恩田陸『ユージニア』ミステリーとしては欠陥商品だがソフトなオカルトホラーなのかもしれない

恩田陸の作品を読むのはこれが初めてです。推理小説を読むつもりでした。売れっ子作家のしかも直木賞候補となった作品ですからいろいろと期待したくなります。
十七人毒殺という無差別大量殺戮事件です。本文でも比較のため帝銀事件を例に挙げているところがあります。帝銀事件の謎の一つはいっぺんに大勢の人に毒を飲ませるテクニックが素人離れしているところでした。もちろん青酸化合物の入手経路も問題になりました。その記憶から私はこの問題についてどのような独創的工夫があるのかなと興味を持ったわけです。
また何人もの事件関係者が登場しそれぞれの立場を述べることでストーリーは構成されています。宮部みゆきに『理由』がありますがこの手法で戦後の庶民生活にスポットにあてた戦後史ともいえる傑作でした。その思いがあって『ユージニア』にも共通したものがあるのだろうと期待しました。
事実を登場人物の主観で多面的に表現する方法、しかも「作中作」という技法を使っているのですから、叙述にトリックありのパズル型本格推理小説だとミステリー愛好家なら気づかぬはずはありません。どこに作者の仕掛けがあるかと丹念に読み、ラストのどんでん返しで騙される楽しさを味わおうと読み進めたわけです。
恩田陸の作風とはこの作品に代表されるものなのでしょうか。私のこれらの期待は全部外されました。ミステリーとしては欠陥商品だなというのが率直なところです。
それと被害者にしろ加害者にしろ、あるいは周辺の人々を含め、全員が社会の構成員として生活していることの現実感が全くないのです。これも恩田陸の作風なのでしょうか。オヤジ族が読む小説ではなさそうな気がしました。
しゃくに障りましたから、叙述に巧妙なトリックがあったのかなかったのかを確認するためにもう一度読み返してみました。すると何人もの登場人物の語りにはギクリとさせられる共通したものがあって、トリックの巧拙や縦軸である大量殺人事件の真犯人探しとは直接関わりがないのですが、全体を引き締め、読むものをとらえていることに気づかされます。つまり視点を変えて見つめますと、今の社会に密かに蔓延しつつある薄気味悪い状況について無理な解釈を加えず、きわめて率直に感覚的に核心をついていることがわかります。
なぜあの容疑者は人殺しをしたのだろうか。なぜあの人は自殺をしなければならなかったのだろうか。なぜ携帯電話だけでいとも簡単に心中ができるのだろうか。不可解としか言いようのないゾッとする事件が毎日のように起こっています。欲望か嫉妬か怨恨かと殺人の動機を解釈したくなりますが一筋縄ではいかない事件が多すぎます。自殺や心中にしてもこれまでの「理由」の多く、耐えられない生活苦とか愛の到達への絶望とか、哲学的死などという解釈ではとらえようがありません。われわれの知っているあるいは予想する「生活の現実感」とは無縁なところで彼らは死を実行している。それがこのところの現実なのでしょう。「何か理不尽なことが起きた時、人々は皆、理由を求めるのだ」しかしそれはフィクションであっても説明しようがない。恩田はこの不気味な状況をそのまま描いたのではないでしょうか。
恩田は一つだけ受けとめようによってはかなり冒険的な示唆をしているようです。それは宗教にかかわることです。「神の啓示」、「悪魔の誘惑」。私には信仰心はありません。神と悪魔は表裏にあると考えていますから恩田の示唆を壮大な発想をはめこんだものだとして歓迎します。
○○○は何かをしなければならなかった。何か大きな、重要なことを成し遂げなければならなかった。仕方がなかったのだ。あの事件が起きなければ、もっと違う、もっと大きな何かが起きていただろうから
恩田は単に日常化した不可解事件だけではなくオーム真理教の無差別大量殺人を、さらには地球規模で拡散しているキリスト教対イスラム教の宗教戦争あるいはテロまでも含めた巨大な恐怖、得体の知れない不安の共通性を言いたいのではないでしょうか。
○○は幼い日、このブランコの上で誰かと取引をしたのだ。誰かが、ブランコを漕いでいる○○に、おまえの何かと引き換えに世界をやるがどうだい、と○○に話しかけたのだ
そして○○は取引に合意し、次の瞬間自らの手を放したのだ
恩田の念頭には「マタイの福音書」があったのだろうと推定します。
そこには
さらにサタンは、イエスを全世界が見渡せる高い山の神殿に連れて行き、地上の栄耀栄華を見せて、もしおまえが私にひれ伏すならこれをすべておまえに与えよう
とあります。

この記事へのコメント
トラックバック、ありがとうございました。
私とは違った読み方をされていて、興味深く拝見致しました。
著者の作品は、「Q&A」と「ユージニア」しか読んだことはないのですが、
どちらも書き方がとても似ていました。
著者の作風なのか、たまたま2作品だけの書き方なのか…
どうなのでしょうね。
それでは、今後も宜しくお願い致します。
個人的には、”ミステリー”として読まない方が本作を楽しめるのかなぁと思います。
僕はかなりお気に入りです。