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zoom RSS 山田風太郎 『幻燈辻馬車 上』  かなりの知識レベルが要求される難解な「明治もの」

<<   作成日時 : 2016/02/10 14:37   >>

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画像山田風太郎の「明治もの」第二作は「週刊新潮」に1975年(昭和50年)より連載された
本著『幻燈辻馬車』。

冒頭、第一話「車の音が消えるとき」は明治15年、福島県令三島通庸(みちつね)の屋敷で開かれた大宴会。招待客の一員である三遊亭円朝のお家芸「真景累ヶ淵」の語りを枕にして「怪談噺と申すは近来大きく廃れた、幽霊は神経病だとして、開化の人から嫌われると」始まるのだが、この短い文節は実に意味深長に作られており、奇才山田風太郎らしい「明治もの」のスタートである。
「車」とは二頭の老馬が曳く古びた箱馬車。御者は主人公・元会津士族の干潟干兵衛で孫娘のお雛を御者台の横に、自由民権運動が高まりを見せつつある東京を走り、様々な事件に遭遇する。干兵衛自身は戊辰戦争で薩長軍に敗れ、また薩摩への報復のために加わった西南の役では息子蔵太郎が戦死している。明治15年である。民権運動という時代から見れば干兵衛 という存在は古い時代の怨念がまとわりついた世代なのだ。会津の怨念は干兵衛 ばかりではない。死んだ息子の幽霊や会津落城の折に官軍隊長に犯され自死した妻の幽霊が干兵衛とお雛の周辺を守護するというこれまた風太郎らしい趣向なのだ。

三島通庸は歴史の教科書に登場したような気がする。
[1835〜1888]内務官僚。薩摩(さつま)の生まれ。福島県令・栃木県令に在任中、地方開発を強行して、福島事件・加波山(かばさん)事件を起こし、自由党員を弾圧。のち、警視総監となり、保安条例を執行し、自由民権運動を弾圧した。(デジタル大辞泉)
悪玉の代表であるが、山田風太郎は必ずしも単純な悪と決めつけてはいない。

三遊亭円朝や弟子の円太郎だけではなく多数の実在の人物が思いがけない出会いをする。伊藤博文、中江兆民、田山花袋、川上音二郎、嘉納治五郎、姿三四郎(モデル?)、坪内逍遥、大山巌とその夫人などなど。『警視庁草紙』と同様である。
『警視庁草紙』もそうであったが、本著も連作短編に見せて実は大長編であって、「会津の怨念と民権運動」対「三島通庸に象徴される薩長藩閥政権」という対立軸を巡って、誰が敵やら味方やら、一寸先は闇とばかりに複雑怪奇な紆余曲折を描いている。さらに言えば、時代はすでに明治15年から明治17年である。そこでは完成された薩長藩閥の権力構造に対して民権運動という新しい価値観の対立軸がある。だから特に「会津の怨念」だど変容し風化し、あるのかないのか分からぬ亡霊じみた存在となって消えつつあるのかもしれないと………思わせぶりな干潟干兵衛の心境に当時の世相を託しているところが深い。

ところで我々世代の歴史教科書的知識では自由民権運動といえば板垣退助という綺麗ごとであって、三島通庸や河野広中は登場した程度の記憶しかない。
ところがこの作品の自由民権運動の主役は「現代における赤軍派みたいなものだ」。自由、民権を叫んで明治14年に結成された自由党、その中の急進派である。ただの言論では見込みなし、現在の薩長閥の領袖を抹殺しなければ目的は達成できないとする一団である。板垣退助はその点まだ楽天的であったが、しかしこの一団の判断は結局的中していたのである。………と山田風太郎氏は指摘している。

これは風太郎流の史観かもしれないが、もう少し高いレベルの史実を知らないと本当の面白さは味わえないことになっていると気がついた。

だから慌てて私の勉強用に一般論のポイントだけ整理してみた。
福島事件
自由民権運動に対する最初の大弾圧事件。1882年,福島県令三島通庸と同地の自由党員・農民との対立が激化した結果おこった。東日本でもっとも早く政治結社が結成された福島県下では,明治10年代にはいると自由民権運動が大きな高揚をみせ,自由党(1881年10月結成)の拠点の一つとなった。当時,福島県会には議長河野広中以下27人の自由党員議員がおり,これに立憲改進党員を含めると,民権派が過半数を占めていた。82年2月,自由党撲滅を豪語して着任した薩摩閥の県令三島は,県官吏を自己の腹心でかため,また旧会津藩士族を士族授産金を通じて集めて,帝政党の結成を準備した。(世界大百科事典)
小説は一見、薩摩対会津の構図に見えるが、ところがドッコイ、ここにあるように三島通庸が旧会津士族を私兵化していたというねじれ現象が皮肉である。
加波山事件
1884年9月,自由党員が茨城県加波山に蜂起した事件。自由民権運動の激化事件の一つ。1882年11月の福島事件以来,関東諸県の自由党員の間には,狂暴化する政府の弾圧にテロリズムで対抗しようとする傾向が強まった。福島事件に連座した河野広躰,三浦文治ら福島の自由党員は,83年4月釈放されると,福島県令三島通庸(同年10月より栃木県令兼任)の暗殺を計画してその身辺をねらった。一方,栃木県では下都賀郡の自由党員鯉沼九八郎が83年末,政府転覆をめざして爆弾の製造を開始していた。(世界大百科事典より)

自由民権運動とは板垣退助であり「藩閥政治に反対して国民の自由と権利を要求した政治運動」と学んだが、過激派のテロリズム行動については詳しくない。小説ではこの「鯉沼九八郎」が登場するし、準主役クラスの赤井景韶も風太郎らしく謎めいた人物として描かれている。
赤井景韶(あかいかげあき)
1859‐85(安政6‐明治18)
高田事件で検挙された自由民権家。越後国高田藩士出身。1877年徴募巡査として西南戦争に従軍。帰郷して代言人となり,81年頸城自由党に加わり,自由民権運動に参加した。83年,前年大臣・参議の暗殺を計画した際に書いた〈天誅党旨意書〉を証拠として県下の同志三十数名とともに検挙され,内乱陰謀予備罪で重禁獄9年を宣告された。翌年脱獄。途中車夫を殺害して再逮捕され,絞首刑。(世界大百科事典)
自由民権運動
明治初期,藩閥専制政治に反対し国会開設・憲法制定などを要求した政治運動。1874年(明治7),板垣退助らによる民撰議院設立要求に始まり,国会期成同盟を中心に全国的に広まった。運動は81年,10年後の国会開設を約束する詔勅を引き出し,自由党や立憲改進党などの政党結成へと進んだが,政府の弾圧強化と運動内部の対立,福島事件や加波山事件など激化事件が相つぐなかで衰えた。しかし国会開設が近づくと,旧自由党の星亨らは86年民権派の再結集を呼びかけ(大同団結運動),87年,三大事件建白運動が起こり,全国から自由民権家が上京した。それに対し政府は保安条例を出して在京の民権派を東京から追放し,運動は鎮圧された。(大辞林)
結局自由民権運動は藩閥政府の鎮圧によって衰退していった………というのが通説であり、この通説を踏まえて現代の赤軍派をイメージした自由党過激派のロマンを描いたものと言えるかもしれない。

かなり難解な小説だと思った。


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