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zoom RSS 神田川遡行 その四 駒塚橋から神高橋

<<   作成日時 : 2014/08/10 17:57   >>

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画像古地図を見ますと橋がほとんど描かれていません。
特にこれから先の西方向は詳細な地図を必要としない鄙だったのでしょう。


さて、新宿区と文京区の境界線であった神田川は駒塚橋と豊橋の中間で、新宿区と豊島区との境になります。

川の水は徐々に澄んでいきます。

ギンギンと真夏の太陽はバカ暑い


駒塚橋から豊橋
深く護岸が築かれているが、川床が見え、流れにも変化があらわれる。水鳥たちも威勢がよい。
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30 豊橋
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南面の目白通りには都電荒川線(三ノ輪橋・早稲田)の起終点駅・早稲田停留所がある。唯一のこされた都電路線。

蝉の鳴き声がうるさいほどだ

31 仲之橋  32 三島橋
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川面に変化があって目を楽しませてくれる。

護岸をつた類が覆いみどりの空間を作っているが、これは新宿区の護岸緑化事業。





33 面影橋
「お・も・か・げ」………ぼんやりとだが記憶に残る過去の残滓………なんだろうが、語感がいいんだなぁ。
ここは面影橋の由来を知っておこう。

橋のたもとに新宿区の案内板がある。
目白台から続く鎌倉街道沿いにあり、姿見橋ともいわれていました。橋名の由来には諸説あり、高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説、鷹狩りの鷹をこのあたりで見つけた将軍家光が名付けたという説、近くにいた和田靭負(ゆきえ)の娘であった於戸姫が数々の起こった悲劇を嘆き、水面に身を投げた時に歌った和歌から名付けたという説などが知られています。
なお、姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので、別の橋だという説もあります。
あまり的を射た説明ではないな。業平説が簡明で色気もある。

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歌川広重 名所江戸百景
『高田姿見のはし俤の橋砂利場』
 

これは高田にある姿見の橋から俤橋(面影橋)と砂利場を眺望したものだが、橋の位置が前説とは逆で、いずれにせよあいまいなところが可笑しい。
上の古地図には面影橋とある。なお、おかし。

蛇足だが、「高田馬場」が古地図に表示されています。


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こんなところが!あの有名な故事の現場だったか。 
「山吹の里」の碑


面影橋の北詰にあります。小さい花をつけた山吹がこんもり葉を繁らせていました。
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この碑の由来
新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋一帯は、通称「山吹の里」といわれています。これは、大田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。後日、「七重八重花は咲けども 山吹の みのひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられ道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、『和漢三才図会』(聖徳2年、1712年)などの文献から、江戸時代中期の十八世紀前半には成立していたようです。 
「山吹の里」の場所については、このち以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦、埼玉県越生町などとする説があって定かではありません。ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和63年(1988)の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や、鎌倉街道の伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます
この碑は、神田川の改修工事が行われる以前は面影橋のたもとにありましたが、碑面をよく見ると「山吹之里」の文字周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享3年(1686)に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
平成十六年(2004)3月 豊島区教育委員会


34 曙橋
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魚道
曙橋から高戸橋の間でよく見下ろすことが出来ます。
こういう構造物があることすら知りませんでした。
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案内板にはこうあります。
以前このあたりには、川幅全体に川の流れを弱めるための段差(落差工:1mほどの落差が3段)が設けられてありました。これは治水の観点から必要なものでしたが、一方で魚の遡上の妨げにも成っていました東京都は河川改修に合わせてこうした段差を解消し、肴などの移動経路と棲息空間としての機能を合わせ持つ魚道を、平成9年度に設置しました。一度は姿を消したアユが再び神田川で確認されるようになったのは、平成4年の頃からです。この魚道の設置によって、上流側の高田橋付近までアユの遡上が確認されるようになりました。


高戸橋交差点
ここで神田川は大きく蛇行する。地上では新目白通りと明治通りが交差します。
道路と川筋が頭の中で混乱し、どこまでが橋なのか?と飯田橋交差点と並んでわかりにくい交差点です。


久々に交通量の激しい道路にぶつかりました。
濃い緑に包まれた散歩道はここ高戸橋で終わります。繁華街・高田馬場を通過する神田川はまたここで都市的な表情に変ります。
神田川は蛇行し、明治通りを渡す高戸橋と新目白通りを渡す高田橋が隣り合う形になります。
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新目白通りを走っていた都電荒川線がここで直角に曲がり明治通りを走ります。
高戸橋に寄り添うように都電の鉄橋があります。
右の写真:グッドタイミングですれ違う都電の正面から撮ることが出来ました。

 35 高戸橋(たかと) 
豊島区高田と新宿区戸塚をあわせて高戸なのだそうだ。
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高戸橋は歩道と車道に加え鉄道と三つの道を通している。

36 高田橋

下流から見た高田橋
左に本流
真ん中に分水路
そして右奥が
ここが妙正寺川との合流地点


分水路というのは大雨時の洪水を防ぐための地下水路で、ここは吐け口。呑み口は五つ上流の新堀橋にあります。
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高戸橋と高田橋のイメージがダブって混乱します。
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高田橋から上流を見る
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高田橋から四つ先の神高橋までは護岸工事も新しいせいか、写真のような同じような景観で単調に川が流れる。奥に次の橋・源水橋が見える。右手には川面におりる階段があるが、使えないように入り口が閉じられていた。

37 源水橋  38 戸田平橋  39 高塚橋  40 神高橋

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両側に遊歩道があるが、集合住宅、雑居ビルの背面に挟まれていて、都会の裏道のような雰囲気がある。1973年にヒットしたかぐや姫の「神田川」の下宿がこの川沿いにあったという説がある。おそらく当時は早稲田の学生のために下宿屋が軒を連ねていた。二人の住まいはうら寂れた東京の場末で汚臭が漂う川っぷちの下宿だったのだろう。

40 神高橋
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この神高橋の左手先が高田馬場駅前になります。
手前の青いラインのついた鉄橋が西武新宿線、電車走行中の鉄橋はJR山手線・埼京線。
その間が工事中です。




今日は8月5日ですが橋の左手から川面に下りる階段が開放されていました。隣接している戸塚地域センターが親水テラスとして子供達に神田川に親しんでもらうため川遊びができるようセットしているようです。それだけ水がきれいになったのでしょうね。

そんなわけで親水テラスに降りて上流を撮ることが出来ました。
この写真からも山手線の向こうに黒い石の橋があるように見えるのですが、工事の人にお聞きしたところあれは橋ではないのだそうです。
その先に緑色に見える橋が次の清水川橋です。
見えているからすぐ到達できると思ったのが誤り。川沿いの道はなく迂回するのだが、迷いに迷ってようやくたどり着くことになります。
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ところで神高橋は河口から40番目の橋だが、神田川にかかる橋は140もあるらしい。楽しみはまだまだ続く。









アルバム・デジブックをご覧ください




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