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zoom RSS 江戸城の北の丸を歩く 牛ヶ淵・九段坂

<<   作成日時 : 2015/03/21 19:46   >>

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画像3月11日、「大江戸歴史散歩を楽しむ会」今回は九段下交番前に集合し、まずは九段坂を上った。
坂の上り口には「昭和館」がある。この昭和館と内堀通り沿いの「九段会館」あたりまで江戸時代には江戸幕府の洋学研究教育機関・「蕃書調所」 置かれていた。
1853年(嘉永6)のペリー来航を契機に幕府は外交・軍事面の充実を図り、その一策として洋学を取り扱う機関の設置を計画した。それまで西洋の学問は「蘭学」だけでした。55年(安政2)洋学所という仮称のもとに頭取(とうどり)古賀謹一郎を中心として準備が開始され、56年蕃書調所という名で開業、57年1月授業も開始された画像。同所の任務には、洋書洋文の翻訳・研究、洋学教育、洋書・翻訳書などの検閲、印刷・出版、一部の技術伝習があった。のち神田一ツ橋通りに移転して、洋書調所、さらに開成所と改称しています。明治政府が管掌することになり、明治2年(1869)に大学南校(本校は昌平坂にありこれはその南の分校)、開成学校と改称した。このように蕃書調所は現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身といえる。

昭和館

画像

「昭和館」って国立の博物館なんだ。全く知りませんでした。
ホームページはこんな紹介が掲載されていました。
昭和館は、主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃までをいいます)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設です。


画像九段会館
九段下の九段会館、外観が目立つ建物だから、ホール、ホテルや結婚式場の運営程度の知識はあった。今日つらつら眺めながら知ったことだが、これが軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的とした「軍人会館」と呼ばれ、二・二六事件では戒厳司令部が置かれたとか、ここで大政翼賛会の結成式があったとかいう、いわくある建造物とは驚いた。太平洋戦争後の運営は財団法人日本遺族会であって「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」(昭和28年法律第200号)により、本来は国の財産であるが会に無償貸与していた。ところが、東日本大震災が発生し、天井仕上げ材の一部崩落で2名が死亡、26名の重軽傷者が出た。この事故を受け、日本遺族会は会館の営業を終了し、建物を国に返還することを決定している。
それでどうなるかというと
国が九段会館の土地を民間事業者に貸し付け、民間事業者が九段会館を取り壊して、高層建物を建設、運営することになっている。

九段坂・今昔

九段下から坂を見上げれば上の写真のようになだらかな勾配である。
ところが………

江戸名所図会 『飯田町 九段坂 中坂』

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この絵の左側の坂が九段坂で四谷御門の台地より神田方面俎橋(まないたばし)までの傾斜地である。「九段」のいわれは、江戸城吹上庭園の役人の官舎が坂の途中に9棟並んでいたからとも、江戸時代、急坂で九つの石段上の坂であったからもいわれている。牛ヶ淵の崖っぷちを通る細くて寂しい道で、絵にも石を横に連ねた階段が見え、車馬の通れない急峻であった。坂上は月見の名所であった。

余談だが
池波正太郎・『鬼平犯科帳』第十巻「五月雨坊主」(154ページ)に木村忠吾が「俎板橋のたもとに出ているだんご屋で餡ころ餅をしこたま買いこみ」というくだりがあるが、この絵にもそれらしい建屋が見えるから面白い。

安藤広重   『東都坂尽    九段坂・飯田町』 
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左上に田安門が見える
左手の牛ヶ淵を基点とすればのこの急坂振りには驚かされる。御用屋敷に品物を運ぶ荷車には「押屋」が欠かせず、人足がたむろして小遣い稼ぎにやっていた。

明治2年招魂社が建立されたとき、石の階段を取り除いて平らな長坂にし、神田神保町から俎橋を渡る現在の靖国通ができ、車が上れるようになった。しかし、坂が急峻なため、引き続き坂下には1 銭で車の後押しをする商売が繁盛した。

九段坂にこんな路面電車が!!! 
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明治40年(1907)に東京の市電は開通したが、九段坂の勾配では路面電車は登れないため、その後、外濠線の市電専用道路を設け、牛が淵、千鳥ヶ淵沿いを走っていた。

この写真はおそらく田安門から牛ヶ淵・神田方面を見下ろしたものでしょう。



渡辺功一リーダーが説明されているのは田安門方向への上りですね。田安土橋をトンネルにして架線しています。(画面をクリックすれば写真は拡大されます)

関東大震災後の帝都復興事業で九段坂の頂上の大幅な掘り下げと拡幅工事を行い、昭和8年(1933)に完成し現在のようになだらかな坂になり、昭和45年まで靖国通りの九段坂真ん中を路面電車が走っていた。
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田安門内大銀杏
武道館前、石積みで3メートル位の高さに積み上げられた土塁上の銀杏を見上げる。しかし、実際には積み上げたのではなく、もともとこの高さまで地面があったものを、九段坂の勾配を緩やかにするために銀杏だけを残して全体を掘り下げた事跡である。
大掛かりな工事だったことが偲ばれます。








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