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zoom RSS 葉室麟 『いのちなりけり』 葉隠の恋を描いた大人の純愛時代小説

<<   作成日時 : 2008/11/02 01:29   >>

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いっとき武士道でもって政治・経営を論ずることがもてはやされた。
全世界の屋台骨が悲鳴を上げているこの事態では、日本的美徳に解決の糸口を求めるような、そんな立論はまったく影も形もなくなった。
この物語は「葉隠」編纂の前史である。
私は「葉隠」については
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
「忍ぶ恋こそ至極の恋」というそれだけしか知らない。
そしてこの異質とも思える二つが見事に融合しているではないか。
「葉隠」でもって現代人にお説教する姿勢などまったくないのがむしろ爽やかであった。

冬の夜、寒風にさらされながら満天の星を望む。厳しさの中にあってこそ感得できる清涼感がこの作品にはあった。そしてわれながら夢幻のごときこの世をずいぶんと長いこと生きてきたなと感傷にふけりながら読み終えた。広がりに深みが加わる史実の背景で登場人物たちが生々しく呼吸している。背景は複雑である。複雑なこの背景だが無駄な叙述は徹底的に削ぎ落とされている。さらに人物たちの心理にしても著者の感情の入れ込みはほとんどない。淡々と描写するところで読者の想像力は活性し、人物に思い寄せる哀歓がいやおうなくふくれあがってくるのだ。
名文である。

佐賀藩鍋島家はその昔竜造寺家支配から下克上により実権を簒奪して成立した経緯があった。鍋島家に組み込まれた竜造寺系と鍋島本家の確執がこの物語の発端にある。竜造寺の流れをひく名門天現寺家の一人娘咲弥が再婚の相手として父(天現寺刑部)から押し付けられた入り婿が雨宮蔵人。咲弥は蔵人が婿入りしたその夜に風雅を知らぬ男とさげすみ再婚したことを後悔する。そして蔵人にこれこそ自分の心だと思う歌を教えろと迫る。無骨の蔵人は返答できないままに形だけの夫婦ができあがる。
上意打ちの命を受け、愛する妻の父親(天現寺形部)を狙わねばならなかった男の赤心。骨太にして清冽な恋愛小説
何度生まれ変わろうとも咲弥殿をお守りいたす。わが命に代えて生きていただく………
水戸藩と幕府の暗闘のさなか数奇な運命により引き裂かれた夫婦が再びめぐり合う
とこのようなコピーだけをみると薄っぺらな時代物恋愛小説と誤解されそうだが、蔵人が実は剣の奥義を究めた士だと徐々に明らかになる過程で謎が幾重にも深まるストーリーにまずはのめりこまされる。

舅を討て。鍋島家の支藩・小城藩主の嗣子(元武)から蔵人に下された密名である。しかしこの暗殺が露見することを恐れる元武は事が成就した後の口封じのために蔵人に対しても刺客を差し向ける。武士道における主従関係とはこのような場合、主君の悪が外部にもれないようにし、主君の悪を己にひきかぶりことが本分である。「武士道と云うは死ぬこととみつけたり」事に当たって間髪をいれず死地に飛び込む。死の潔さが武士の生き方のすべてである。昔々、流行した時代小説であればこれは武士道残酷物語なのだが、著者にはそのようなかび臭い気配はまったくない。武士の中の武士とも言える蔵人はまったく迷いがないように見える。そして舅は刺殺された。逐電した蔵人を刺客が追う。さらに蔵人の妻・咲弥はいくつもの疑問をいだきつつも、剣客深町右京の助力を得て、父親の敵である蔵人を追う。
18年の月日が流れる。江戸城内で綱吉擁立をめぐる幕僚たちの暗闘。水戸光圀と綱吉の確執。綱吉と朝廷の対立などなどが徐々に離れ離れの二人の運命に過酷さを加える。謎、また謎のストーリー展開には息継ぐ間がなく、連続する決闘シーンのひとつひとつに手に汗を握る、傑作の時代小説である。

このなかでさまざまな武士たちのそれぞれの「武士道」が表現される。島原の乱で父を斬殺された黒滝五郎兵衛の語りが印象的だった。
深町右京より仇である幕府の柳沢になぜ忠勤を励むのかと問われ 
ひとはひとに仕えることでしか生きられぬ。立派な理屈などいらぬ。人に仕えておのれの力を尽くすのみだ
ここまで決然と物申すのではないが、なるほど立派な理屈などいらないか。長いサラリーマン人生にはいささかそういう気持ちで自分を奮い立たせたこともあったか、私もある程度の武士だったのかもしれない。

風雅の女性、咲弥もまた天現寺家の汚名を晴らさんとする「武士」である。そして武士道の人・蔵人は咲弥を知り雅の心を求めて、武士はだれに仕えるのかと問われたときに「天地に仕え、命に仕える」との心境を披瀝する。死身に徹する武士の本分。一方で愛とは生きることの喜びである。そして二人が白刃の群れる死地におもむく時、この相反する生と死の形が静謐のうちに合一する。

春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは いのちなりけり

男と女が長い年月をかけていま、相見えんとする命をかけた情感には涙をこらえきれなかった。
まさに大人の純愛小説である。


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いのちなりけり
書評リンク - いのちなりけり ...続きを見る
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2008/11/03 19:47
葉室麟 いのちなりけり
★★★★☆ 江戸・犬公方徳川綱吉の時代。 有名な史実である水戸光圀が藤井紋太夫を手打ちにするところから物語は幕を開けます。 ...続きを見る
ひねもすのたり、読書かな
2009/03/09 17:27

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
時代小説が好きな母にインターネットで葉室麟さんの「秋月記」探して欲しいと頼まれ、検索している過程でこちらのブログに立ち寄りました。そして「いのちありけり」についての書評を読ませて頂きました。
作品を読んだわけではないのに、自然と涙が滲み出るようでした。すぐに、Amazonにて「秋月記」と共に、「いのちありけり」も購入しました。
本を読むことは誰にでもできる当り前のことですが、その内容を正確に自分の言葉で表現できる、そして人の心を動かせる、ということは本当に素晴らしいことだと思います。
心を震わせるような作品を、また紹介していただきたく思いました。感動しました。ありがとうございました。
モグ
2009/03/07 01:35
モグさん、励ましのお言葉ありがとうございました。読んだ本はこのブログで紹介することにしています。自分の感じたままを書いていますので中には面白くないもの、不愉快のものなどがありますが、遠慮なく紹介させていただいています。この歳になりますとどうしてもこれまでの人生を振り返って重ね合わせながら小説を読むことになってそこから生まれる感情を正直に表現します。年代の近い人ほど共感していただけるかもしれません。今後ともよろしくお願いします。
よっちゃん
2009/03/07 22:14
当方へ先にコメントいただき、恐縮です。TBができなかったと思い込んだので足跡残しませんでした。
さて『いのちなりけり』、良い物語でしたね。史実をベースにした恋愛・忠義の物語。最後には助さん覚さんの「ひかえおろう」的な救済が飛び出す辺りも面白かったです。葉隠で締めくくったところもナイスでした。
booklover
URL
2009/03/09 23:09
bookloverさん。この物語、かなり複雑でページをめくり返すことをなんどかしました。無駄な叙述がなく、名文でした。
よっちゃん
2009/03/10 21:39

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