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zoom RSS 新・神田川遡行 15 江戸川橋より駒塚橋

<<   作成日時 : 2015/07/07 15:30   >>

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6月27日。このところ雨の降り続く日が続いたが、今日は梅雨の合間というタイミングか、午後には降りやんでいた。第四回神田川逍遥会は江戸川公園入口に全員が集合した。

江戸川橋

江戸川橋は目白通りを渡している。北へまっすぐにいくと護国寺に突き当たって、かつては音羽通りと呼ばれていた。
音羽通り」の由来
天和元年(1681年)2月7日、五代将軍徳川綱吉は生母桂昌院(家光の側室)の願いをうけ、護国寺を創建、この通りは将軍御成道とされた。通りに面した町家も綱吉が開いたものだが、この町家になかなか家作人が集まらなかった。そこで、元禄10(1697)年になって、桂昌院に使えた奥女中音羽に家作が与えられた。 音羽は綱吉の期待に応える働きをしたのだろう。

音羽通りは、東の小日向台と西の目白台の狭間であり、通りの左右には、かつて神田川に注いでいた弦巻川(布引川・左)と水窪川(鼠ヶ谷下水.右)の二つの流れがあった。江戸時代には豊富な水量を活かし、紙すきが、代表的な産業として発展していた。 このあたりの神田川流域に紙関連産業が集中している歴史上の基因である。

ところで、神田川逍遥会のメンバーのM女さんによれば
○丁目という地区名は一般的に江戸城にちかいところから一丁目、二丁目と数を繰り上げて作られているが、綱吉の生母様の念持仏を本尊とした特別な寺社である。つまり将軍の思い入れことのほか強く、護国寺から始めて一丁目とし、江戸川橋は音羽九丁目と逆順に定めてあった………と。
古地図は確かにそうなっている。
綱吉のマザコンぶりがうかがえられて、なるほど、面白い!!!

橋の南詰にあった町名案内板 エッ ここは文京区だった。

せっかく記されている地図だが、東西南北がイメージしにくいため首をひねって眺めることになる。この場合は、やはり北方向は上にするべきだろう。
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文京区の上図由来板の説明文は構文上何を言いたいのか判然としないのだが、「現在の関口一丁目は昭和41年までは関口水道町といわれていた」というのが本筋だろう。さらに「ここは昔から文京区の管轄下にありますよ」と誇り高く主張しているではないか。神田上水を清潔に保つ役割は現在の文京区民が果たしていたんですね。新宿区民ではない。これは新しい発見だ。なぜなら最近の地図には行政区境が書かれていないので、わたしはてっきり神田川は文京区と新宿区の境にあって、関口水道町を含め、川の南はすべて新宿区だと今の今まで思い込んでいたのだ。
説明板の最後の下りは重要でありわかりやすい。
「江戸時代には水番所があり、大洗堰の神田上水の水門の差蓋卸役を勤めていた。上水の管理運営に当たる人が住んでいたので、水道町の町名ができたといわれる。」
ややこしいことに下流の石切橋の南には「新宿区の水道町」もあるが、説明板から推論すれば、新宿区の水道町という町名は神田上水管理とは関係なかった。

わたしもそうであったが、メンバーの一人M男さんは江戸川橋がここにあるとは思いもよらなかった、腑に落ちるのに時間がかかった、と正直な感想を述べている。だから彼も神田川の南は新宿区だと思い込んでいたかもしれない。

画像上流より見た江戸川橋
江戸川橋分水路は二つの吞み口を持っている。本流と同じぐらいの水路幅だ。ここから船河原橋まで暗渠の水路がバイパスをなす。

写真左端、枯れかかったツタの下に小トンネルがぽっかりと口をあけているが、これはもとをただせば音羽通り沿いの弦巻川(布引川)の暗渠跡で今は雨水の吐口になっているらしい。橋の向こうには同じように元水窪川(鼠ヶ谷下水)の名残りが見られる。

画像右画像は一年前の同じ場所
一年前と比べると雨降りが続いたせいか、汚いゴミは目立たなくなって、悪臭もさほどではない。とはいえ、濁ったままの水は流れているようには見えない。川幅が広く、川下との高低差がなくなったこのあたりでは流れが滞りがちだ。天候次第ではゴミがたまりヘドロが堆積し、暗渠口や分水路から臭気が湧き上がることはあるだろう。東京湾の潮の干満の影響がある。元弦巻川暗渠口の上部にあるツタが常に枯れているのはよくないガスのせいだろうか。
そんなことを思うと、神田上水取入れを遠方の関口に設けたこと、さらに船河原橋の「ドンドン」と呼ばれた落差で潮の影響を遮断したのは、先人の恐るべき知恵であったかと驚嘆する。


画像江戸川公園
神田川沿いに江戸川橋から椿山荘冠木門まで、関口台地の南斜面に江戸川公園が広がっている。昭和59年(1984年)に神田川の拡幅工事に伴い改修された。新しい都市型公園ではあるが、懐深く新緑に囲まれると、森の中を歩く爽やかな気分になって、梅雨時の不快な湿気を忘れさせてくれる。勾配を利用したスロープ、桜並木、花壇、様々な重量感のある石が添えられた広場や清流、西洋風の山小屋を模した時計搭のある四阿、藤棚のあるテラスなど、変化に富んだ景観を楽しめる。ゆったりとくつろぐ家族の情景もある。数ある神田川の遊歩道でも一番好きなところだ。
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一休橋

頭上を覆っていた首都高5号線の憂鬱な高架も江戸川橋までで北にそれた。少し残った早稲田ランプまでの高架もここで終わる。

神田川の景色は一変した

これが神田上水のポイントとなる史跡だ

まず神田川のおさらい
水源は武蔵野の井の頭池で,途中善福寺池から流れ出る善福寺川,妙正寺池から流れ出る妙正寺川の2流を合わせ,淀橋で玉川上水の助水を入れた。井の頭池から江戸に入るここ目白下大洗堰まで5里足らず,さらに関口水道町,小日向水道町,金杉水道町の3町を通り水道橋に至る。ここまでが「開渠」で水元と呼ばれる。ここから「掛樋」で神田川を渡し江戸城郭内に入る。これ以遠は江戸内と呼ばれ,暗渠で郭内から江戸の町々,寺社に配水された。
徳川家康の命によるこの上水道工事の要所がここ「目白下大洗堰」である。大洗堰は大滝橋あたりにあった。

目白下大洗堰 江戸名所図会
運河と見まごう大規模な治水事業です。流水が滝となって落ちゆくさまは壮大だ。
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神田上水旧跡碑記
「昭和13年 東京市」がこの碑を残しています。
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徳川氏府を江戸に開くの初、大久保主水忠行命を受けて上水開設の土を起こし多摩郡井之頭池の水を用いこの地に堰を設けて神田より市中に給水す。神田上水即ち是なり。この地は地勢高峻老樹蓊蔚たる目白台下の景勝に位し亦四季の景物に富めるを以って古来江戸名所として聞こえる事久さし。俳聖芭蕉嘗て上水道修築に従いてここに寓し遺址今に伝えて風流の余韻を慕うもの少なからず。
大正8年付近水道付属地を江戸川公園と為し上水史跡の保存に努めしが昭和12年3月江戸川改修の工成るに至って遂に旧観を失えり。すなわちこれに旧洗堰遺材の一部を用い碑を建て由来を刻し以って追憶の資となす
昭和13年東京市

家康から命を受けた大久保主水であるが、家康から水は清らかであるべきもの、「もんど」と濁ってはならない「もんと」と名のれと言われたそうだ。

神田上水取水口の石柱
上流の流水量を調整する石柱で、当時のものをここに再現した。
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井の頭池を源流とするわが国最初の神田上水は関口の大洗堰(現在の大多喜橋=大滝橋)あたり)で水位をあげ、上水路(白堀)で水戸上屋敷(現在の後楽園一帯)に入れた。そこから地下を樋で、神田、日本橋方面に給水した。この大洗堰の取水口に、上流の流水量を調整するため「角落」と呼ばれた石柱が設けられた。ここにある石柱は当時のもので、昭和8年大洗堰の廃止により撤去されたものを移した。なお上水をとりいれた余水は御茶ノ水の堀から隅田川へ流された。
昭和58年12月 文京区役所


画像大洗堰 さまざまな風景
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当時の風景を思い描きながら貴重な史跡を楽しみました。

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水車小屋もあったんですねぇ。淀橋にもあったから神田川には二か所に水車があった。粉曳水車が火薬製造にも使われ事故を起こしたことがあった。

















上から見ると

大洗堰の画像はいくつもあるのだが、みな滝に見立てるアングルなので肝心の取水装置がよくわからない。
古地図をよくよく見ると西側からの流れを堰き止め、水位をあげて、北側の取水口から白堀へ流し込んでいる。
下の画像はその構造を図にしたもののようだが、左右が逆に書かれている?
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大滝橋
「大滝」は大洗堰の滝のような流れを見立てたのであろう。














安藤広重 名所江戸百景 「せき口上水端はせを庵椿やま」( 関口上水端・芭蕉庵・椿山)

ズバリ、このあたりの風光明媚ですな。
関口大洗堰はこの絵の数百メートル下流にある。
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神田上水旧跡碑記
「この地は地勢高峻老樹蓊蔚(おううつ)たる目白台下の景勝に位し亦四季の景物に富めるを以って古来江戸名所として聞こえる事久さし。」
俳聖芭蕉も愛した名勝だった。

この広重の絵の「椿山」。目白台の傾斜地は昔から椿の名所だった。日本庭園が美しい「椿山荘」は有名だが、太田道灌が椿の陰に伏兵が潜んでいるから用心せよと命じた逸話もあるくらいだからかなり古い。古地図に見るとおり江戸時代には黒田淡路守の中屋敷となり、裏山一帯を椿山とよんでいた。明治維新に山縣有朋の邸宅として払下げられ、その後関西の政商藤田平太郎男爵が買収、現在はその関連企業である藤田観光が所有している。

江戸川公園は大滝橋までだが左岸に沿ってそのまま歩道を進むと右手に椿山荘の冠木門
がある。その先が芭蕉庵で大きな芭蕉が塀越しに葉を広げている。

画像駒塚橋
神田川の流れもこのあたりから透明感が増して鯉や小鳥が遊ぶ様子を見ることができる。








>今年4月に撮影した江戸川橋界隈の桜






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