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zoom RSS 高村薫 『太陽を曳く馬 上』 あの合田雄一郎の復活。 高村薫文学の一つの到達点

<<   作成日時 : 2009/09/26 18:25   >>

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『晴子情歌』は母・晴子と福澤彰之の対話であった。『新リア王』は父・榮と彰之の対話であった。そして『太陽を曳く馬』では子・秋道と彰之の対話があり、三部作の一貫して中心人物であった福澤彰之が歩んできたところの究極に見えたものがある。さらに実に巧妙な仕組みだと感心させられるのだが、あの合田雄一郎の復活であった。

『太陽を曳く馬』が彰之の人生の集大成である以上『晴子情歌』と『新リア王』に登場した彰之を理解しその延長に位置づけるのが本来の読み方だろうと思われる。実際、『晴子情歌』『新リア王』を読んでいた時には見過ごしていた事柄が『太陽を曳く馬』のための重要な伏線として構成されていたことに気がつく。そこで『晴子情歌』『新リア王』にある『太陽を曳く馬』との結節点のポイントを整理してみた。

晴子は青森の旧家福澤家の三男.淳三が出征する前夜に婚姻。淳三が出征中に長男・福澤榮(帝大卒、地方財閥の主、自民党の有力な政治家)の好色に一夜限りの情を通じたことから彰之を出産する(昭和21年<1946年>『晴子情歌』)彰之は私とほぼ同年代の人物であるから彼の人生の背景は理解しやすい。
彰之は東大在学中に複数の女性とつきあうが杉田初江との関係は深く、強引な別れ方をしてその後ずっとつきまとわれることになる。初江との間に秋道が誕生しているが(昭和43年9月<1968年>『晴子情歌』)彰之がその事実を知るのは昭和51年<1976年>のことであった(『晴子情歌』)。(彰之は母晴子に初江と同様の官能を覚える屈折した自分に気づいている。また彰之は「福沢榮・晴子・彰之の相関=彰之・初江・秋道の相関」として不穏な血の相似性を予感しているところがあると私には思われる。)
(欲望の人であった福澤榮の血を引いた彰之はその世俗をたって、煩悩からの解放のために仏門に入ったのだと私は思うのだが………)
以下『新リア王』
1983年、金沢大乗寺で修行中の彰之を初江が探し当てる。初江は結婚しており、夫の板橋の実家で秋道とともに暮らしていた。この間、10代の秋道はたえまない粗暴行為で矯正施設、教護施設での生活を繰り返している。また彰之は板橋の実家を訪ねており、そこで秋道が義父より虐待を受けていたこと聞く。
1983年、故郷青森の普門庵の仮住職に就き初江の共同生活が始まる。
1983年、教護院の秋道(15歳)は都内で傷害事件をおこし、逮捕される。少年院へ。
1986年7月、 初江、失踪する
1986年10月、彰之は秋道と養子縁組する。
1986年11月から、秋道、普門庵で共同生活。暴走族仲間のたまり場、シンナー、暴力沙汰の日々。
「一言で申せば反社会のために生まれてきた生き物でしょうか、小学生のとき学校で飼っているウサギの耳を切り取ったそうで、親の目にも実に若々しい顔をした悪鬼のようです」
そして彰之は秋道が絵をかくことに夢中になっていることに気づく。
1987年12月、東京北沢署の合田という若い刑事から、杉田初江が餓死したと連絡がある。そして秋道は当地で傷害事件にかかわり、失踪する。

年月にこだわったのはストーリーが登場人物の記憶をやたらに遡り、なかなかついていけないためであり、全体に時の重さが一つのテーマになっているからだ。
そして『太陽を曳く馬』は2001年の秋から始まる。すでに彰之は55歳ということか。

冒頭、思いもかけなかった人物、合田雄一郎が登場する。そして私の知っている刑事・合田雄一郎とはまるで別人に変貌していることに驚かされた。知っているといっても『レディ・ジョーカー』『マークスの山』『照柿』だけ。1959年(昭和34年)生まれであるからここでは42歳の働き盛りであるはずだ。『レディ・ジョーカー』『マークスの山』では警察小説のジャンルにあるいわゆる敏腕刑事であって、これが『照柿』では彼のプライバシー(別れた元妻・貴代子への断ちがたい思いと事件当事者である女との恋愛など)が深いかかわりをみせ、いささか変わったとの印象ではあった。最初の第一節、永劫寺別院を舞台にした末永和哉の事故死(?)の捜査に関連して弁護士から話を聞くシーンなのだが、新宿の高層ビルから彼が見る風景のなんと暗澹たること、ただならぬ陰鬱と倦怠、死をイメージする眩暈と滑落感はいったい何なのだと。わからないということは退屈なスタートなのだ。ところが読み返した時に、ここには彼の今ある彼のすべてが凝縮されている、忘れがたい冒頭なのだと気づかされる。(正直この作品は難解である。しかし、二度読みする価値は充分にある)

全編、まるで独白かのように正確に合田雄一郎の視線で物語は綴られている。この作品は合田雄一郎自身の憂鬱に重きを置いた物語でもあるのだ。彰之が執着する餓死した初江と重なるように雄一郎には貴代子が存在して、その貴代子がこの年の9月11日、世界貿易センタービル崩落の犠牲になっている。また10月には死刑囚である彰之の子・秋道の絞首刑が執行されたばかりなのだ。栄劫寺別院事件の宗教的不可解にのめりこみながら共通ななにかを感じた彼は関わりのあった秋道事件の不可解を追想する。

この世界の根本にある精妙な真理に近づこうとする彰之は、それが言葉では語れないものだとわかっている宗教者の無言にいて、なお現実の混沌に立ち尽くしたままである。おそらくここからは前進することのない彼の人生の到達点である。
事件の真実に近づこうとする雄一郎は溢れあまる言葉でそこを語るのであるが、裁判に至るプロセスでそれが歪められるという冷酷な現実から一歩も進めない。そしてその諦観が彼にとって刑事人生の到達点であった。さらに彼は「自らの死」を甘美に予感しているところさえ見える。
秋道と和哉、ふたりの若い命は死の淵でなにを見たのか。言葉、言葉、言葉と「言葉の奔流」に圧倒されながらこの謎に読者は挑戦することになる。それもこの作品の重要なテーマではある。
そして彰之と雄一郎、このふたりの長い長い人生のラストに著者の深い思索の結晶をみる。『太陽を曳く馬』は三部作の完成というより高村文学の一つの到達点を示す記念碑的作品となるのだろう。

次ページへ続く
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先日、図書館にて久々に高村薫氏の
小説を拝見して、貴殿おすすめの
3部作が読みたくなりました。
「レディージョーカー」・
「照柿」等
は熟読していて、
またハマッてみようかな・・・
おやじ009
2011/05/22 21:42
おやじ009さん、コメントありがとうございます。ドストエフスキーを読む時は気合をこめて読む。高村氏の三部作もなかなかさらりとは読めませんでした。『新リア王』が政治の話だったので一番わかりやすく感じました。
よっちゃん
2011/05/22 23:31

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