日記風雑読書きなぐり

アクセスカウンタ

zoom RSS 朝井まかて 『恋歌』 沸騰する幕末、天狗党の乱に巻き込まれた女性の数奇な運命 傑作の時代歴史小説

<<   作成日時 : 2013/10/16 21:27   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
朝井まかて。初めて手にする作家です。『恋歌』が単なる時代恋愛小説であれば読む気にはならなかったが、茨城生まれとしては水戸天狗党を背景にしているところで興味が湧いた。
尊皇攘夷の純粋理論を実践しようとして、尊皇攘夷の虚構に敗れた水戸の武士たちである。いま放映中の会津『八重の桜』に重なるところもある。ところが水戸の場合は同士討ちで人材が全滅し親類縁者を含め維新の英傑は一人も登場しなかった。『八重の桜』のように明るい展望のドラマにはなりにくい歴史なので、わたしとしては悔しいのだが………。
幕末の江戸で熱烈な恋を成就させ、天狗党の一士に嫁いで水戸に下った中島歌子。だが尊皇攘夷の急先鋒である天狗党は暴走する。内乱の激化にともない、歌子は夫から引き離され、囚われの身となった。樋口一葉の歌の師匠として知られ、明治の世に歌塾『萩の舎』を主宰し一世を風靡した歌子は何を想い、胸に秘めていたのか。落涙の結末
水戸にもこういう人物がいたんだとうれしくなった。『恋歌』の主人公は歌人・中島歌子と紹介されている。わたしの知らなかった人物だ。デジタル平凡社世界大百科辞典を検索してみたところ、「中島歌子」の項目はなく、「樋口一葉」の項目に「一葉の歌の師匠」として一言触れられているにすぎない。だから知らなかったことにホッとした。そういえば新島八重(山本八重)もあのドラマまではわたしは知らなかったことを思い出して、同じ百科辞典を調べてみたら、独立した項目にないどころか「新島襄」の項目にも出ていないではないか。
広くは知られてない人物に光をあてた歴史ドラマには意外性があり、また作者がかなり自由に人物造形できるためにドラマティックであり、エンターテインメントとして大いに歓迎する。

映画化して茨城県の貴重な観光資源に化けて欲しいと思います。

ちなみに講談社日本人名大辞典にはこうあった。
中島歌子
明治時代の歌人。弘化(こうか)元年(1844)12月14日生まれ。江戸の人。水戸藩士林忠左衛門と結婚。元治(げんじ)元年(1864)天狗(てんぐ)党の乱にくわわった夫と死別。のち加藤千浪(ちなみ)にまなび、東京小石川で歌塾萩の舎をひらいた。門人に三宅花圃(かほ),樋口一葉らがいる。明治36年(1903)1月30日死去。60歳。歌日記に『秋の道しば』。


歌子が病死する直前に門人の三宅花圃は長文の書き物を発見する。歌子自身が半生を綴った遺文であった。物語はこの遺文に秘められた悲しく過酷な宿命と歌塾「萩の舎」周辺の艶やかさが対をなして進み、中島歌子の人物を浮き彫りにしていく。
あなたに逢いたい。命にかえても。女性はこれほどまでに恋を抱いて生きるのか
こういうコピーを目にすると今の若い人にも好まれる、死と向き合って美しくも悲しい究極の恋物語と思う。それはそうなのだが、桜田門外の変から天狗党の乱の始末まで、水戸藩を崩壊させた血みどろの内部抗争を描いた重厚な歴史ロマンなのだ。

江戸の大店で跡取り嬢様(歌子)が恋をして水戸に下る。
お母っ様は身代を投げ打ってこの恋を成就させる。お母っ様は後でも出てくるが泣かせてくれます。
上士・中士・下士、身分差別が厳しい水戸藩の貧乏中士・夫はやがて天狗党の乱にくわわり行方知れず。
天狗党は敗れ、それまで冷遇されてきた諸生党による天狗党の一族の惨殺が始る。
捕縛された歌子が獄舎で経験するこの世の地獄を女性の筆とは思えないほど克明に描写する。読んでいて神経がねじ切られるような苦痛を感じる。女性特有の感受性によってかくも冷酷に描ききれたのかもしれない。
たとえば武田耕雲斎の妻女・延は幼いわが子がなぶり殺しにされるのを見届けて斬首される。ぞっとしました。
延の辞世の句
「山吹の実はなきものと思へども つぼみのままに散るぞ悲しき」
このようにいくつかの辞世の句が織り込まれているのだが、そこではどうしても涙を抑え切れなかった。
そして明治になり復権した天狗党残党は怨念を込めて、今度は諸生党一族へ血の粛清を加える。
復讐の連鎖はいつ果てるのだろうか。

ストーリーは終始緊迫していて恋心にうっとりしている暇はありません。

彼女はなぜ歌人になったのか、なぜこの遺文を書いたのか、そして天狗党・諸生党の抗争に終止符を打つ彼女の存念とは………いくつもの謎が読者の気がつかないまま布石されていて、落涙のラストに終結していく。いわばドンデンガエシと言える工夫もあってお楽しみは盛りだくさん。布石の整理に多少強引なところもあるが、目を瞑ろう。

とにかく全体の構想が緻密に練られている。
尊皇攘夷の不条理に翻弄された幕末水戸の群像をしっかりと描いた筆力に目を見張る。
歌子が緊張感を持って対峙する斉昭の未亡人・貞芳院が水戸藩に関わる歴史観を他人事のように語るのだが、的ははずれていない。
新人ながら正統派の歴史小説家と言ってもいい実力が見える。

水戸天狗党を描いた小説では山田風太郎『魔群の通過』、伊東潤『義烈千秋 天狗党西へ』を読んでいるが、決してひけをとらない。『魔群の通過』『義烈千秋 天狗党西へ』は血戦を重ねつつ険しい山河を踏破し京へ向かう行軍の苦闘と幕府軍による虐殺が山場になっていた。いっぽう『恋歌』は水戸に残された家族に降りかかった戦慄すべき宿命を女性の目で語っている。

女性でしか表現できない文体がまた心地よいものです。明治のお嬢さんが口語体で日記風に叙述するとこんなに優美な文章になるのかもしれないと………そう思わせる魅力があります。歌子は、当時の身分社会にあって平等をよしとするような、取ってつけたような現代風ではありません。大店の娘、中士の武士の妻として身分にふさわしい立ち居振る舞いが一貫しているところも好感が持てるのです。
小石川安藤坂の萩の舎には一時は1千人をこえる門人がいて、しかも華族の夫人令嬢の社交の場でもあった。名門歌塾だから、門下生たちの会話もこのように艶やかだったのだろう。樋口一葉など和歌の伝統を破る門人が出て、塾は衰運に向かっていたが
「明治生まれのひよっこに、いったい何がわかる」
と胸を張る歌子。
天狗党志士の妻として文字どおり命がけで歌を詠んだ。その矜持がわかるから、世代交替によくあるそんな雰囲気にも重みが加わっている。

「君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもおしえよ」
遺文に最後に書かれていたこの歌を見て、伝統の和歌にはみられない心の叫び声がある………と三宅花圃は衝撃を受けるのだが、これは朝井まかての独自の解釈かもしれない。

静と動、浄化と緊張、高潔と蛮行が重なりあい、あるいは交互に繰り返すリズムがラスト、再生の感動を増幅し、深い読後感に導かれるのです。

思いがけず傑作の時代歴史小説にめぐり合いました。

蛇足
諸生党と天狗党の血で血を洗う復讐の連鎖にどう終止符を打つかについては、作家としての腕の見せ所なのかもしれない。山田風太郎『魔群の通過』では似たような状況設定をしながらも感動ではなく無常観で締めくくってある。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
朝井まかて 『恋歌』 沸騰する幕末、天狗党の乱に巻き込まれた女性の数奇な運命 傑作の時代歴史小説 日記風雑読書きなぐり/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる