政権、家康の全国制覇とやがて過酷な運命が待ち受けていた。豊臣秀吉により景勝を会津若松に移封される。その130万石のうち30万石は兼続に与えられた。秀吉の没後、関が原直前、石田三成に与して徳川家康に敵対し、会津に挙兵。しかし関ヶ原の戦後は家康に下り、兼続は本多正信らとの関係をもとに親徳川大名化を進めたため、上杉に対する仕置きは出羽米沢30万石に減封にとどまる。兼続は大坂の陣に参陣して戦功をあげ徳川氏の信頼を得て家禄の維持に成功した。上杉が乱世を生き抜くことができたのは地方政治の基礎固めを成し遂げた兼続の政治力によるところが大きかった。

なるほどと、歴史小説を読む楽しみには自分の知らなかった史実にめぐり合うことにもある。ただそれだけであるなら、歴史家や研究者の論説をひもとくほうが「事実」に精確かもしれない。歴史小説を読む楽しみは史実を背景にして作者が創造する人間のドラマに触れることにある。時を越えて心が揺り動かされる人間の営みをみる。すぐれた歴史小説は「事実」よりも「真実」を摘出しているように思われる。
冒頭からストーリーに引き込まれた。武田の足軽たちに追われた17歳の兼続と弟が信州の呪術集団ノノウの一員初音姉妹に救われる。その洞窟には信州善光寺より信玄が没収したはずの秘仏・善光寺如来が隠されていた。女を知らない兼継が初音の体が放つ妖しい色香に引きずり込まれる………。上杉、武田、真田とこれからのドラマチックな展開と若い兼続のエネルギーのほとばしりを予感させるサスペンスフルな幕開けである。なによりも伝奇小説風な意匠に心が浮き立ちます。そして上杉謙信の急死による跡目争い、兼続の仕える上杉景勝か北条からの養子上杉景虎か。遺言をめぐる謀略、つぎの景勝、景虎の抗争(御館の乱)。さらに同盟関係にある北条・武田の軍勢を前に生き残る道筋はあるか。いよいよ最強の織田軍が北陸道を攻め上ってきた。上巻、物語は兼続の天才ぶりを随所に盛り込み、劇的な逸話を交えつつ、読者を一気読みに誘う充分なスピード感で楽しませてくれる。

私は上杉といえば川中島の謙信、赤穂浪士の敵役として矢面に立った上杉家、名君上杉鷹山しかでてこない。ましてや、直江兼続はまったく知らなかった。そのせいもあるかもしれない。下巻も「予想外の」「劇的な」展開がいたるところにあった。

先日読んだ『臥竜の天』で描かれた伊達政宗の場合、史実の重みが人間正宗の描写に勝っていていささか退屈だったのだが、『天地人』で火坂雅志の作り上げた兼続の人間像は生々しく歴史の中で息づいている。そこでは直江の周囲にいる人物たちの役割が大きい。
親子の対話がなかった父惣右衛門が実は藩財政を一手に握るしたたかな政治力をもつ人間だったことに気づく兼続の驚き。そして親子の絆が強まっていくプロセス。脇役としての父の存在感は圧倒的である。
兼続の女たち。妻のお船はいかにも戦国武将のつれあいにふさわしく情に厚く賢妻である。初めての女である初音は全国的情報網をもって戦乱の情勢分析をアドバイスする。彼が恋する娘・お涼の凛冽。ここは来年のNHK大河ドラマにぴったりの通俗の華やかさなのだがやはり読んでいて楽しいものがある。
君臣というよりも信頼し会える友人同士に近い景勝と兼続の絆もいい。
上杉謙信、上杉景勝、真田幸村、石田三成そして直江兼続らは共通して「義」を王者の理念としているがそれぞれに食い違いがあって葛藤が生まれる。

「義」とはなんなのだろう。
下巻にはおそらく著者が現代に向けた強いメッセージがこめられている。著者はあとがきで「義」についてこう語る。
人の上に立つものは仁義礼智信の儒教の教えでみずからを律し『慈愛』の心を持って衆人を憐れまなければならない。
と説いた謙信の言説を兼続が受け継いだとし「広い仁愛の心をもって国を治める」精神を顕彰している。

敷衍すれば………。この精神で治世をおこなわねば、人間は生まれつき利益を追求するものであるから、それに従ってゆくと他人と争いになって世は乱れることになる。現代の日本はどうだ。大切なものが廃れて人心はすさみきっているではないかと。
私は小説の中にある過剰なお説教はあまり好きではない。この作品では登場人物のだれもが「義」を語る。それは過剰なほどなのだが、実はこのやりとりを大変興味深く読み進むことができた。

上杉謙信は信長をこう批判する。
ただみずから利を追い求めているに過ぎぬ。人を人としてみておらぬゆえに無辜の民の命を平然として奪うことができる。わしは利をうるよりも崇高なものがあることを知らしめたい。人が人であることの美しさ、それがわしの考える義だ。
兼続はこう反論する。
信長をはじめ世の群雄たちは、みな天下を取ることをめざして戦っております。天下人となり民を安んずる治世を行うこともまた義ではございませぬか。
そして秀吉も家康も「義」を大いに語る。

なかでも家康を打ち負かして天下をとる絶好のチャンスに兼続の主張する「義」と景勝のつぶやく「義」の懸隔がその後の上杉の運命を決するという劇的な絡みは印象的だった。

実は現代人にとっても「義」とは大変に魅力的な美しい言葉である。この世の中、もはや倫理的秩序なんてなくなってしまったと思うのは私だけではないだろう。「広い仁愛の心をもって国を治める」為政者を待ち望んでいる。しかし政治はリアリズムの極致である。「義」とは具体的になにを指すのか。自民党総裁選たけなわである。各候補者とも利を追い求めるだけの世の中は否定しているようである。そして、より崇高ななにかを追求しようとするのはわかるが………。「義」とはわれわれがうっかりしているととんでもないことになる、そんな曖昧模糊とした概念でもあるのだ。気をつけよう。

著者のメッセージが強ければ強いほど作中の兼続は確かな「義」を見出せない。どちらかといえばその概念にこだわりすぎて右往左往している姿、著者の意図にかかわらずその混乱する現実の姿のほうが浮き彫りにされている。そして仁愛政治のトップに立つことはあきらめ、時には秀吉につき、時には家康につかえる。そこには抽象的な理念追及よりも厳しい現実を直視して判断を下す政治家、上杉藩末代までの存続を確固とさせた地方政治家としての堂々たる兼続がいた。

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