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zoom RSS 神田川遡行 その九  かんな橋より佃橋

<<   作成日時 : 2014/11/30 19:22   >>

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画像神田川遡行はようやく終盤に入る。今回は140ある橋の103番目にあたる「かんな橋」からスタートする。南下してきた神田川はこのあたりから西北へと流れを変える。
そして今回の流域は桜並木、戸建て住宅、整備された遊歩道が共通している。夏の終わり、秋は入口まで来ている。(8月20から9月3日)

103 かんな橋→104 神田橋→105 幸福橋→106 向陽橋→107 弥生橋

かんな橋から幸福橋までは左手に都立ろう学校、東電総合グランド、下高井戸運動場が連ねって大きな空間が広がっている。
陽当たり風通しが良いせいでしょうか、大きく成長した桜が右手沿道まで届くかのように枝を伸ばしています。
「かんな」「神田」「幸福」「向陽」「弥生」という名称にはこれはという特徴が見当たりません。橋の構造も単純、均一で橋名を記したプレートもどうでもいいやとばかりに欄干に打ち付けられていました。
閑静な住宅地を往く川とはこういうのものなのでしょう。
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108 むつみ橋
あまり手を加えていない
自然を活かした趣向の遊歩道
このあたりからの流れには
鯉がたくさん泳いでいる。
水もきれいになってきた。

109 八幡橋

寄り道 下高井戸八幡神社 
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ようやくきれいな橋だ。蝉も主役がアブラゼミから変わってツクツクボウシ
せせらぎと風の音
川床には段差があって
鴨が二羽たわむれトンボが群れて飛び交う。

下高井戸八幡神社
八幡信仰は源頼朝が鶴岡八幡を崇敬して、武家からさらに庶民一般にも信仰され、全国に広く勧請された。
この神社は旧下高井戸宿の鎮守で祭神は応神天皇です。社伝によると、長禄元年(1457)太田道灌が江戸城を築くとき、工事の安全を願い、鎌倉八幡宮の神霊を勧請して創建したものと言われています。
本殿は棟札によると、弘化4年(1847)の再建であることがうかがわれ、現在の拝殿・覆殿は昭和34年に落成したものです。
境内には末社として天祖神社・御嶽神社のほかに、当神社に功労のあった人々を祀る祖霊社があります。
神田川の台地や斜面には先土器時代から古墳時代に至る遺跡が各所に発掘されていますが当社の近くからも集落跡が発見され、石器・土器等の出土もあり、古くから人々が住んでいたことがわかります。
中世以降、村落の発達とともにこの地に神社が奉斎され、村の鎮守として尊崇を厚くしてきました。
昭和初期までの宮司であった斎藤守高氏は、俗に「面芝居」という神楽の元締めで、芸名を『中村縫之助』といい、鼓・太鼓・三味線に合わせて踊る芸の師匠でありました。
この面芝居は明治から昭和初期にかけて流行しましたが、今は絶え、残された数個の面がが往時をしのばせています。
昭和57年2月10日杉並区教育委員会


他の橋に比べなぜこの橋の造作には格段に風格があるのか………わかる気がする。
一般的にも言えることだが、古くからその土地に根付いた事物があるからだろう。

110 藤和橋→111 梢橋→112 鎌倉橋
欄干に捩じりを入れて藤の枝をかたどった藤和橋、名前もみょうちくりんだが、親柱に奇抜なかんむりを乗せた梢橋と工夫が見える。雑木林と桜並木に挟まれた遊歩道も川の流れに見立てた石細工あり、竹林を抜けるような意匠など変化が楽しめる。
久しぶりの里程標があった。源まであと5.5キロ。
鎌倉橋一帯はこんもりした雑木林に囲まれ、武蔵野の面影が濃く残っていた。
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寄り道 鎌倉街道
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「鎌倉橋」は南北に鎌倉街道を通すからそう呼ばれた。橋のたもとに「鎌倉街道」の石碑がある。
実は鎌倉街道とよばれる道筋は関東のあちこちに現れる。
鎌倉幕府開設以来、各地から鎌倉に向かう中世の古道。鎌倉往還とも。鎌倉を中心として放射状に走り、どの道も地方へ向かう場合は行き先に応じ武蔵路、信濃街道、上州路、京鎌往還などと別称した。多くは府中を通り、街道沿いに守護所が設置された。現在道路として継承されているものもあるが、山中に残るものは5〜6mの幅で細長い窪地状になっているものが多い。
南へ歩いてみた。狭い道幅にもかかわらず、大型のバス、トラックやタクシー、乗用車がひっきりなしに走り、うっかりすると事故にあいそうなほどだ。この道は首都高と並行した甲州街道に突き当たる。たまたま沿道の石工さんにこのあたりの環境の変化をきかせていただいた。鎌倉時代の作品だろうか、石積五重塔がご自慢。

113 塚山橋
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本格石造り
ギョッとするような立派な橋です。
塚山公園内の橋で
雰囲気が出ています。
背の高い水草が繁る。
護岸壁はツタでおおわれ、
川床はコンクリートではなく
握りこぶし大の石と土が
敷かれてある。

寄り道 下高井戸塚山遺跡
当時の住居が再現されています。
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この遺跡は区立塚山公園一帯を中心とした旧石器時代(約3万年前)から縄文時代中期(約3500年前)にかけての集落跡です。遺跡は神田川と湧水によって浸食形成された舌状台地上全域に分布しており、遺跡の一部は公園南側の住宅地域まで広がるものと指定されています。


神田川は太古の昔より人々の生活とともにあったんだ。


114 堂ノ下橋→115 乙女橋
小さな堤からは「川の音」が聞こえる。閑静なたたずまい。
橋の向こうに杉並清掃工場のマンモス煙突が白く突き出している。
源まであと4キロ
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116 池袋橋→117 正用下橋(しょうようしもばし)→118 高井戸橋

池袋橋の親柱も時代物のどっしりした石で貫禄を見せていた。
「池袋」という名称は川の曲がり淵にたまった池とか沼に使われていたようで
都心の池袋とは無関係のようです。

しばらくはマンモス煙突とお付き合いのウォーキング
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踏切のシグナルがカンカンカン。 正用下橋からは電車が見える。
源まで神田川は井の頭線にそって流れる。

さて、流れる音が変わったな………と感じると
川床の風情が深まっていた。
そして水も透明度を増してきた。

沿道の花に秋の気配を感じる。

119 佃橋

見掛けは小さいが都心の大動脈、環状八号線を渡します。
井の頭線高井戸駅の下を流れる。

「佃」には「荘園内における領主・荘官・地頭の直接経営地」の意味があり、そういう土地だったのかもしれない。

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今日はここまでで帰ることにしよう。

詳細写真集デジブックをご覧ください





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