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zoom RSS 辻原登 『韃靼の馬』 朝鮮通信使外交を詳述する歴史ロマンの傑作

<<   作成日時 : 2011/09/02 23:11   >>

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李朝朝鮮とわが国の歴史的な外交制度である朝鮮通信使について、私が知ることになったのは2003年に荒山徹の伝奇小説『魔岩伝説』読んだ時だった。現在、わが国と朝鮮との間には様々な緊張関係にあるのだけに、対等な善隣関係を前提にした通商・文化の交流という重要な史実を知らなかったことはショックであった。どうして教科書にはのっていなかったのだろう。私たちが知っておくべき歴史のはずだとつくづく思うのである。
………徳川家康の求めに応じて日本と国交を回復し、1609年には己酉(きゆう)約条を結んだ。朝鮮からは1607〜24年までに3回の回答兼刷還使、1636〜1811年までに9回の通信使(約200年間に合計12回、毎回総勢300〜500人に及ぶ使節団一行)が来日した。この朝鮮通信使を介しての国交は徳川将軍(日本国王あるいは日本国大君)と朝鮮国王との対等な善隣関係として行われ、日本は鎖国(1639)後も朝鮮とは唯一、正式の国交関係を保った。日本の要請にもかかわらず明は国交に応じなかったため、朝鮮との国交、朝鮮使節の来日は徳川将軍の国際的地位を示すものとして重視され、幕府は朝鮮使節を盛大にもてなした。また、朝鮮使節団一行との間では宿泊地ごとに文化の交流も盛んに行われた。江戸時代の日朝貿易は対馬藩を窓口として釜山の倭館で行われ、日本の銅・銀、朝鮮の綿布(のちには中国産の生糸)、絹織物、朝鮮人参が交易された。(平凡社世界大百科事典より抜粋)
時は徳川家宣治世。新井白石の幕政改革が進む中、1711年(正徳元年)の朝鮮通信使来聘が決まる。釜山・倭館に赴任している対馬藩士・阿比留克人(あびる・かつんど)は朝鮮語、漢語に通じ、薩南示現流の使い手。幕府中枢の命を受ける隠密でもある。朝鮮通信使が首都・漢城を出発した後になって、幕府は朝鮮側が用意した国書の変更要請を対馬藩に命じた。幕府の無理難題を朝鮮側にのんでもらうために、克人は朝鮮側工作員と裏取引をする。やがてこの一件が両政府を揺るがすような大事件に発展するのだ。

このサスペンスストーリーは上出来であるが、『韃靼の馬』の「第一部」で惹きつけられたのは朝鮮通信使外交の詳細を朝鮮・日本双方の視点で描いているところだった。使節団は600人を超える。大型騎船6隻、随員船100隻、献上品運搬船数隻に日本側導倭船100隻余が加わる大船団が釜山港を出航するシーンが、まずとにかく凄い。大道芸人による綱渡りの演舞、笛太鼓の音曲が鳴り響き、見物人数千の興奮とどよめき。そして豪華絢爛のデモンストレーションで迎えるのが日本側だ。対馬からはじまり、黒田藩・藍島、長州藩・下関、広島藩・蒲刈島、福山・鞆の浦をへて大阪にいたる。さらに淀川を登り京都。陸路東海道で江戸への到着。いたるところ異文化に接した大衆の熱狂と驚きと好奇の模様が描かれる。読者はこの沸き立つ渦中に飛び込んだ気分で熱気を感じながら、豪華絢爛の大イベントを楽しむことができるのだ。

随員には才幹優れたものが選ばれているから、日本の儒者などの知識人との書や歌の交歓風景にも興味深いものがある。
当然ではあるが日本の文化水準の高さに驚きを隠せない使節団側の表情描写も鋭い。
つい先日、コメの先物市場復活のニュースがあったが、いまでこそ江戸時代に開設された大坂堂島の米会所が世界に先駆ける本格的先物取引市場であったことは広く知られている。一行は思いもよらなかったこの高度な市場メカニズムに驚嘆する。高度な数学と統計学に通じた老人が一行の江戸到着の日時を予測する展開も印象に残るシーンである。
また新井白石との丁々発止のやり取りなども見逃せない。

このように送迎や接待は豪奢を極め、幕府だけでも接待費用は100万両に上ったとも言われる。幕府歳入が60〜70万両の時代である。新井白石が簡素にしたかったことはわからないではないが、経済効果として土木、建築、サービス産業関連の有効需要は盛り上がったことだろう。消費需要のたかまりが経済成長をリードする。財政逼迫だとて、あまりケチケチしなさんなと新井白石先生だけではなく、野田新総理にも言っておきたい。

万国博覧会。世界各国が産業の成果と文化を展示公開し、国際交流を深めようとする国際的な大イベントがある。朝鮮通信使とは二国間ではあるが、まさに動く万国博覧会だった。圧巻の叙述である。著者はこれを描きたくて本著をものしたのではなかろうか。
対馬にとって朝鮮との外交と通商が、もっとも大切であることは論を俟たない。外交とは対等の立場においてなされるもので、相手への敬意と己に対する矜持なくしては成り立たない。我々は友誼に最善を尽くすが、たとえば………もし朝鮮に非がありながら打擲などされた場合、その場で相手を打ち捨てるくらいの気概がなければ外交官はつとまらぬ。
とは対馬藩主・宋義真の教えだそうだ。現代にも通ずるもっともな説ではあるが………。
だから双方「対等」の立場を堅く守るとなれば摩擦は避けられない。歴史的にも将軍の呼称が大問題になる国柄同士である。「対等」の型が「尊大」の型と誤解される。「謙譲」の美徳が「恭順」に過ぎると指摘するものがでてくる。当事者同士ならまだなんとかなるが(対馬藩主の教えもこれあり)後ろに控えている中央政府の沽券に関わるとなれば丸く収まるものもささくれ立ってくる。
きらびやかな紀行の途中、交渉決裂に危機一髪の出来事がいくつか発生し、克人の教養と機転がこれを救うという、読者の緊張感が高まる趣向も楽しい。

この外交史に関する記録文書は両国に膨大な量が残っているらしいが、著者はこの史料に基づき、使節団一行の行程を小説という表現方法で鮮やかに再現させている。とにかくこのところを読むだけでもたいへん価値がある作品だ。

「第二部」は15年後
朝鮮の山間を開き陶器職人集団の指導者として暮らす克人のもとへ、対馬藩からの密命が下る。窮余の策として将軍・吉宗に献上する、伝説の天馬・「韃靼(ダッタン)の馬」を手に入れることだ。紀元前2世紀末、漢・武帝の命を受けた李広利が西方の大苑国より一日千里を走る血汗馬を持ち帰ったという。その種の純血を受け継ぐ名馬がいまもジンギスカンの末裔によって秘密の牧場で育てられているという。隠された牧場は朝鮮と中国国境に横たわる長白山脈を越えた南西の草原地帯にあるらしい。
余計なことだが、飾り帯に
「伝説の天馬を追って、海を越え、大陸を駆け抜けた日本人青年がいた」とあるが。
「大陸を駆け抜けた」となればキルギスタン、ウズベキスタンまで………かと勘違いをしてしまう。いくらなんでもそんなところまで疾駆するはずはない。

彼をバックアップする哥老会と呼ばれる秘密結社。密輸と密売を生業とするが、もとは白蓮教団で清王朝から追われ、朝鮮南部に住む漢人のグループ。
国境の国際市場・会寧から克人たちは韃靼人を追走する。はたして幻の天馬を見ることができるのか?
第一部とはがらりと趣向を変えた、稀有壮大なスケールをもつ伝奇小説風の冒険活劇だ。

阿比留克人。国家、制度、慣習など生きていくうえでの枠組みがある。その枠組みの中で四苦八苦しながらも複眼の思考を持って常に柔軟に対処する。第一部の克人はそういう男だった。
第二部の克人は枠をこえたところで生きることを決意する。

物語の冒頭から愛のストーリーが一貫している。それは平板といえば平板な純愛の形なのだが、辻原登の語りのうまさはここでも感じられる。
終幕は爽やかながらちょっと物悲しくてほろりとさせられた。

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