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zoom RSS 神田川遡行 その三 江戸川橋から駒塚橋

<<   作成日時 : 2014/08/04 11:05   >>

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神田上水の成立ちにあるキーポイントのひとつがこのルートにあります。また神田川遡行中、指折りの閑静な遊歩道になっています。

26 江戸川橋
憂鬱であった首都高5号線が北に大きくそれたのでそれだけでも気分がよくなった。、早稲田ランプへの高架が左手に少しだけ残っているが、それも一休橋まで。
橋の上から四方を眺める。
北詰の民家から蔓をはったノウゼンカズラが今を盛りと咲き誇っている。
上流へむかって江戸川公園が長く延びて、絶好の散歩道を作っている。
春には都内有数の桜の名所である。
だが橋げたを覗けばゴミが散乱し、汚臭が漂う。餌を探しているのだろうか、それとも水浴か、鵜が羽を広げていたが、風情はまるでない。
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前にも言ったことだが、この江戸川橋の下を流れる川は神田川である。神田川は長い間、この関口大洗堰より上流部を神田上水,JR 飯田橋駅付近までを江戸川,下流部を神田川として区別していた。その当時にこの橋が江戸川橋と名づけられたんですね。

江戸川公園
江戸川橋から椿山荘の高台下まで神田川沿いに江戸川公園が広がっている。
段差が作られたり、スロープがあったり。花壇も整備されていて、目を楽しませてくれる 。
小さい子供連れの母親たちがおしゃべりをしていた。落ち着きのある遊歩道だ。
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27 一休橋
「このはし 渡るべからず」と表札にあるので、端ではなく真ん中を歩いて渡った………のが一休さんだったが、それとこれとは無関係。
名前の由来には二つの説があるようだ。
○川沿いに「御三家一橋の抱屋敷」があったことから俗称「いっきょう橋」、それが変化して「いっきゅう橋」となった……と「新撰東京名所図会(明治30年刊)」
○関口橋という橋が一休橋と俗称されていたが、橋畔に「一休名残蕎麦」との名物があって、それが起源とする「新編江戸誌」
面白いなぁ、でも、「いっきょう説」はひねりすぎていて、「蕎麦説」が本物らしく聞こえます。
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神田上水のポイントとなる史跡
神田川のおさらい
水源は武蔵野の井の頭池で,途中善福寺池から流れ出る善福寺川,妙正寺池から流れ出る妙正寺川の2流を合わせ,淀橋で玉川上水の助水を入れた。井の頭池から江戸に入るここ目白下大洗堰まで5里足らず,さらに関口水道町,小日向水道町,金杉水道町の3町を通り水道橋に至る。ここまでが「開渠」で水元と呼ばれる。ここから「掛樋」で神田川を渡し江戸城郭内に入る。これ以遠は江戸内と呼ばれ,暗渠で郭内から江戸の町々,寺社に配水された。
徳川家康の命によるこの上水道工事の要所がここ「目白下大洗堰」である。大洗堰は大滝橋あたりにあった。

目白下大洗堰 江戸名所図会
運河と見まごう大規模な治水事業です。
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神田上水旧跡碑記
「昭和13年 東京市」がこの碑を残しています。
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徳川氏府を江戸に開くの初、大久保主水忠行命を受けて上水開設の土を起こし多摩郡井之頭池の水を用いこの地に堰を設けて神田より市中に給水す。神田上水即ち是なり。この地は地勢高峻老樹蓊蔚たる目白台下の景勝に位し亦四季の景物に富めるを以って古来江戸名所として聞こえる事久さし。俳聖芭蕉嘗て上水道修築に従いてここに寓し遺址今に伝えて風流の余韻を慕うもの少なからず。
大正8年付近水道付属地を江戸川公園と為し上水史跡の保存に努めしが昭和12年3月江戸川改修の工成るに至って遂に旧観を失えり。すなわちこれに旧洗堰遺材の一部を用い碑を建て由来を刻し以って追憶の資となす
昭和13年東京市


神田上水取水口の石柱
上流の流水量を調整する石柱で、当時のものをここに再現した。
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井の頭池を源流とするわが国最初の神田上水は関口の大洗堰(現在の大多喜橋=大滝橋)あたり)で水位をあげ、上水路(白堀)で水戸上屋敷(現在の後楽園一帯)に入れた。そこから地下を樋で、神田、日本橋方面に給水した。この大洗堰の取水口に、上流の流水量を調整するため「角落」と呼ばれた石柱が設けられた。ここにある石柱は当時のもので、昭和8年大洗堰の廃止により撤去されたものを移した。なお上水をとりいれた余水は御茶ノ水の堀から隅田川へ流された。
昭和58年12月 文京区役所


28 大滝橋
「大滝」は大洗堰の滝のような流れを見立てたのであろう。
当時の風景を思い描きながら貴重な史跡を楽しみました。
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安藤広重 名所江戸百景 「せき口上水端はせを庵椿やま」( 関口上水端・芭蕉庵・椿山)

ズバリ、このあたりの風光明媚ですな。
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神田上水旧跡碑記
「この地は地勢高峻老樹蓊蔚(おううつ)たる目白台下の景勝に位し亦四季の景物に富めるを以って古来江戸名所として聞こえる事久さし。」
とはいえ、現在という座標軸からはそこまでのイメージは浮かんでこない。

寄り道 椿山荘 木春堂
江戸川公園は大滝橋までで、その先の遊歩道に面して右手に椿山荘の「冠木門」があるこれも何かの縁だ。昼飯をここで取るかと、木立奥にある石焼料理店「木春堂」へ寄り道する。
安藤広重名所江戸百景にある「椿やま」とはここ椿山荘がある高台を指している。
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昼食にしてはボリュームといい値段といい、ちと贅沢であったか。
岩手産の牛肉、神奈川のユリネ豚を富士山の溶岩から切り出した岩板の上で、油を使わずにジュウジュウと焼きながら食す。木春名物「米茄子の柔らか煮」に「太刀魚塩焼き」の魚料理。
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関口芭蕉庵椿山荘冠木門の隣にあります。
芭蕉は神田上水の改修に関わっていたんです。
この地は江戸の前期俳人の松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。享保11年(1726)、芭蕉33回忌にあたり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後去来・其角・嵐雪・丈草の像も建てられた。
芭蕉庵の建物は昭和13年い近火で類焼したが、同年8月再建された。しかし昭和20年5月戦災で焼失した。
塀越しに芭蕉が葉を広げている。
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水神社
大洗堰の守り神です。それだけでなく物資輸送を水上交通に頼る江戸ですから水の都の守護神でもあったわけです。
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伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。

神木銀杏 風雪にさらされ節くれだった根瘤は悪霊を踏み砕く巨大神の足元を見るようです。
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29 駒塚橋
このあたりたくさんの鯉が泳いでいます。
生き物と共生できるまで水質がよくなっている。
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駒塚橋までは遊歩道が川沿いにありましたが、ここからは車道もあり、川を離れて歩かねばならないところも出てきます。
今頃になって気がついたことですが、神田川は新宿区の北側の区境なんですね。駒塚橋までは文京区との境を流れていますが、ここからは豊島区との区境ラインになります。

新江戸川公園の塀に沿って歩いているとびっくりしました。
赤い靴の大きな亀さんが散歩をしている。
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せっかく近くに来たのだから、今日は予定を切り上げて……





寄り道 新江戸川公園へ
新江戸川公園
幕末には細川越中守の下屋敷、抱え屋敷であったが、明治15年(1882)からは細川家の本邸となった。その後昭和13年(1959)、都立公園として開園したが、昭和50年4月、文京区に移管され、文京区立新江戸川公園となった。庭園はもとの細川邸をそのまま公園にしたもので、規模は小さいが、素朴さの中に、江戸情緒が漂う回遊式泉水公園である。目白台の地形の変化を巧みに利用し、名園と呼ぶにふさわしい景観を作り出している。また春・夏に咲く花々、秋の紅葉、そして雪景色は見事である。
「松聲閣」と呼ばれる園内の建物は細川家の学問所であった。現在は区民の集会所として利用されている。
文京区教育委員会 平成13年3月


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今日は7月14日 花には恵まれなかったが、汗が引く涼感を満喫。紅葉のころがいいだろう。

アルバムデジブック「神田川遡行その3」



より大きな地図で 神田上水・神田川散策マップ を表示


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