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zoom RSS 坂東三十三ヶ所霊場巡礼 第十番 巌殿山 正法寺 平成26年3月15日

<<   作成日時 : 2014/06/12 22:24   >>

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画像後の世の 道を比企見の観世音

この世を共に 助け給えや


岩殿丘陵の最東端、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所に建っている。
この日はまだところどころで雪が残っていました。

養老2年(718)、沙門逸海が物見山の山腹の岩窟に千手観音像を安置し庵を結んだのが草創伝承。9番札所の慈光寺や秩父の三峰山と同じく、役行者によって修験の道場として開かれたともいう。
また奥州征討に向かった坂上田村麻呂が岩殿観音に祈願し悪龍を対峙したという言い伝えもある。
鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられる



仁王門
表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」、愚禅和尚の筆になる「施 無畏」 の扁額をかけを掲げた仁王門。左右には仁王像がある。
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観音堂
仁王門をくぐりさらに長い石段を上ると正面に観音堂が見える。
養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の建立である。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。

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大イチョウ 東松山市 指定天然記念物
去りし時代を象徴するかのような魁偉なる根瘤が鄙びた観音堂とよく調和している。
秋の大イチョウも撮影
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鐘楼(東松山市指定有形文化財)と銅鐘(埼玉県指定有形文化財)

元禄15年(1702年)に比企郡野本村(現在の東松山市野本)の山田茂兵衛の寄進で建立されたと伝えられる草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物として、東松山市有形文化財に指定されている。この鄙びた風情はなんともいえないなぁ。
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元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)年に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。
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六面憧
物見山の登り口の駐車場に車を止めて、正法寺・巌殿観音へ下る隧道とは、反対側に登る小径があります。木立に囲まれた山中に高さ1mあまりの墓碑がありました。緑泥片岩(青石)の6板の板石塔婆を組み合わせて、六角柱をつくり、その上に六角形の笠石をのせたもので天正10年(1582)2月の造立日が刻まれているのが見える。笠石の周縁には、飛雲、裏側には双竜・宝球、獅子、宝相華が極めて精巧に彫刻されています。板石にはそれぞれ銘文が刻まれています。
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寄り道 里見城址
里見といえば私が連想するのは「南総里見八犬伝」でありN君の故郷である安房だ。N君の提唱でこの場所を訪ねたのだが、観光名所になるには、今後地元のしっかりとした企画が必要で、今は案内板があるだけの何もないところであった。
新田義重の子・義俊が新田氏所領・里見郷に城を築き、地名であった「里見」を氏として名乗ったと言われている。里見氏は10代まで290年この地に依拠したが1441年の敗戦で11代目の吉実が房総に転出する。八犬伝の里見家が誕生した。
なお南北朝時代の南朝の雄・新田義貞はここ里見のちに生まれ、幼少には里見小五郎を名乗っていたが、のちに新田家の養子になったと伝えられている。
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