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zoom RSS 神田川遡行 その七 中野新橋から方南橋

<<   作成日時 : 2014/10/16 19:04   >>

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赤い欄干の中野新橋。この界隈は、もともとは「新橋」と呼ばれ、橋の袂から黒板塀の料亭が連なり、芸者衆のパレードなど花街として賑わっていた。住宅化が進んでいまではその面影は朱塗りの橋があるぐらいで普通の町並みになっている。

ところで今日は8月15日。140ある神田川にかかる橋の88番目にあたる方南橋までを遡ります。
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中野新橋あたりでゆるやかに南北へ流れを変えた神田川はたつみ橋からは東西へと蛇行します。
たつみ橋手前からは川は杉並区を流れる。

氷川橋平成26年3月に完成したばかり、出来立てホヤホヤ。
神田川にかかる橋では一番新しいのかもしれない。
氷川橋からは川に沿った歩道はなくなりました。富士見橋まで次の橋へは住宅地の中を迂回していかねばなりません。

千代田橋→柳橋

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千代田橋はただいま架け替え工事中です。
下流から中野新橋、氷川橋と続いて護岸改修を兼ねた架け替えです。
川床を見るとまだ改修が住んでいないこれより上流は古いU字溝のままですね。

柳橋のように橋名を刻む柱もなく、プレートを手すりに貼り付けただけの橋は味気ない。

古い護岸にU字溝。狭いスペースの川沿いに急速な宅地化が進み、歩行者専用の道路もない。都市周辺の新興住宅地にある典型的な河川なのだろう。

ツタのある風景 本郷橋→壽橋→高砂橋 
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柳橋から望遠レンズで撮った本郷橋だが、まるでジャングルのように両側の雑木林が覆いかぶさって見える。しかも橋桁からは一面にツタが滝のように揺れ落ちている。。壽橋、高砂橋も橋桁下から密集したツタが流れ落ちている。こう眺めると一風変った風景だねぇ
しかし川床、護岸壁などは古くからの単調な意匠が続いている。
中野富士見駅が近くなって住宅地に飲食店が混じって、
どこかゴミゴミした風景に変貌していく。

丸の内線・中野富士見町駅前 富士見橋

流れはこのあたりから東西より南北へ。
そして川沿いを歩く道が始った。
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善福寺川との合流  和田見橋と栄橋のあいだ
神田川遡行の目玉のひとつです。
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和田見橋より
右手にだけある歩道(杉並区側)と川とを隔てる高いコンクリート壁に迫力のある造形がついている。
またその上にツバメやフクロウなど鳥を形どった金属の飾りが据え付けられている

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この壁にそって「善福寺川流域案内板」という杉並区のガイドが目に付く。
善福寺川???とびっくりして、案内板の後ろを覗くと、
そこには神田川と善福寺川の合流地点があった。
どちらが神田川だろうか?
V字の左が上方の川が神田川です。
いったん、善福寺川にかかる和田廣橋を渡って神田川沿いに戻ります。
川は杉並区とは離れ再び中野区内を流れる。
まっすぐな川沿いの道路。水中の水藻はゆらゆらと長い髪を洗うかのように見える。

栄橋は
方南通りを渡たす。

睦橋→角田橋→神田橋→向田橋→たつみ橋
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住宅地には変わりないが、柳の並木や竹林があらわれると、徐々に都心から遠ざかっていくことを実感する。
水草や鯉、流れに透明感が加わり川面の趣きも深まった。
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たつみ橋の北に楽しいお寺があるという。

寄り道 通称「釜寺」 

東運寺本堂
「釜寺」の通称で親しまれている念仏山東運寺は、阿弥陀如来像を本尊とする浄土宗のテラで「釜寺」という通称の由来となった「身代わり地蔵尊」も安置されています。
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屋根に乗っかったこれはなんだ!!!
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戦国のころ天正2年(1573)備前(岡山県)の僧一安上人が、安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を奉じてこの地に来ました。これに帰依した方南の大地主鈴木伊兵衛が屋敷を寄進して念仏堂としたが、当時の開創と、元禄十四年(1701)ごろ住職であった祐梵上人筆の由緒書は伝えています。
この「身代わり地蔵尊」は、山椒大夫に釜茹でにされそうになった厨子王をお坊さんの姿になって助けたという言い伝えがありそれにちなんで当寺本堂の屋根に釜を置いたといわれています。」現在の大釜は、昭和二十年の戦災で本堂焼失後、当地の信者が寄進したもので米一俵(六十キログラム)を炊くことができるといいます。
(昭和五十五年二月二十日 杉並教育委員会による案内から)

「安寿と厨子王」といえば森鴎外の『山椒大夫』しか思い浮かばなかったのですが、古くからあった伝承、童話だったのだそうです。全国各地に様々なバリエーションの「安寿と厨子王」があるらしい。
とはいえ、安寿と厨子王の守り本尊に深くかかわったお寺だといわれて正直びっくりしました。

山門
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山門縁起
この山門は元禄の頃芝田村屋敷の脇門にして、浅野内匠頭是を通ると伝う。明治末葉、三井総本家これを今井町に移し、元織田有楽斎如庵の茶室国宝の表門となせるも、用う稀なりしが為め、「開けずの門」と称すると。
戦中解体保管しあるを、たまたま昭和28年同家御当主元男爵三井高公殿より当山中興精誉桂巌上人に寄進せらる。
因に当山門は、屋根瓦は、当初田村公の時、明治末三井家の時、当山に再建の時の三種あり、釘は全く用いず組合せ式、門自体約五分内側へ傾けてある由、門扉開閉確実の為めとは、古昔の工匠修錬実績の智慧に無限の敬意を表せんものを。
茲に 昭和30年7月7日落慶法会を修す。住職勧誉興道代(境内掲示より)


浅野内匠頭は芝の田村右京大夫屋敷で切腹したが、おそらくこの門をくぐったのだろうと思い込むのもいいではないか。

楷樹
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昭和12年2、3月高田真治教授を団長としての中国学研修旅行の際、湯島聖堂大震災復興の答礼を兼ね、山東省曲阜郡の孔家を表敬訪問せり。孔子77世孫孔徳成氏より親しく種子を頂戴、播種育成。その苗木5本を神奈川県金沢文庫に3本を湯島聖堂に寄進せり。現に亭亭として樹陰を成す。当寺の木は戦災焼失。為に湯島聖堂の種子に生ぜる苗木を譲り受け、境内に数株あり。秋には黄紅風情を呈す。因みに、孔子の高弟子貢の孔子墓に服喪すること6年、手植せる苗裔なり。
昭和12年2、3月高田真治教授を団長としての中国学研修旅行の際、湯島聖堂大震災復興の答礼を兼ね、山東省曲阜郡の孔家を表敬訪問せり。孔子77世孫孔徳成氏より親しく種子を頂戴、播種育成。その苗木5本を神奈川県金沢文庫に3本を湯島聖堂に寄進せり。現に亭亭として樹陰を成す。当寺の木は戦災焼失。為に湯島聖堂の種子に生ぜる苗木を譲り受け、境内に数株あり。秋には黄紅風情を呈す。因みに、孔子の高弟子貢の孔子墓に服喪すること6年、手植せる苗裔なり。

つまりこの楷樹は孔子の高弟・子貢が服喪中に孔子の墓に植えた苗木の2千数百年を経た末裔だとしている。理屈付けがもっともらしく稀有壮大で面白い。

上水橋→方南橋
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方南橋は橋自体は小さいが、環七通りを渡し交通の要衝だ。

帰途は丸ノ内線方南町駅からとしました。

詳細アルバムは下記デジブックをご覧ください。



より大きな地図で 神田上水・神田川散策マップ を表示

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内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。

うつ克服カウンセラーの玉村と申します。

このたび、うつに関する自伝書を出版しまして、この本の書評をブログに書いて
いだけないかと思い連絡しました。

著書「鬱〈うつ〉に離婚に、休職が… ぼくはそれでも生きるべきなんだ」
http://urx.nu/cmxN
(Amazonの短縮URLです)

この本は、著書11冊を出版している、
大阪経済大学人間科学部 教授の、
古宮昇氏からも帯の推薦文をいただいています。

メールアドレスか住所を教えて頂ければ、
本をお送りしますので、よろしくお願いします。

もし本を書評ブログに書いていただけるなら、
私のブログで感謝の言葉を書かせて頂きます。

どうか、何卒よろしくお願い致します。

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Webサイト名 : うつ克服カウンセラー 玉村勇喜 | 癒し玉
WebサイトURL : http://utsu-kokufuku-iyashidama.com
管理人 : 玉村 勇喜(たまむら ゆうき)

ブログ : http://ameblo.jp/utsu-kokufuku-iyashidama
メールアドレス : request@utsu-kokufuku-iyashidama.com
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うつ克服カウンセラー@玉村勇喜
2014/10/18 23:10
ごめんなさい。このブログのかたちからはちょっとはずれますので書評は遠慮させていただきます。
よっちゃん
2014/10/19 07:58

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