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みんなの「江戸歴史」ブログ

タイトル 日 時
新・神田川遡行26 落合水再生センター見学
新・神田川遡行26 落合水再生センター見学 神田川の水源は井の頭池、妙心寺池、善福寺池とされているが、それぞれの湧水量はたかがしれていると思われる。流域から流れ込む水量とどんな割合になっているのかな?落合水再生センターの神田川水質改善への貢献は?放水路はどこにあるのか?そもそも再生センターの役割は?いろいろな疑問があって今日の見学会となったのです。 ...続きを見る

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2015/12/01 23:52
新・神田川遡行 25 淀橋から長者橋
新・神田川遡行 25 淀橋から長者橋 平成27年8月11日  第六回神田川逍遥会  本日のコース 神田川逍遥会のみなさま 酷熱の日々も峠を越えたかに思われますが、さてどうでしょうか。 先般のお知らせの線で下記の通り実施しますのでご参加ください。 この会の発足時の予定では6日間で全コース完了でしたが大幅に遅れております。 特に急ぐ気もありませんのでよろしくお願いします。 ...続きを見る

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2015/11/23 13:11
新・神田川遡行 24 末広橋より淀橋
新・神田川遡行 24 末広橋より淀橋 柏橋から末広橋へ向かう。 また嫌な臭いが漂ってきた。末広橋の手前左岸に旧桃園川の合流口が見える。臭いの元だな。江戸川橋でもそうであったが、暗渠化して汚水が流れる旧河川の出口はたいがい汚臭がでている。神田川がきれいになったと言ってもまだまだやり残しいるところは多い。 桃園川は杉並区と中野区を流れる河川で全区間暗渠化されている。中野区内では「中野川」とも呼ばれている。現在の暗渠は桃園川幹線という下水道になっている。神田川への開口部は桃園川幹線からの分水で本来の川の水ではない。 ...続きを見る

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2015/11/02 18:41
小名木川探訪 江戸の水運・小名木川を歩く 1
小名木川探訪 江戸の水運・小名木川を歩く 1 大江戸歴史散歩の会の新しいテーマは「江戸の水運・小名木川を歩く」だ。メンバーの一人、このあたりの水路の専門家である新居正夫さんのガイドでじっくりと探訪する。 10月14日 都営新宿線東大島口に集合して、小名木川が旧中川に接する中川番所跡あたりからスタートする。 ところで小名木川とはいったいどんな川であるか? 東京都江東区北部を流れる川で旧中川から隅田川を結ぶ運河。途中横十間川、大横川と交差する。 ...続きを見る

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2015/10/31 18:46
新・神田川遡行23 新堀橋より柏橋
新・神田川遡行23 新堀橋より柏橋 46番新堀橋から47番せせらぎ橋は近い。オヤ!蝉の鳴き声に混じって瀬の走る音が聞こえてきた。川床を見ると細かい段差が並べられ流れが音を奏でる仕組みになっている。粋な演出です。神田川を遡ってきましたが「せせらぎ」を聞けるところはあまりなかった。 せせらぎ橋 左岸に「せせらぎの里」公園(Click!」がある。子供達のための池や水遊び場があって、近隣の人達の憩いの場にふさわしい清潔感ある都会風な「親水公園」です。私たちも一休み。 この下には「落合水再生センター」の水処理施設がある。人工の地盤上に... ...続きを見る

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2015/10/18 00:20
新・神田川遡行22 高田馬場から新堀橋
新・神田川遡行22 高田馬場から新堀橋 第5回神田川逍遥会は7月19日13時に高田馬場駅前に集合し、41番清水橋から59番淀橋までゆるりと神田川遡上を楽しんできました。予定では6日間で全コース踏破のはずが、まだ中間地点にまで到達していないという余裕しゃくしゃくの散策です。きょうはようやく一つの区切りである高田馬場を越えるんです。 ...続きを見る

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2015/09/30 11:18
新・神田川遡行 21 高戸橋より神高橋
新・神田川遡行 21 高戸橋より神高橋 支流の探索が長くなってしまいましたが、このあたりで本流に戻りましょう。 ...続きを見る

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2015/08/27 18:05
新・神田川遡行 20 「真説 高田馬場」 水稲荷神社にあるもう一つの史跡
新・神田川遡行 20 「真説 高田馬場」 水稲荷神社にあるもう一つの史跡 水稲荷神社の境内入口、石段を上った左側に巨大な石碑が威圧するようにそびえている。 水稲荷神社のホームページによると 堀部安兵衛助太刀の場所の碑です。 元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。 この果し合いの場所は、現在の新宿区西早稲田3丁目12−4(西北診療所)のあたりといわれています。 この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が... ...続きを見る

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2015/08/22 19:50
新・神田川遡行 19 番外編 高田富士祭で富士山登頂
新・神田川遡行 19 番外編 高田富士祭で富士山登頂 今年は7月19日と20日が高田富士祭で神田川逍遥会のメンバーTさんと二人で出向いてみました。 まず関連する古地図(click!)と現在の在所(click!)確認します。 ...続きを見る

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2015/08/21 12:43
新・神田川遡行 18 水稲荷神社とその周辺
新・神田川遡行 18 水稲荷神社とその周辺 まず、古今の周辺の地図を見ておきましょう。古地図の中心部には小さく「三島社」とあるがこの場所に現在の水稲荷神社がある。水稲荷神社は、『江戸名所図会』に描かれた当時、「高田稲荷」とよばれていました。右下の小高い丘の上にあるのが、水稲荷神社(高田稲荷)で、ここは現在の早稲田大学9号館裏のあたりです。その右にある山は、高田富士で、水稲荷神社(高田稲荷)とともに、昭和38年(1963)に西早稲田3丁目の現在地に移転しました。 ...続きを見る

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2015/08/19 18:22
新・神田川遡行 17 豊橋から高戸橋
新・神田川遡行 17 豊橋から高戸橋 豊橋 神田川30番目の橋です。河口から7キロの地点です。全長24.6キロですからまだ三分の一にもなりません。 なお」神田川は新宿区と文京区の区境を流れていましたが、このあたりから新宿区と豊島区の境を流れます。 ...続きを見る

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2015/08/06 13:28
新・神田川遡行 16  駒塚橋界隈 (水神社・芭蕉庵・永青文庫・新江戸川公園)
新・神田川遡行 16  駒塚橋界隈 (水神社・芭蕉庵・永青文庫・新江戸川公園) 胸突き坂 駒塚橋より目白台に向かって急坂が伸びている。「胸突き坂」というから苦しくなりそうだ。胸突き坂の左手には水神社、右手に関口芭蕉庵、坂を上り切ったあたりに永青文庫と文化史跡が連なり、さらに奥には講談社野間文庫、村上春樹が一時入っていたことで知られる男子学生寮の和敬塾を見ることができる。 ...続きを見る

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2015/07/30 16:46
新・神田川遡行 15 江戸川橋より駒塚橋
新・神田川遡行 15 江戸川橋より駒塚橋 6月27日。このところ雨の降り続く日が続いたが、今日は梅雨の合間というタイミングか、午後には降りやんでいた。第四回神田川逍遥会は江戸川公園入口に全員が集合した。 ...続きを見る

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2015/07/07 15:30
新・神田川遡行 14 中之橋から江戸川橋
新・神田川遡行 14 中之橋から江戸川橋 中之橋界隈 新白鳥橋に続く19番目の橋がこの仲之橋だ 現代地図にも名前が表示されていない地味な橋だが、隆慶橋と石切橋の間で古地図には「中橋」とある江戸時代からの歴史をのこす橋だ。 ...続きを見る

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2015/06/22 21:26
新・神田川遡行 13 船河原橋から新白鳥橋
新・神田川遡行 13 船河原橋から新白鳥橋 船河原橋は神田川14番目の橋だ。5月24日、第三回の神田川逍遥会は暑い日だった。 飯田橋交差点陸橋から眺める船河原橋はいつになっても複雑だなぁ。人が歩けないという珍妙な歩道が見える。 今日はここから江戸川橋までを散策するが、川の流れは淀んで濁り、悪臭もある。首都高が流れに覆いかぶさっているので暗い。道路にはところどころでごみの山が積まれ、ラーメンの屋台が置き去りにされ、路上生活者の昼寝姿も見られた。コースを通して最も環境の悪いゾーンに当たる。 だが、戦前は、大曲付近の桜並木、屋形船での... ...続きを見る

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2015/06/20 11:26
江戸城北の丸を歩く 4 代官町通りから千鳥ヶ淵沿いを
江戸城北の丸を歩く 4  代官町通りから千鳥ヶ淵沿いを 維新後、明治政府によって近衛師団の兵営地が設置された。このような地図で北の丸を鳥瞰すれば、中心に近衛歩兵の兵営があり、そこを取り巻くように営倉、病室、炊事場、体操場、火薬庫、練兵場が設けられ、東端には砲兵の兵営がせり出しています。完全に近衛連隊の特別な軍事施設だったんですね。 皇居と皇族の護衛、帝都の防衛が主な任務で、毎日2百名の近衛兵が乾門から皇居へ入り、24時間交代で二重橋などの歩哨についた。帽子の徽章も陸軍が星だけなのに対し、近衛は星に抱き桜という特別なものだった。 ...続きを見る

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2015/06/11 12:28
新・神田川遡行 12 飯田橋界隈
新・神田川遡行 12 飯田橋界隈 飯田橋を徹底解剖してみようまずはわかりにくい飯田橋交差点です。 神田川逍遥会の第三日に当たります。 ...続きを見る

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2015/05/18 19:42
新・神田川遡行 11  水道橋・後楽橋・小石川橋
新・神田川遡行 11  水道橋・後楽橋・小石川橋 水道橋 神田川で11番目の橋だ。かつて「吉祥寺橋」と呼ばれている時代があったと言います。現在文京区本駒込にある吉祥寺が、天正19年(1591)から明暦の大火(1657年)で燃えるまでの間、水道橋北詰にあったことによるらしい。中央線に「吉祥寺駅」がありますが、あの一帯に吉祥寺というお寺は今も昔もありません。明暦の大火のあと、元吉祥寺周辺の住民たちが移住しそこを吉祥寺村と名付けたのです。 ...続きを見る

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2015/05/13 20:16
新・神田川遡行 10 水道橋懸樋
新・神田川遡行 10 水道橋懸樋 お茶の水橋から水道橋方面に外堀通りを歩く。緩やかな下り坂をお茶の水坂と呼んでいる。道路の右手に案内板があった。 お茶の水坂 ...続きを見る

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2015/05/12 19:41
新・神田川遡行 9 御茶ノ水駅界隈
新・神田川遡行 9 御茶ノ水駅界隈 昌平橋から聖橋へ向かうには神田川(仙台濠)の北側の相生坂を上れば途中右手に昌平坂を見ることができます。また南の淡路坂を通れば聖橋手前の太田姫神社元宮を見逃すことはありません。 さて今日4月13日は神田川逍遥会の遡行二日目でM1さんとNさんはあいにく都合がありましたが、ただNさんは反省会には駆けつけるそうです。予定通り御茶ノ水駅聖橋口に集合しましたがあいにくの雨です。しかもただの雨ではなく本降りなのです。が、誰も中止しようと言わないのがむしろじゅうぶんに生きてきた高齢者の強みなのかもしれません。... ...続きを見る

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2015/05/12 11:55
新・神田川遡行 番外編 ・花見三昧 「散策 小石川後楽園・江戸川公園界隈」
新・神田川遡行 番外編 ・花見三昧 「散策 小石川後楽園・江戸川公園界隈」 神田川逍遥会メンバー全員そろってお花見としゃれてみた。縁の深い小石川後楽園と江戸川公園。ズバリ快晴の一日であった。 ...続きを見る

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2015/05/05 23:26
新・神田川遡行 8 東京都水道歴史館、神田明神
新・神田川遡行 8 東京都水道歴史館、神田明神 江戸を知るには神田川を知らなきゃならぬ。神田川を知るにはまずは東京水道歴史館である。 ...続きを見る

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2015/05/03 18:07
新・神田川遡行 7 万世橋、筋違橋、昌平橋
新・神田川遡行 7 万世橋、筋違橋、昌平橋 万世橋はかつて現在の地にはなく、約150m上流に筋違橋門(すじかい)に付属する筋違橋がありました。この筋違橋と昌平橋、万世橋は架橋の経緯がたいへんややこしくなっています。 ...続きを見る

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2015/05/02 10:30
新・神田川遡行 5 和泉橋界隈
新・神田川遡行 5 和泉橋界隈 古地図を見れば。 浅草御門から筋違御門(すじかい)までは、北岸には船荷の集積地である「河岸」が連なり、いまでも神田佐久間河岸と呼ばれる。南側は土手が築かれていた。土手上には柳の木がずらりと植えられて、柳原土手とか柳原堤と言われていた。 北も南も町家が広がりを見せているが中で「伊勢津藩主・藤堂和泉守高猷(たかゆき)」の大名屋敷が目立っている。 また柳原土手には「柳森稲荷」が見える。 ...続きを見る

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2015/04/07 17:01
江戸城北の丸を歩く 3 北の丸公園を清水門・竹橋へと
江戸城北の丸を歩く 3 北の丸公園を清水門・竹橋へと 武道館まえの大駐車場の奥に戦後20年間、学生寮があったという。その当時、学生の自治寮といえば学生運動の根城だったろうに、そんな左翼のアジトが皇居という対局の懐にあったとは全く知りませんでした。これこそ獅子身中の虫だったはずだが、当時東京の学生であったわたしには各大学にあった学生寮はともかく、ここになんかのセクトが住み着いて騒動があったという記憶はない。 ...続きを見る

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2015/04/05 23:45
新・神田川遡行 4 左衛門橋.・美倉橋界隈
新・神田川遡行 4 左衛門橋.・美倉橋界隈 左衛門橋 神田川も上流に行けば市街化が急速に進んだため次々と架けられる橋の名前には安直につけたとしか言いようのないものが多くなるのだが、古くからある橋については橋名の由来を辿るのも神田川遡行の楽しみでもある。 新・神田川遡行で使用している古地図は安政3年(1856)の実測復元地図です。 この古地図の当時にはまだ架けられていませんでした。実はここ北側には明治維新まで出羽鶴岡藩(庄内藩)………藤沢周平作品の舞台ですね………大名・酒井左衛門尉忠発の下屋敷があり、近辺の河岸は「左衛門河岸」と呼ばれ... ...続きを見る

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2015/04/05 12:18
新・神田川遡行 3 浅草橋界隈
新・神田川遡行 3 浅草橋界隈 浅草橋の成り立ち 江戸幕府開府に伴い江戸の町づくりが進められ、その一環として江戸城防衛のため重要な拠点に見附門を設置した。 特にこの地は、日本橋から奥州街道・日光街道・水戸街道へ、又、江戸の古刹浅草寺(浅草観音)へ向かう重要な道筋にあたっていた。 このため幕府は寛永13年(1636)神田川の南岸、今の中央区側に浅草御門を設け、警護の役人も置いて見附門としたのである。越前国福井藩主の松平忠昌(徳川家康の二男結城秀康の子)が元初音森神社の跡地に築いて警護に当たった。 外濠の最北東を防衛する重... ...続きを見る

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2015/04/01 20:09
新・神田川遡行 2 柳橋界隈
新・神田川遡行 2 柳橋界隈 柳橋欄干から隅田川を観れば右手に両国橋 柳橋界隈は行政区として台東区、中央区、千代田区が入り組んでいるが、この場所は中央区東日本橋と台東区柳橋の境界にある。「柳橋」の由来についてはいろいろな説があって真説は不明だ。もともとは神田川が大川に流れ込むところにあるので「川口出口之橋」という名称であったが、ほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになったという説がもっともらしい。元禄11年(1698年)に初めて架橋されたが、現在の橋は関東大震災の後につくられた鋼鉄製のもの。... ...続きを見る

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2015/04/01 00:42
新・神田川遡行 神田川逍遥会発足にあたって
新・神田川遡行 神田川逍遥会発足にあたって 8人のメンバーからなる神田川逍遥会。3月、好天にあたり、発会、柳橋から遡行を開始しました。 ...続きを見る

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2015/03/30 00:13
江戸城北の丸を歩く 2 田安門界隈
江戸城北の丸を歩く 2 田安門界隈 江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構(そうがまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。 もともと田安門が創建されたころはこのあたりは「田安口」または「飯田口」とも呼ばれていたところで、上州方面への道が通じていたといわれており、田安明神(現在の築土神社)があったことから田安門と名づけられた。 門... ...続きを見る

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2015/03/29 15:17
江戸城の北の丸を歩く 牛ヶ淵・九段坂
江戸城の北の丸を歩く 牛ヶ淵・九段坂 3月11日、「大江戸歴史散歩を楽しむ会」今回は九段下交番前に集合し、まずは九段坂を上った。 坂の上り口には「昭和館」がある。この昭和館と内堀通り沿いの「九段会館」あたりまで江戸時代には江戸幕府の洋学研究教育機関・「蕃書調所」 置かれていた。 1853年(嘉永6)のペリー来航を契機に幕府は外交・軍事面の充実を図り、その一策として洋学を取り扱う機関の設置を計画した。それまで西洋の学問は「蘭学」だけでした。55年(安政2)洋学所という仮称のもとに頭取(とうどり)古賀謹一郎を中心として準備が開始され... ...続きを見る

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2015/03/21 19:46
江戸城外堀散策 八重洲口から小石川橋(続)
江戸城外堀散策 八重洲口から小石川橋(続) 神田橋から日本橋川に沿って飯田橋方面に向かう。現在の錦橋から一ツ橋、雉子橋あたりまでの外堀北側で「二番明地」「三番明地」「四番明地」と右の古地図に記された一帯は護持院ヶ原と呼ばれたところです。 護持院ヶ原 5代将軍綱吉と生母の桂昌院は、僧の隆光に深く帰依し、元禄元年(1688)神田橋御門外に5万坪の土地を賜り、湯島から、知足院を移して護持院と改め、幕府の祈願所に定めた。隆盛を誇ったが、享保2年(1717)火災に類焼し、大塚の護国寺内に入った。そのあとは火除地となり、一番原から四番原までの広... ...続きを見る

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2015/02/15 23:56
江戸城外堀散策 八重洲口から小石川橋
江戸城外堀散策 八重洲口から小石川橋 「大江戸歴史散歩を楽しむ会」 渡辺功一リーダーの案内で 古地図を片手に「江戸城の外堀を歩く」。 今回は右図の黄色で塗りつぶした外堀周辺を楽しく勉強です。 八重洲の北町奉行所跡をスタートに呉服橋御門→港屋絵草紙店碑→一石橋→金座跡日銀本店→常磐橋御門→鎌倉河岸→神田橋御門→一ツ橋御門→学士会館→雉子御門→俎橋→堀留橋→飯田町駅跡→小石川御門. ...続きを見る

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2015/01/29 17:33
神田川遡行 その十一 (ゴール) 晩秋 井の頭公園
神田川遡行 その十一 (ゴール) 晩秋 井の頭公園 夕やけ橋の手前からはもう井の頭公園の敷地になる。 井の頭公園、正式には井の頭恩賜公園は大正6年(1917)に開園した都立公園で、徳川歴代将軍が鷹狩りをした場所でもある。御殿山という地名は、家光の鷹狩の時の休憩所があったことに由来する。三鷹という地名も同様だ。 古くからこのあたり武蔵野の段丘の崖下には湧水が多かった。ここ井の頭の池も、三方を段丘に囲まれた小さな谷の窪みにあたる。奥には良質の湧水口であった「お茶の水」がある。そしてここが神田川の源流でもある。 神田川遡行その一の「お茶の水」... ...続きを見る

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2014/12/30 01:31
神田川遡行 その十 佃橋より夕やけ橋
神田川遡行 その十 佃橋より夕やけ橋 柳橋を皮切りに真夏の7月からスタートした神田川遡行であるが、今や暦の上では冬だ。11月19日、川沿いはすっかり晩秋の色に染まっている。高井戸駅で下車し、青空にそびえる杉並清掃工場のマンモス煙突を背にして源流へ向かう。4キロメートルの間に橋が20もある。宅地化の進行に伴い近隣の要請から増設していったのだろう。それぞれの橋には個性もないし、興味を引くエピソードもない。秋色の遊歩道、多様な川床の意匠をもっぱら楽しむとしよう。 ...続きを見る

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2014/12/19 23:11
神田川遡行 その九  かんな橋より佃橋
神田川遡行 その九  かんな橋より佃橋 神田川遡行はようやく終盤に入る。今回は140ある橋の103番目にあたる「かんな橋」からスタートする。南下してきた神田川はこのあたりから西北へと流れを変える。 そして今回の流域は桜並木、戸建て住宅、整備された遊歩道が共通している。夏の終わり、秋は入口まで来ている。(8月20から9月3日) ...続きを見る

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2014/11/30 19:22
神田川遡行  その八 方南橋より永福橋
神田川遡行  その八 方南橋より永福橋 八月二十日 猛暑 ...続きを見る

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2014/11/22 00:30
神田川遡行 その七 中野新橋から方南橋
神田川遡行 その七 中野新橋から方南橋 赤い欄干の中野新橋。この界隈は、もともとは「新橋」と呼ばれ、橋の袂から黒板塀の料亭が連なり、芸者衆のパレードなど花街として賑わっていた。住宅化が進んでいまではその面影は朱塗りの橋があるぐらいで普通の町並みになっている。 ...続きを見る

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2014/10/16 19:04
江戸城外堀散策 四谷から山王溜池
江戸城外堀散策 四谷から山王溜池 最近入会した「大江戸歴史散歩を楽しむ会」 渡辺功一リーダーの博識に驚きながら大いに楽しんできました。 古地図を片手に「江戸城の外堀を歩く」 第三回 四谷・赤坂・溜池・虎の門 ...続きを見る

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2014/10/11 16:30
神田川遡行 その六 淀橋から中野新橋
神田川遡行 その六 淀橋から中野新橋 新堀橋あたりで南北方向に流れを変えてきた神田川は相生橋付近から再び東西方向に向きを変えます。 新宿区とつきあいつつ長い距離を流れてきましたが、菖蒲橋から中野区に入ります。 中ノ橋付近が神田川全長の中間点になります。 「淀橋」「長者橋」にまつわるお話が面白い。 ...続きを見る

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2014/09/26 18:11
神田川遡行 その五 神高橋から淀橋
神田川遡行 その五 神高橋から淀橋 新宿区は神田川流域の環境整備事業に力を入れているのです。 この案内板に示されているように「豊橋」から「神高橋」の間と「新堀橋」から「菖蒲橋」の間には遊歩道が設置されています。 ただ、神高橋から新堀橋まではウォーキングに適した道はありません。 また新宿区と豊島区の境を流れていた神田川は「神高橋」からは「小滝橋」までは両岸とも新宿区になります。 ...続きを見る

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2014/08/27 12:36
神田川遡行 その四 駒塚橋から神高橋
神田川遡行 その四 駒塚橋から神高橋 古地図を見ますと橋がほとんど描かれていません。 特にこれから先の西方向は詳細な地図を必要としない鄙だったのでしょう。 ...続きを見る

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2014/08/10 17:57
神田川遡行 その三 江戸川橋から駒塚橋
神田川遡行 その三 江戸川橋から駒塚橋 神田上水の成立ちにあるキーポイントのひとつがこのルートにあります。また神田川遡行中、指折りの閑静な遊歩道になっています。 ...続きを見る

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2014/08/04 11:05
神田川遡行 その二 水道橋から江戸川橋      
神田川遡行 その二 水道橋から江戸川橋       水道橋から江戸川橋まで外堀通り、目白通り沿いに進みます。 神田川は途中から江戸川と呼ばれました。 ...続きを見る

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2014/07/24 18:36
神田川遡行 その一 柳橋から水道橋 平成26年7月9日スタートする
神田川遡行 その一 柳橋から水道橋 平成26年7月9日スタートする 神田川を河口から水源まで遡ろう。 河口は隅田川(大川)に開けている。 地図には隅田川から大洗堰まで表示されている。 ...続きを見る

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2014/07/17 22:42
小ぬか雨降る日野宿を歩く 平成26年6月8日
小ぬか雨降る日野宿を歩く 平成26年6月8日 小雨模様の日野宿を 歩く会のみんなと 甲州道中の歴史をたどりながら 散策しました。 ...続きを見る

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2014/06/16 19:11
皇居散策マップ PART3 和田倉濠より半蔵門
皇居散策マップ PART3 和田倉濠より半蔵門 見所をグーグルマップとデジブックで紹介する皇居散策の最終篇。 ...続きを見る

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2011/05/08 23:49
皇居散策マップ PART2 内堀東側のビル群を仰ぎつつ
皇居散策マップ PART2 内堀東側のビル群を仰ぎつつ 見所をグーグル地図とデジブックで紹介する第二回 ...続きを見る

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2011/04/03 22:57
皇居散策マップ 見所をデジブックとグーグル地図にて
皇居散策マップ 見所をデジブックとグーグル地図にて 皇居周辺の写真をあらためて編集してみました。 ...続きを見る

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2011/03/21 11:37
松本清張 『天保図録 上』 鳥居耀蔵がたくらむ天保の改革とは、清張初期の本格歴史小説
松本清張 『天保図録 上』 鳥居耀蔵がたくらむ天保の改革とは、清張初期の本格歴史小説 『天保図録』は1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで「週刊朝日」に連載された作品である。『天保図録』は水野忠邦がいわゆる天保の改革を着手する前夜(1841年)に政敵となる中野石翁・水野美濃守一派を追放した『かげろう絵図』の終わりから始まっている。 いっけん『かげろう絵図』の延長かと思われるが『かげろう絵図』が色と欲で権勢を誇るものを打ち負かす大衆時代小説の趣が濃い作品であったのに対して、『天保図録』は天保改革(1841年〜1843年)そのものを描き、商品経済の発展について... ...続きを見る

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2010/11/01 23:45
松本清張 『かげろう絵図』 清張初期の長編大衆時代小説 仔細な江戸の描写
『かげろう絵図』は昭和33年〜34年に「東京新聞」に連載された清張初期の長編時代小説である。初めて読む作品だが森村誠一『悪道』に物足りなさを感じたところで手に取った。 ...続きを見る

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2010/10/11 16:44
江戸歴史ウォッチング 亀戸天満宮の藤の花
総武線亀戸駅、雑然としていかにも下町といった小店が軒を連ねる商店街を北に向かうと蔵前からの蔵前通りに面して亀戸天神の参道入り口がある。正保3年(1646)神官大鳥居信裕が太宰府天満宮の神木「飛梅」で彫った菅原道真の像を、亀戸村にあった小祠に祀った。寛文2年、本所地区開発が進む中で将軍家綱から新しく土地を拝領して、大宰府天満宮を模し、社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋などを造営、亀戸天満宮と名づけた。この天満宮は江戸一番の大きさを誇り、「東の天満宮」と呼ばれた。天満宮につきものの梅も境内には... ...続きを見る

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2008/05/05 16:07
江戸歴史ウォチング 皇居の梅
2月19日、まだ見落としていた江戸城富士見櫓を訪ねて大手門より東御苑を散策しました。暖かく風のない日和。まだ花々は咲かず、ただ梅が見事に咲き誇っていました。 ...続きを見る

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2008/02/24 19:18
江戸歴史ウォッチング 両国橋から日本橋へ散策マップ
まず江戸東京博物館で「両国橋」「日本橋」を大型模型で実感する。 ...続きを見る

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2008/02/06 20:52
江戸歴史ウォッチング 両国から永代橋へ散策マップ
元禄15年(1702)12月14日吉良邸に討ち入った赤穂の浪士たちが吉良上野介の首を槍の柄にくくりつけて、回向院へ向かう。しかし、かかわりあいになるのを恐れた回向院は入門時間でないことを理由に門を堅く閉ざしていた。内蔵助は急遽内匠頭の墓所である高輪の泉岳寺へ急ぐことにした。さて本所から泉岳寺に行くには隅田川を両国橋で渡って江戸市中に入るのが一般的だが、そうすると武家屋敷街を通ることなる。15日は大名・旗本の登城日にあたり両国橋を渡れなかった。そこで永代橋を通って江戸市中に入る。 ...続きを見る

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2008/01/29 23:31
江戸歴史ウォッチング 富籤とべったら市の日本橋
さて日本橋富沢町の元吉原から大伝馬町にある椙森神社(すぎのもりじんじゃ)へ行こうとしましたがなかなか見つかりません。着物姿のいかにもこの街の人と思われる方を見つけましたので教えていただきました。直ぐそばまでたどり着いていたのですが、こじんまりと遠慮深そうにした神社で目に入らなかったんですね。 「大伝馬町」ですが、慶長11年、江戸城内にあり伝馬、荷駄の役を勤めた千代田村の駅家が、江戸城拡張に伴いこの地に移ってきた。その規模はほかの駅家より大きく、このため大伝馬町の名がついたといわれています。とに... ...続きを見る

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2008/01/22 19:26
江戸歴史ウォッチング 水天宮から元吉原界隈
八丁堀から新大橋通りを北東へ。茅場町は「日本橋」茅場町なんですね。日本橋というとあの橋の付近ばかりを指す地名とばかり思っていました。小網町町、蛎殻町を抜けると水天宮前交差点。この交差点に安産祈願で有名な水天宮はある。神社仏閣は緑の中で自然と一体になって厳粛さを感じるんですが、こんなに交通量の激しい場所にあると参拝もせわしないのではあるまいか。 ...続きを見る

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2008/01/20 23:49
江戸歴史ウォッチング 八丁堀界隈
八丁堀には最近週に1回ほど出かける用事がありますがここもまた江戸の歴史を残すところでありビックリの再発見でした。 ...続きを見る

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2008/01/19 17:19
上野・谷中・根岸 文化史跡めぐり その六 谷中から根岸へ 芋坂 羽二重団子 子規庵 笹の雪
                      谷中霊園そばのケーキ屋さん ...続きを見る

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2008/01/07 02:12
上野・谷中・根岸 文化史跡めぐり その五 霊廟、藤堂高虎墓所・寛永寺根本中堂
               厳有院(4代将軍家綱の法名)霊廟勅額門 ...続きを見る

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2008/01/06 00:23
上野、谷中、根岸文化史跡めぐり その四
                   紅葉に映える噴水池 ...続きを見る

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2008/01/05 00:53
上野、谷中、根岸の文化史跡めぐり その三 寛永寺
元和8年(1622)2代将軍徳川秀忠は上野忍ヶ岡の地を喜多院(現埼玉県川越市)の住持天海の願いにより寺地として与えた。1625年(寛永2)天海は比叡山が京都の鬼門(北東)にあたるのに対して、寛永寺は江戸の鬼門にあたり東叡山と号して,江戸城鎮護と国家安穏長久を祈願し、一寺を創建した。また慶安年間には創建時の年号を取り寛永寺の勅号を与えられた。(他に寺号に年号を名乗っているのは延暦寺と仁和寺のみ)将軍家のほかに御三家や諸大名が諸堂宇を寄進し、一山36坊の大伽藍が出現した。47年(正保4)に後... ...続きを見る

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2008/01/04 23:37
上野、谷中、根岸の文化史跡めぐりその二 東照宮
東照宮といわれると「日光」しか思い浮かばないのだが、実は徳川家康をまつる神社として御三家をはじめ、親藩、幕臣により全国各地に勧請されていることがわかった。 ...続きを見る

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2007/12/30 23:51
上野、谷中、根岸の文化史跡めぐり その一
上野は中学生の頃からなじみの場所だけれど、こうして史跡をたどると随分と見所のある地区なんだといろいろな発見がありました。 寛永寺境内とは谷中まで含む広大なものだったんですね。上野戦争でほとんどが焼失したんですから、ひどく残念に思います。 ちょうど銀杏が鮮やかな黄色に染まり、秋深し上野の森でした。 ...続きを見る

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2007/12/29 20:37
数々の歴史を残す愛宕山
汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として ...続きを見る

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2007/12/12 18:24
江戸城内堀散策その5 三宅坂 半蔵門
内堀散策も今日はラストコース。桜田門から半蔵門、、乾門に抜ける。 冬になったのか、、天気は良いのだが3時を過ぎれば陽射しは夕暮れ時のように弱まっている。 2007/11/21 ...続きを見る

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2007/12/08 17:22
江戸城内堀散策 その四 内堀の構造ってこんなんだったんだ!
今回は皇居の正面入り口近辺、内堀通りと日比谷通りを散策しました。 ...続きを見る

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2007/11/11 16:10
江戸城内堀散策その三
皇居東御苑に足を踏み入れるのはおそらく生まれて初めてだった。平川濠の北の端にあたる北拮橋から入る。 天守閣、本丸、二の丸、三の丸の位置関係を実感できた。 今回は特に平川門、大手門をじっくり眺め、当時の城郭建築のうえで「門」の役割を勉強できた。 いつも見慣れた大手町ビル街だが、こうしたあとに目に映る風景はまた違った趣があるものだ。 ...続きを見る

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2007/08/21 23:16
江戸城内堀散策その二
江戸城北の丸は西は千鳥が淵、東は牛ケ淵と清水濠の三つの堀に囲まれている。5月9日はこの東側を訪ねた。 ...続きを見る

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2007/07/29 16:18
向島七福神めぐり
江戸歴史研究と洒落で命名した数人の仲間と向島を散策する。 ...続きを見る

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2007/05/08 06:02
江戸城内堀周辺を散策 その一 千鳥が淵
勤務していた会社の目の前にあった皇居だがこれまで関心を持っておとずれることがなかった。最近江戸文化に興味を持ったのを機会にぐるりとめぐってこようと思い立った。全体構図がこんなになっていたのかと航空写真(国土画像情報より)をみてよく実感できた。花見には4〜5日遅れたかもしれないがそれでもと桜名所の千鳥が淵を散策した。 2007/04/07  ...続きを見る

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2007/04/12 18:44
江戸東京博物館を訪ねる。
日本橋にて40年もサラリーマンをやっていながら、生まれてこの方一度しか皇居に足を運んだことのないものにとってここで催されていた特別展「江戸城」はとても見ごたえがありました。なるほど天守閣はこのあたりにあったのかなどと古地図と現在地図を重ね合わせながら、見終わった後も楽しみがつづきました。 常設展示室も興味が尽きない仕掛けがあり、これからも二度三度、訪ねたくなりました。 ...続きを見る

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2007/03/02 19:01
深川散策 その二
19日に続いて深川七福神めぐりのルートでぶらりとしました。 円珠院 大黒天k、龍光院 毘沙門天、深川稲荷神社 布袋尊、富嶽三十六景 深川万年橋下 葛飾北斎、深川神明宮、深川神明宮 寿老人 ...続きを見る

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2007/01/30 18:22
深川散策 その一
江戸の面影をたどってウォーキングも面白かろうと今回は深川七福神めぐりの行程で1月19日と26日ふらりとさまよってみました。 富岡八幡・名物深川めし・恵比寿社・冬木弁天堂・心行寺福禄寿。 清澄庭園、深川江戸博物館にも立ち寄りました。 このページは19日の散策模様をデジカメにおさめたものです。 ...続きを見る

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2007/01/29 18:48
大江戸見聞ウォーク第二日目を楽しむ。
平成18年10月22日は北町南町奉行所同心コース8キロだった。 前回は連れがいたが今回は独りで参加した。一人で歩くのは話し相手がいなくて、弾みがつかないが、みたいところをじっくり見る場合に気兼ねの必要はなく、これはこれでいいものだ。 ...続きを見る

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2006/10/26 14:30
大江戸見聞ウォーク参加の模様
2006/10/14 読売新聞社主催の大江戸見聞ウォークに参加。 「江戸文化歴史検定開催記念」とあるように今年からそのような検定制度が始まるらしい。 この検定については受験しようと思っている。今日は8キロの忠臣蔵コースをたどった。 ...続きを見る

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2006/10/16 11:35

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