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zoom RSS 松本清張 『天保図録 上』 鳥居耀蔵がたくらむ天保の改革とは、清張初期の本格歴史小説

<<   作成日時 : 2010/11/01 23:45   >>

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『天保図録』は1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで「週刊朝日」に連載された作品である。『天保図録』は水野忠邦がいわゆる天保の改革を着手する前夜(1841年)に政敵となる中野石翁・水野美濃守一派を追放した『かげろう絵図』の終わりから始まっている。
いっけん『かげろう絵図』の延長かと思われるが『かげろう絵図』が色と欲で権勢を誇るものを打ち負かす大衆時代小説の趣が濃い作品であったのに対して、『天保図録』は天保改革(1841年〜1843年)そのものを描き、商品経済の発展についていけなくなった徳川幕藩体制の崩壊プロセスであり、清張の史観が加わった本格歴史小説として完成されている。
冒頭の「筆のはじめに」では天保の改革を先の享保の改革と寛政の改革と比較した解説が紹介されるが、『かげろう絵図』ではまだ感じられなかった清張らしい歴史観察の姿勢がここではっきりと現れてきている。
といっても理屈っぽさはまるでない。登場人物たちの活躍にはきっと多くの読者が喜怒哀楽を共感するはずであり、熾烈な権力闘争をリアルに描写しこれを庶民感覚で見る、まさに大衆小説の王道にある傑作と言って間違いがない。

主人公の悪は鳥居耀蔵。彼は儒学者大学頭林述斎の三男で極端な蘭学排斥主義者である。
名は忠耀。甲斐守。2500石。1837年(天保8)目付、41年北町奉行、43年勘定奉行兼任となる。この間、1839年には江戸湾防備のため伊豆・相模・房総沿岸の巡視を伊豆韮山代官江川太郎左衛門とともに命じられる。翌40年には蛮社の獄で洋学者を弾圧、高島秋帆の西洋砲術採用策を批判、町奉行在職中は厳しい江戸市中の取締りを断行して、江戸町人から甲斐守忠耀をもじって妖怪(耀甲斐)と恐れられ、かつ反感の的となった。また高島秋帆疑獄事件を引き起こして捕らえるなど、一貫して洋学を敵視した。老中水野忠邦の支持をうけて天保改革期に活躍したが、上知令・印旛沼工事等で水野と対立し、さらに老中阿部正弘らとオランダ国書問題で対立したといわれ、44年に罷免となり、京極高朗に預けられて讃岐丸亀に流謫され、明治維新まで同地に在住した。(平凡社「世界大百科事典」より抜粋) 
   
執拗な出世欲のかたまりである鳥居耀蔵が水野忠邦を操り、これら史実にそった物語の展開の中で、あらゆる事件をあくどくでっち上げながら、次々とその野望を実現していく。
この巨悪に立ちふさがるのが旗本・飯田主水正とその仲間たち。この旗本・飯田主水正がいい。金には困らない身分にして豪快、道楽も剣も天下一品、人情味あふれる庶民感覚、胸のすく反骨精神の持ち主。市川右太衛門が一世を風靡したあの旗本退屈男・早乙女主水之介そのものである。こういう人物像、いまの時代には流行らないかもしれないが懐かしさも手伝ってその活躍に拍手を送りたくなる。

思えば鳥居耀蔵的権力志向タイプの犯罪者をテーマとする小説は、社会性を視点にしたミステリーや時代小説も含めて、最近は流行らなくなっているような気がする。
価値観が多様化したせいだろうか、善か悪かは紛らわしいものだとして犯罪をあつかう作品にはよく出会わす。
また、人間の欲望が、野心として広く社会に向かうのではなくて、発散できずに内向する自虐型、弱者に向かういじめ型の犯罪小説もよく見かける。

清張がこの作品を書いた時代は池田内閣が所得倍増計画を引っさげ、まさに日本の高度成長が始まろうとしていた。
その十数年前は全体主義体制の中で個人の自由はなかった。だが今、逼塞の時代は終わった。熱気がいたるところに渦巻いていた。資本主義、経済合理主義、利潤追求は正義とされた。誰もが野心野望を抱いて邁進し、そこで成功を収めえる資格は整った。いっせいに個人の欲望追及が花開く。

ただし、そこには破滅があるかも知れない。そしてこの破滅を描いたのが清張の世界であった。

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