日記風雑読書きなぐり

アクセスカウンタ

zoom RSS 小名木川探訪 江戸の水運・小名木川を歩く 1

<<   作成日時 : 2015/10/31 18:46   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像大江戸歴史散歩の会の新しいテーマは「江戸の水運・小名木川を歩く」だメンバーの一人、このあたりの水路の専門家である新居正夫さんのガイドでじっくりと探訪する。
10月14日 都営新宿線東大島口に集合して、小名木川が旧中川に接する中川番所跡あたりからスタートする。
ところで小名木川とはいったいどんな川であるか?
東京都江東区北部を流れる川で旧中川から隅田川を結ぶ運河。途中横十間川、大横川と交差する。
画像

天正18年(1590)江戸に城郭都市を作ることになった徳川家康は第一に兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)まで砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった。そこで江戸城のおひざ元まで直結する物資輸送路として、小名木四郎兵衛に命じて小名木川を開削させた。江戸に通じる最初の運河といわれる。同時期に中川より東に船堀川(新川)が開削され江戸川に通じた。また江戸城の和田倉門から開削された道三堀が日本橋川から隅田川に通じた。小名木川は家康が下総国行徳産の塩を江戸へ運ぶために開いたとされているが、それだけではなく、結果的には東廻りの船が利根川から関宿へ上り、江戸川を下ってこのルートを運航する要路が完成したことになる(奥川廻し)。このようにして小名木川は北関東・東北地方から江戸へ物資輸送・交通の大動脈となった。

右上図は「中川船番所資料館」に展示されたパネル。船は酒樽を載せ、船堀川から中川を横切り、江戸城下に向かって小名木川へ入ろうとしている。

<参考>江戸運航の大動脈
画像

江戸の水運は、渡良瀬川、鬼怒川など幾筋もの川を集めて銚子で太平洋に注ぐ利根川水系と、秩父山地に発して、川越の新河岸と合流する隅田川を分流させ、東京湾に注ぐ荒川水系の二つが主なものだ。
利根川水系だが江戸幕府はそれまで南へ流れて江戸湊に注いでいた利根川?(渡良瀬川?江戸川?中川?)を当時の常陸川に合流させて太平洋銚子沖へ出る流路を作った。その途中で「関宿」を分岐点として利根川と江戸川に分流、江戸川は行徳から小名木川を通って隅田川に繋がる。米や醤油、銚子の魚、とくに干鰯(ほしか)を大量に江戸へ輸送するのに重要な役割を果たした。
この画像は関宿にある千葉県立関宿城博物館のパネルであるが、銚子から川舟によって利根川を上り、関宿から江戸川を経て舟堀川(現在の新川)<船堀川はこのパネルでは省略されている>と小名木川を通って隅田川に至る航路がよくイメージできる。
鮮魚は快速便が必要だ。銚子から猪牙(ちょき)舟に積み、三丁艪でとばして利根川を上り、木下(きおろし)から陸路、木下街道を鎌ヶ谷経由で馬の背につけて行徳まで運び、再び舟に積んで小名木川から隅田川に出て日本橋魚市場へ至るという順路で運んだ。
東廻り航路で銚子へ来る仙台米は、銚子で高瀬舟に積みかえ、関宿・江戸川・小名木川を経て、深川仙台掘の仙台藩の蔵屋敷へ送られた。この行程では3日かかったそうだ。

画像
旧中川・川の駅
旧中川と小名木川との合流地点、中川番所があったあたりは「旧中川・川の駅」として整備されている。
実は小生の孫が水陸両用バスに乗りたいと言っているのだが、「スカイダック」という観光バスで、この場所から旧中川をほんの15分程度遊覧するだけらしい。あまり魅力はないな。

小名木川の基本知識は「中川船番所資料館」で勉強するのが一番だ。  
画像


資料館の展示は3Fから下に降りていく順序で、エレベータが開くと中川番所の再現ジオラマが現れる。原寸大の荷船には茨城産の酒が積まれている。番所の役人が声をかけてくる。面白い仕掛けです。
画像


画像
資料館のパンフ
江東区大島9丁目1番地は『江戸名所図会』や各種の江戸図から中川番所跡地として推定されていました。平成7年、同地において土壌処理作業が行われた際、多数の瓦片が出土したため、土地所有者の日本化学工業鰍ェ主体となって、江東区中川船番所遺跡発掘調査団が組織され、番所の礎石の一部や柱材・硯や下駄などを発掘しました。
中川番所は寛文元年(1661)」に小名木川の隅田川口にあった幕府の「深川口人改之御番所」が移転したものです。
番所では小名木川のそばに番小屋が建てられ、川を通行する船を見張っていました。主に夜間の通船、女性の通行、武器・武具の取り締まり、船で運ばれる荷物を検査しました。
中川番所が置かれた場所は、中川と、番所の手前を流れる小名木川、そして行徳へとつながる船堀川が交差する地で、利根川や江戸川などの河川を通じて江戸と関東を結ぶ重要な場所でした。
「通ります通れ葛西のあうむ石」と川柳に詠まれたように、通船の増加のより通関手続きは形式化していったようですが、幕府の流通統制政策に基づき、江戸へ入る物資の改めを厳しく執り行っていました。

画像江戸名所図会 「中川口」
「中川番所」、川の関所の中に3人の侍。ただ座って外を向いて、庭には対面者がいない。のんびりと往来する船を眺めている。このように江戸後期になると番所の役割も形骸化したようだ。
図会の手前を東西に流れるのは小名木川、左奥からこちらへ南北に流れているのが中川だ。小名木川は中川と交差し、図会では分かりにくいが船堀川(新川)となってさらに東に流れていた。船堀川は江戸川に合流し、江戸川は江戸湾に注いでいた。 図会の本文には「中川  隅田川と利根川(江戸川を利根川と呼んでいた)の間にはさまれて流るる故に、中川の號(ごう)ありといへり」と紹介されている。
図会の左上には中川に浮かぶ帆を揚げた高瀬船が見える。

関宿城博物館展示 高瀬舟

利根の川風、袂に入れて 月に掉さす高瀬舟〜〜
玉川勝太郎の「天保水滸伝」
故郷が潮来に近いところだったので
子供のころによく聞いたものだがこれが高瀬舟か!
乗っている船頭に比べるとかなり大きい。
画像

画像
歌川広重 「名所江戸百景 中川口」
図、左右の流れは中川で下から上へ小名木川から船堀川(新川)
左下は番所の木戸らしい。
筏流し、商人や旅人の運航、釣り船も見える。


江戸時代にはこのように南北(小名木川と船堀川)の流れと東西(中川)の流れが交差していたが、現在では船堀川(新川)の流路は途切れている。小名木川河口の向かいは大島小松川公園の緑地帯が整備されている。そこに「小松川閘門跡」という建造物の遺構がある。

小松川閘門跡(こまつがわこうもんあと)
中川大橋を渡り大島小松川公園の丘を登る。大島小松川公園という小高い丘。1973年、東京都が化学工場跡地を買収した際有害物質の六価クロムが大量に埋められていることが明らかになり大騒ぎになったが、そこに盛り土をしてこの緑地ができたものだ。
目の前に中世ヨーロッパの城壁を思わせる遺構が見える。両側に閘門を支える構造体があり、それをつなぐ形で閘門の上に通路がある。閘門の本体そのものは、土中にあるので、見ることは出来ない。

新居さんが当時の写真でわかりやすく説明してくれた。
並行した二つの川に高低差がある場合、そのままではその川を接続する航路を開削することは難しい。そこで流路の両側に水門を設け、それぞれを交互に「開」「閉」することで船の運航を可能にする仕組みが「閘門」である。この小松川閘門は荒川と中川を接続する水路の中川側の遺構なのだ。
画像
旧小松川閘門について東京都の説明を見ておこう。
この建物は、その昔、小松川閘門と呼ばれていました。
閘門とは水位の異なる二つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のことです。
川は、現在のように車などの交通機関が普及するまでは、大量の物資(米、塩、醤油など)を効率よく運べる船の通り道として頻繁に利用されました。
ここは、その船の通り道である荒川と旧中川との合流地点でしたが、たび重なる水害を防ぐために明治44年、荒川の改修工事が進められ、その結果、水位差が生じて船の通行に大きな障害となりました。
この水位さを解消させるために昭和5年、小松川閘門が完成し、その後、車などの交通機関が発達して、船の需要が減少し閉鎖(昭和50年代らしい)に至るまでの間、重要な役割を果たしました。
本来、この閘門は、二つの扉の開閉によって機能を果たしていましたが、この建物はそのうちの一つで、もう一つの扉は現在ありません。また、この建物も全体の約2/3程度が土の中に埋まっていて昔の面影が少ないのですが、今後、この残された部分を大切に保存して周辺地域の移り変わりを伝えるのに役立てる予定です。(東京都)


ところで現代の「中川口」を確認しておくと
画像

このように今は荒川と中川が広がるが古地図ではどうか?

この古地図にある通りでかつてはこの流れはなかった。
濃い青で書かれた流れが江戸末期のもので、薄い青で書かれた流れが現代の流れである。


画像


画像大島小松川公園の東に進むと眼前に荒川の流れがある。ドーンと圧倒的に水面が広がっている。向こう岸のグリーンベルトには首都高速中央環状線が並行して走る。その先に中川がある。
私の家の近く、志木と浦和の境を流れる荒川とは全く姿が異なる。いま見える荒川はスケールがはるかに大きいが整備が行き届いて、実質的にはコンクリートの護岸壁で守られた「人工水路」なのだ。左手のビルの下には江戸川へ通じる新川が昔の名残をとどめている。

江戸時代にはここに荒川はなかった。
江戸時代の初期に荒川を利根川と分離する付け替え工事が行われ、荒川は入間川の支川の流路と合わせ、隅田川を経て東京湾にそそぐ流路に変わった。
明治43年の大洪水をきっかけに荒川放水路の建設が始まった。北区岩淵に水門を作って荒川本流を仕切り、そこから延長22q、幅500mの放水路を浚渫した。これが目前にある現在の荒川下流部である。大規模な工事で竣工には20年かかり、荒川放水路(荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す)は昭和5年に完成した。

ところがこの荒川放水路は旧中川や小名木川よりも水位が高い位置にあった。

そこで小松川閘門が必要になった。

小松川閘門等の閉鎖

小松川閘門は旧中川口にあったものだが、今の「荒川ロックゲート」付近にも「小名木川閘門」があり、また、対岸の船堀側には荒川(放水路)と中川(放水路)を結ぶ「船堀閘門」があった。
昭和5年に荒川放水路が完成した際、旧中川・小名木川・新川との合流部に設置された小松川閘門、小名木川閘門、船堀川閘門においては、一日1200隻もの船が通行するようになり、地域の産業を支えました。しかし、戦後になると地盤沈下や鉄道・自動車交通の発展により物資の輸送方法が変わり、舟運は衰退の一途をたどっていき、昭和50年には、閘門が閉鎖されました。(説明板より)


そしてもう一つ閘門があった。
荒川ロックゲート
画像

荒川の流れに沿って少し南に歩くと別の巨大な閘門を見上げることになる。これが荒川と旧中川を連結する水路・運河(閘門)として活きている 「荒川ロックゲート」 である。
「活きている」のではない、10年前、平成17年10月に完成したホヤホヤの建造物なのだ。
写真左手は荒川側の水門でその6階に上って眺めた旧中川側の水門が右手の写真です。
画像

荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下のため水位の差が最大3.1mに達することもあり、小松川閘門等の閉鎖以来、長い間船舶の運航が出来ない状況となっていた。

小松川閘門閉鎖の経緯が舟運の衰退であって今でも隆盛の気配はない。にもかかわらず、いまさらなぜこの閘門が必要になったのか?

阪神淡路大震災の経験から災害時の被災者救助や救援物資・復興資材の輸送における水上交通の重要性が改めて見直された結果と説明されている。

幅は14メートル、長さは65メートル、ゲートの開閉速度は分速10メートルと日本最速で、船の通過所要時間は約20分。もちろん、阪神大震災クラスの地震にも耐えられる耐震設計が施されている。2つの水門にはさまれた水位調整のための水路(閘室)の両岸に階段状の護岸があり、あたかも観客席のようになっている。利用料は無料。船舶の長さ、幅員、高さ、船底高の条件を満たす船舶であれば、原則としていかなる船舶でも通航可能である。実際には工事用資材の運搬船、観光船が多いという説明があった。

画像右の画像は国土交通省資料

東京ゼロメートル地帯

小名木川流域、隅田川と荒川と東京湾に囲まれた「江東デルタ地帯」、土地の高さが東京湾の満潮面よりも低い、「ゼロメートル地帯」となっている。水運ネットワークの発達が早くから工業地帯として発展する要因にもなったわけだが、そのせいで大量の地下水が工業用水として汲み上げられ、急速な地盤沈下を招く結果ともなった。最も沈下した地帯では4.5mの沈下記録がある。
小名木川に代表される人工の堀や川や運河が縦横に走り、いずれも潮の干満の影響を受け水位が刻々と変化する。そのため、ひとたび台風による高潮や地震の津波が発生すると、付近一帯に大きな被害をもたらす恐れがある。そこで、荒川放水路完成後も堤防の嵩上げが行われてきて下流部の堤防の高さは周辺市街地の土地よりも10メートルほど高くなっているという。さらに域内の水路と隅田川や東京湾との接続部には防潮水門が設置され、いざという時には直ちに水門を閉鎖して高潮や津波の侵入を防ぐ仕組みになっている。
また重要な対策として小名木川東部の水位をわざと下げているといわれる。
このあたりの現状はおいおい勉強することとしよう。

さてと、平成橋を渡って、小名木川沿いをゆるりと歩き始めた。




にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
小名木川探訪 江戸の水運・小名木川を歩く 1 日記風雑読書きなぐり/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる