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zoom RSS 新・神田川遡行23 新堀橋より柏橋

<<   作成日時 : 2015/10/18 00:20   >>

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画像46番新堀橋から47番せせらぎ橋は近い。オヤ!蝉の鳴き声に混じって瀬の走る音が聞こえてきた。川床を見ると細かい段差が並べられ流れが音を奏でる仕組みになっている。粋な演出です。神田川を遡ってきましたが「せせらぎ」を聞けるところはあまりなかった。
せせらぎ橋
左岸に「せせらぎの里」公園(Click!」がある。子供達のための池や水遊び場があって、近隣の人達の憩いの場にふさわしい清潔感ある都会風な「親水公園」です。私たちも一休み。
この下には「落合水再生センター」の水処理施設がある。人工の地盤上につくられた公園で昭和62年(1987年)にオープンしている。もともとせせらぎの里は高度に処理された水が主役なんです。
落合水再生センターは8月11日に見学を予定してあるのでその際にじっくりと勉強しよう。
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せせらぎ橋からの遊歩道は左岸(写真右手)に落合水再生センターの敷地が広がり右岸(写真左手)は戸建て住宅が軒を連ねる。両岸は桜の並木で枝が川面まで伸びている。
私たちは住宅地のほうを歩いていく。
画像去年おいしいコーヒーをいただいた喫茶専科ラ・フールが同じように遠慮がちなたたずまいを見せておりました。でも今日は休業日でした。
里程標もちゃんとあった。

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久保前橋
久保前橋の西側は、「落合水再生センター」の施設が続き、ここから歩道橋のような階段が施設上にある「落合中央公園」(Click!)に続いている。 落合中央公園は、昭和39年の処理場建設当初から、住宅地ということを考慮して、臭気を防ぐために処理施設をコンクリートでふたをして、その上に公園を設けるという画期的な設計で、現在はコンビネーション遊具やスプリング遊具など子どもにも魅力あるエリアのほか、ジョギングコースや健康遊具を整備、雨天後でも使える人工芝の野球場、またテニスコートなどを備える複合的な公園になっている。

誰かが「臭いな」とつぶやいた。たしかにこの橋あたりで嫌な臭気が漂っている。鉄柵越しに汚水か雨水か排出口がのぞいている。「水再生センター」の真正面であり、ふさわしいものではないのだが、どうしてここにあるのだろうか。

寄り道 「寒天工房 讃岐屋
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去年と同じ上品なおバアチャンがにこやかに出迎えてくれました。もっとも、われわれも71歳のジジババなのだが………。川沿いの住宅地内にある甘味処です。知る人ぞ知る隠れた店ですから、メンバーは大喜び。私たちグループで客席は満杯。あんみつをおいしく味わうことができました。
今日は遅れてきたM男さんとはここで合流。

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小滝橋(おたきばし)
早稲田通りを渡す大型の橋梁です。
この橋は江戸時代には「姿見の橋」と呼ばれていたそうだ。
そのわけだが………
小滝橋交差点に巨大な三角錐のモニュメントが据えられている。
「お滝橋にまつわる昔話」が二つ書かれている。その一つ目。
〜中野長者,鈴木九郎の話〜
昔,紀伊国(和歌山県)から鈴木九郎(九十郎)という浪人が流れ流れて中野のあたりに住みつきました。九郎はふとしたことが縁で金を蓄えることができ,数年のちには金銀が蔵に満ち溢れるほどになって,近くの者は彼を「中野長者」と呼ぶようになりました。
九郎は家から少し離れた森に紀州熊野から神さまを勧請し、十二の社からなる神社を建てた。九郎も在家のまま神仏をお祀りする修行者となった。
ところが,財宝はあればあるほど気になるもので,この宝をどこかに隠して置こうということになり,下男に背負わせては森に行き穴を掘って隠していました。
しかし,仕事を手伝った下男たちが,いつか変心して盗むかも知れないと疑い始め,下男たちが森から戻るとき通り路の橋の下まで来ると,斬り殺して川の中に突き落としていました。
この財宝隠しが一段落したしたころ一人娘の縁がまとまり,婚礼の儀の夕,犬の遠吠えがつづいたかと思うと突然空に黒雲がわき上がり,雷鳴がとどろきました。
見ると長者の娘は一匹の蛇に化け,十二社のかたに飛ぶように走り去り,川におどり込んでしまいました。父の九郎はすぐに後を追っていったところ,今の淀橋の上で姿が見えなくなってしまいました。
そこで川を下って探すと今の小滝橋のあたりで死骸が見つかったということです。
それから淀橋のことを「姿見ずの橋」,小滝橋のことを「姿見の橋」というようになったと伝えられています。
長者は,罪のない下男たちを,自分の欲望のために斬り殺したむくいの恐ろしさを目のあたりに見て,悔い改め,髪を剃り,正蓮と名を改めました。
土中に埋めた財宝はこれを基にして,自分の邸を寺にし,このお寺が多宝山成願寺といわれています。

これが世にいう「中野長者伝説」だ
草深い湿地帯の中野郷はここから発展が始まった。
黎明期の中野を語ってスケールがでかい。
成願寺あり、熊野神社あり、十二社ありで、いかにも実話風に聞こえる。
艱難辛苦の成功譚、その陰にあった仏の慈悲、強欲者に変貌したあげくの人殺し、親の因果が子に報いの因果応報、仏のご利益と罰、再生と感謝。仏教的無常観、儒教的倫理観、浪花節的人情論と庶民が愛する伝奇伝承ロマンのエッセンスがてんこ盛り。実に面白いではないか。

ところがわたしは知らなかった。尋ねたところこのメンバーではM女さんだけがご存知だった。彼女は神田川沿いで育ったから知っていたのだろうが、ほかの人は誰も知らなかった。ということは広く長く伝播するはずの回路のどこかが中断されてきたのだろう。中野区民には広く知ってもらいたいとこの碑は告げているように見えた。

「鈴木九郎は和歌山の人か。」
なるほどと、M男さんがつぶやく。
日本に200万人を超すといわれる「鈴木さん」。そのルーツを遡ると世界遺産である熊野に繋がる。  「鈴木」は熊野地方において神官を受け継ぐ家系であり、全国にいる鈴木さんの故郷なのだそうだ。鈴木九郎という男、義経の東下りに随行した熊野神官の流れをくむ人物らしい。
M男さんって見かけとは違うところのものしりだなぁ。

「お滝橋にまつわる昔話」の二つ目。
 〜油屋の小僧さんの話〜
 昔 吉祥寺に油屋さんがありました。その油屋さんの小僧さんが或る日のこと,井の頭の池のほとりで草を刈っておりました。すると小さな蛇が出てきて,チョロ,チョロ邪魔をするので小僧さんは鎌でその小さな蛇を斬ってしまったそうです。
するとその小さな蛇の血が井の頭の池に流れ込んだそうです。池は見る見るうちに真赤となってしまい,神田川は三日三晩血が流れたそうです。
それからしばらくして小滝橋の関に大きなアゴの骨がひっかかったそうです。その骨は大蛇の下アゴであったそうです。
井の頭の池に棲んでいた大蛇が,小さな蛇に化けて小僧さんをからかったところ,鎌で斬られてしまったそうです。そのアゴは今でも柏木の或るお寺に大切に保存されていると言われています。
蛇は神様だったのか?小僧さんは祟られなかったのか?なにを言いたいお話なのか?と問い詰めたいところだが、まぁイッカ。

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 「新宿区立神田上水公園」 
「神田川」公園ならともかく、このあたりで「神田上水」なんて呼称がでてくるとギクリとするのは私だけではないだろう。

ここ49番小滝橋より52番大東橋まで右岸の遊歩道は親水公園として美しい意匠で整備されている。
落合水再生センターより放流された水が岩肌を縫って、渓流のように流れる………神田上水をイメージしたものであろう、素晴らしい………去年はこんなだった。 (Click!)
ところが今日はなぜか水不足だった!

ここから62番菖蒲橋(あやめばし)までは神田川は新宿区(右岸)と中野区(左岸)の区境を流れます。
神田川の環境整備に新宿区と中野区ではどちらがカネをかけているかがうかがえる。桜の枝の張り具合を比べると新宿区が勝ちのようですね。

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亀齢橋
「神田上水公園」は桜並木が際立って美しい桜の名所である。
春には亀齢よりきれいな沿道であろう。

大人が使う健康器具のような遊具もある珍しい公園です。

南小滝橋
太い木目の親柱が目立つ橋だ。

大東橋
神田川第52番目の橋
新宿区立神田川上水公園は大東橋よりここまでの600m。いいところでした。
中央線東中野駅が近い。
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画像
ニョッキリとだいぶ前から見えていたこのツインタワーは近くによると大東橋を睥睨している。大正9年(1920年)に当地で創業した日本閣の用地が新たに再開発されものだ(2007年)。高さ約100メートルの高層マンション2棟(ユニゾンタワー東中野<写真右 高層賃貸マンション>とパークタワー東中野<写真左 高層分譲マンション)とリニューアルされた「West 53rd 日本閣」からなっている。ショッピングモールもある全体をユニゾンスクウェアと呼んでいて東中野駅とつながっている。
橋を通り越してもしばらくは後ろを振り返ればいやでもこれが目に入る。

画像万亀橋
中央線を潜り抜けるとこの万亀橋だ。
江戸時代の地図にも名前は書いていないがこのあたりに橋が架かっていた。
大亀の甲羅を思わせるこの親柱、重量級の石造りで貫禄を見せている。修築前のものを活用する精神がいい。


画像新開橋
左岸中野側には落ち着きのある低層住宅が並び庭庭には季節の花々が顔をのぞかせている。右岸新宿側は神田上水公園の延長で桜並木が続いていた。

柏橋
古地図によれば東側一帯は「柏木」と呼ばれたていたため
「柏橋」と名付けたのだろう。
欄干には大きく「柏の葉」をデザインした鉄板が埋め込まれている。

画像古地図で見ておきましょう。

神田上水の周りは田圃と畑しかありません。
流路は今とほとんど同じです。
東は柏木村 西は中野村。
小滝橋と淀橋の間には万亀橋だけです。小滝橋伝説には娘さんの死体や蛇の骨の両方とも小滝橋から上がってきますが、人目のある橋はこの橋に限られていたんでしょう。


大きい地図で見る



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