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船戸与一 『満州国演義9 残夢の骸』 氏の訃報と同時に読了した畢生の大傑作
船戸与一 『満州国演義9 残夢の骸』 氏の訃報と同時に読了した畢生の大傑作 満州国の誕生から崩壊まで。五族協和の夢が骸としてさらされるまで。侵略を美化する八紘一宇の驕りと欺瞞が完膚なきまでに叩きのめされるまで。「満州国演義」はここに完結した。3月には日本ミステリー大賞を受賞している。 ...続きを見る

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2015/04/23 12:51
松永富士見 『魂の一行詩 バレンタインデー』  10年の集大成に見る高校同期生の素顔
松永富士見 『魂の一行詩 バレンタインデー』      10年の集大成に見る高校同期生の素顔 松永富士見さま ...続きを見る

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2015/04/20 23:57
新・神田川遡行 5 和泉橋界隈
新・神田川遡行 5 和泉橋界隈 古地図を見れば。 浅草御門から筋違御門(すじかい)までは、北岸には船荷の集積地である「河岸」が連なり、いまでも神田佐久間河岸と呼ばれる。南側は土手が築かれていた。土手上には柳の木がずらりと植えられて、柳原土手とか柳原堤と言われていた。 北も南も町家が広がりを見せているが中で「伊勢津藩主・藤堂和泉守高猷(たかゆき)」の大名屋敷が目立っている。 また柳原土手には「柳森稲荷」が見える。 ...続きを見る

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2015/04/07 17:01
江戸城北の丸を歩く 3 北の丸公園を清水門・竹橋へと
江戸城北の丸を歩く 3 北の丸公園を清水門・竹橋へと 武道館まえの大駐車場の奥に戦後20年間、学生寮があったという。その当時、学生の自治寮といえば学生運動の根城だったろうに、そんな左翼のアジトが皇居という対局の懐にあったとは全く知りませんでした。これこそ獅子身中の虫だったはずだが、当時東京の学生であったわたしには各大学にあった学生寮はともかく、ここになんかのセクトが住み着いて騒動があったという記憶はない。 ...続きを見る

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2015/04/05 23:45
新・神田川遡行 4 左衛門橋.・美倉橋界隈
新・神田川遡行 4 左衛門橋.・美倉橋界隈 左衛門橋 神田川も上流に行けば市街化が急速に進んだため次々と架けられる橋の名前には安直につけたとしか言いようのないものが多くなるのだが、古くからある橋については橋名の由来を辿るのも神田川遡行の楽しみでもある。 新・神田川遡行で使用している古地図は安政3年(1856)の実測復元地図です。 この古地図の当時にはまだ架けられていませんでした。実はここ北側には明治維新まで出羽鶴岡藩(庄内藩)………藤沢周平作品の舞台ですね………大名・酒井左衛門尉忠発の下屋敷があり、近辺の河岸は「左衛門河岸」と呼ばれ... ...続きを見る

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2015/04/05 12:18
新・神田川遡行 3 浅草橋界隈
新・神田川遡行 3 浅草橋界隈 浅草橋の成り立ち 江戸幕府開府に伴い江戸の町づくりが進められ、その一環として江戸城防衛のため重要な拠点に見附門を設置した。 特にこの地は、日本橋から奥州街道・日光街道・水戸街道へ、又、江戸の古刹浅草寺(浅草観音)へ向かう重要な道筋にあたっていた。 このため幕府は寛永13年(1636)神田川の南岸、今の中央区側に浅草御門を設け、警護の役人も置いて見附門としたのである。越前国福井藩主の松平忠昌(徳川家康の二男結城秀康の子)が元初音森神社の跡地に築いて警護に当たった。 外濠の最北東を防衛する重... ...続きを見る

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2015/04/01 20:09
新・神田川遡行 2 柳橋界隈
新・神田川遡行 2 柳橋界隈 柳橋欄干から隅田川を観れば右手に両国橋 柳橋界隈は行政区として台東区、中央区、千代田区が入り組んでいるが、この場所は中央区東日本橋と台東区柳橋の境界にある。「柳橋」の由来についてはいろいろな説があって真説は不明だ。もともとは神田川が大川に流れ込むところにあるので「川口出口之橋」という名称であったが、ほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになったという説がもっともらしい。元禄11年(1698年)に初めて架橋されたが、現在の橋は関東大震災の後につくられた鋼鉄製のもの。... ...続きを見る

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2015/04/01 00:42

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日記風雑読書きなぐり 2015年4月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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