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zoom RSS 五木寛之 『親鸞 完結編 上』 親鸞の悩みはさておき脇役が大活躍する痛快時代小説を楽しみましょう

<<   作成日時 : 2016/02/19 15:20   >>

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画像これまでの仏教は、国を守るもの、朝廷の安泰を祈るものであり、貴族や高家のためのものだった。そして浄土に行けるものはチカラやカネのある者だけだった。ところが法然、親鸞は貧しい人や世間から卑しめられてきた人びとのためにこそ仏教はある、これまで救われない罪深い身だとされていたものにこそ仏の道があると説く。身分や財力にかかわりなく南無阿弥陀仏と他力本願、専修念仏の道を広めた。この教えはやがて下層の人々だけではなく僧、武家、貴族階級まで浸透していった。
まさに既成秩序を破壊する思想であり、集団化するエネルギーだと危機感を深めた比叡山を中心とする仏門は世俗の権力と結んで専修念仏を弾劾していった。
(第一部『親鸞』では法然の仏難が詳しく描かれていた。)
『親鸞 完結編』でもこの流れは踏襲されている。完結編では親鸞を敵視し数々の陰謀を巡らせる中心人物は裏天下の口入人といわれる怪僧・覚蓮坊。比叡山で共に修行した若き日のライバルなのだが、怨念はいまなお凄まじく親鸞を追い詰めていく。
さあ、覚蓮坊に組する有力商人たちと親鸞を信じる人々との流血の対決をハラハラしながら楽しもう。『親鸞』に登場したワルたちもすでにジイサン、バアサンになっているのだが、年数を経て呼名が変わっているため、あれ?だれだっけ?………と、あれよあれよと登場し、懐かしく、再び怪人ぶりを発揮するのだから痛快である。誰が親鸞の敵か味方か、親鸞の専修念仏は仏難にあうのかなどハラハラドキドキのサスペンス劇としても楽しめる。
今回は新しい個性として親鸞の長男・善鸞が登場する。立派すぎる父親に劣等感と反感を抱くバカ息子である。善鸞の妻・涼もなんとか夫を世に出そうとする献身のパフォーマンスにはヒヤヒヤさせられます。
善鸞が覚蓮坊の奸計に引っかかり、親鸞危うし………さてどうなりますやら。

『親鸞 激動編』に引き続き、専修念仏の真理を伝えていくことがいかに難しいことか。さらに今回は親鸞の長男・善鸞が自覚を高めるにつれ、専修念仏に対する向き合い方には親子間で距離があることを感じて親鸞の悩みはますます複雑に深まっていくようです。師弟関係であるとともに親子関係であることによる不条理、果たして信仰と家族愛は両立するのか。
親鸞自体もおのれの宇宙を整理できていない。筆者五木寛之の語りも極めてあいまいである。もともとこの著書は親鸞の教えを伝えることを目的とはしていない。読者の大半にとっておそらくこの哲学者の思想は理解しがたいのだ。だから痛快冒険物語として楽しめれば良しと承知すべきであろう。
とはいえ、痛快冒険という縦糸に対し仏教哲学が横糸として絡まり、堂々巡りの論理が繰り返されるとイライラがつのることを避けられなかった。


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