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zoom RSS 五木寛之 『親鸞 完結編 下』 善いも悪いも脇役が断然魅力ある五木流親鸞物語

<<   作成日時 : 2016/02/26 21:18   >>

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画像南都北嶺のカネと権威と暴力、そして鎌倉幕府、さらには朝廷と既存の体制の総力を結集し専修念仏を根絶やしにしようとする覚蓮坊の陰謀。この奸計から親鸞を守ろうと死力を尽くす謎の女・竜夫人。若き日の竜夫人と青年親鸞の深い因縁とは?竜夫人を支える葛山申麻呂の血筋は?
そしてついに再登場するサディスト。十悪五虐と自らうそぶき「信仰心などないこんな俺でも浄土へ行けるか」と親鸞を恫喝する究極の邪悪・黒面法師の真の実態とは?
竜夫人が嵯峨野に建立した遵念寺。落慶式に集まる念仏者を一網打尽にする「念仏停止の宣旨」が発せられた。専修念仏危うし!
まさかと思うが、なんと外道院金剛大権現!!!

『親鸞』『親鸞 激動編』の思い出深い怪人たちが半世紀をこえて勢揃いの大乱闘編である。ここは理屈抜き、予想通りの展開になるのだが、十分に楽しめます。

もう一つが親鸞の長男・善鸞の東国に下ってからの布教活動。東国には親鸞から直接に教えを受けた念仏者が徳を積み専修念仏の地道な活動を続けていた。未熟な息子がこの活動を混乱させるのではないかと不安に思い、父・親鸞は旅立ちを前に「あえて人々に念仏の道を説いたりしてはならない」と釘を刺す。だが笠間の念仏者・妙禅坊のおだてに母・涼共々に舞い上がり、父の戒めを破ったあげくが………。

飾り帯には「信心と家族愛の間にゆれ動く、親鸞の真の姿」とうたい文句がある。でもそれほど「揺らぎ」は感じられない、仏の道に徹した人だった。

ところでこの善鸞という人物であるが、通説でも評判がよろしくない。
善鸞
生年不詳。没年も諸説があってはっきりしない。鎌倉前期の僧。親鸞(しんらん)の子。母は恵信尼(えしんに)。号は慈信房(じしんぼう)。「大谷一流系図」には宮内卿公(くないきようのきみ)と号したとみえる。親鸞が東国を去ったのち、門弟間に異義が生じた建長(けんちょう)(1249〜56)の初め東国に下ったが、かえって親鸞の実子という地位を盾に、親鸞の正意と称して、第十八願を「しぼめる花」に例えた異義を唱え、また幕府要路者に働きかけて念仏弾圧を工作し、門弟たちを混乱に陥れたため、1256年(康元1)親鸞に義絶された。義絶後は巫覡(ふげき)の徒となったという。(日本大百科全書)
この通説通りに物語は進むのだが、私には必ずしも善鸞の布教活動が間違っているとも思えないのだ。親鸞の教えとは何かという広大無辺な哲学論をどう解釈するかに尽きると思うのだが、善鸞の行動も仏の道を説くものではないだろうか。現代のように仏教が冠婚葬祭の仏事あるいは現世利益を目的とする加持祈祷の類または観光資源でしかないこと思えば、大衆を仏説で導くのだから善鸞だって瀬戸内寂聴だって有り難いお坊様だと覚える。

孔子が「怪力乱神を語らず」「鬼神をしてこれを遠ざく 知というべし」。そして人間を超える能力を否定し、不合理な現象を認めない人物が親鸞なのだが、論語と違う、これは宗教であり、はたして大衆をとらえることができるのだろうか。
「他力本願」「悪人正機(善人なおもて往生をとぐいはんや悪人をや)」というきわめてパラドキシカルな究極の教えが未消化のままに世俗世界ではむしろ怠惰を助長し、淫乱邪教を生んだのだがそれはわかる気がする。
信仰を拒否する十悪五逆の極悪人には何が待ち受けているのだろうか。

もう一人の重要な脇役。誠実に親鸞に寄り添う弟子・唯円がいる。小説にはそこまで書かれていないが、彼がまとめたといわれるのが『歎異抄』である。師親鸞の没後、信者の間に生じた異端を歎き (歎異) ,他力の宗旨の乱れることがないよう記憶に残っている師の言葉に基づきながら、その是非について論じた。親鸞の教えとは教義上の優劣・真偽を巡ってそれほどの激しい宗論があったのだろう。
そんな親鸞の言いたかったことなど凡人の私には理解を超える。

親鸞の死は穏やかで眠るがごとくの往生であったがそれ以上のなにか意義はあったのだろうか?
親鸞の末娘・覚信が「往生なさるときはきっと驚くような奇瑞がおこるはずです。わたしたちは、それをしっかりとみとどけて、世の人びとに伝えなければなりません。」と含蓄ある一節がある。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にある「長老・ゾシマ」の死に際を彷彿とさせる。だれからも愛され尊敬されていた。そして人々をひとしく慈しむ。謙虚で優しく高潔な精神と深い信仰心のあったゾシマに何が起こったか?
私の印象は、酸いも甘いも噛み分けた普通のジイサマの穏やかな死だった。運が良ければ私にだってできそうだな。

理屈はどんなにもつけられようが、あまり拘泥したくはないテーマである。

だから捉えどころがない空間に読者は放り投げられたような、そんな気分のままで物語は終結を迎えた。………という以外に言葉はない。


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