カルロス・ルイス・サフォン 『天使のゲーム』 20世紀初頭、呪われたバルセロナを語る第一級のエンタメ

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2007年に読んだ前作 『風の影』のバルセロナは1945年だった。嫉妬、憎悪、不信、裏切り、暴力のなかで、人々の善意、友情、愛の絆のたくましさを、繊細、流麗な文体で高らかに歌い上げていた。特にスペイン文芸文化の光と影を象徴するかのように人知れず浮かび上がる「忘れられた本の墓場」は強烈な印象を残した。「忘れられた本の墓場」シリーズとなるのだろうか、『天使のゲーム』は同じバルセロナを舞台している。時代は前作の1945年より遡った1917年に始まるのだが、しかし趣は前作とはまるで違う。「第一章 呪われた者たちの都(まち)」の表現は比喩ではない。文字通り悪夢の都としてバルセロナがある。
主人公の作家・ダビッド・マルティンが見上げる天空は黒雲に覆われ、赤い光が毛細血管のように網状にひろがっているのだった


むしろ主役はこの呪われた都そのものだと言って差し支えないだろう。
著者はカタルーニャ地方のバルセロナがたどった歴史を語ることはしないからある程度の予備知識は必要だ。
13世紀には王権に対する自治を確立していたバルセロナは、市民自治の伝統、固有の言語(カタルーニャ語)・文化をもち、スペインの先進地域の中心都市として発展した。だが光と陰は交錯してしかも闇は深かった。繰り返された内乱による血塗られた歴史である。15世紀以降、王権に対する都市反乱。またフランス、ハプスブルグの代理戦ともいえる内戦の主役でもあった。18世紀後半スペイン第一の工業都市となっていったがこれと並行して労働運動が活発になる。19世紀末におこったカタルーニャ自治運動も加わり、20世紀には左翼運動の砦となっていた。1900年生まれのマルティンがつぶやく「悲劇の1週間に炎上するバルセロナ」とは1909年の徴兵反対ゼネストと大規模な教会焼打ちにより街中が血まみれになった暴動ことである。

物語は1917年、新聞社で雑用を務める17歳のダビッドは運命に導かれるように短編を書くチャンスが与えられる。やがて独立したダビッドは旧市街(ゴシック地区)にある20年間空き屋敷のまま放置されていた「塔の館」で執筆活動を始める。28歳で謎の編集者・コレッリとの出会いがあり、30歳までの奇怪な体験談が物語の中心である。
この間のバルセロナは戦乱・暴動のない小康状態であるが、来るべき暗黒の闇を予感させる逢魔が時だったと言えよう。
コレッリは語る。
この都に、たまにしか来ない人たちは、いつも晴れて暑いところだと無邪気に信じているのです。だが、わたしに言わせると、バルセロナの空は不穏で暗い昔ながらの魂をいずれ映し出す時がくる。
この物語のあとに、1931年の共和政宣言、1934年の中央政府に対するカタルーニャ自治政府の反乱、1936年~39年のスペイン内戦、1939年のフランコ占領と、バルセロナ市民は最悪の時を迎えることになるのだ。

次々とダビッドに降りかかる禍福は現実なのかそれとも彼の妄想の産物なのか、歪みに歪んだ時空をダビッドの魂はさすらっているのか。愛は破壊され、関係者は善意の人々も含めみな死んでいく。格調高い文体に酔わされながら、複雑で大仕掛けのプロットに読者の頭はとことん混乱させられる。読後も落ち着く先が見当たらない。いったいこれはなんだったのかと、まるで悪夢を見たかのような気分である。
にもかかわらずこの作品を成立させている多様なモチーフについて、わたしは勝手に思い巡らせて、大いに楽しむことができた。
この作品は『風の影』を越えるミステリーであり、思索に富む文芸大作である。

謎の編集者・コレッリはダビッドにある雇用契約を持ちかける。脳腫瘍により余命いくばくもないダビッドに再生手術を施し、莫大な前金を払う。その対価として、コレッリの描く世界観でもって、人々を信じ込ませ煽動する力を宿す物語を書くことを求める。
新しい宗教の創造といえる。預言の書と考えるのもわたしの自由であり、新しい文化の創造と言い換えることもできる。

常に悪を欲して、なお善をなす力の一部であるメフィストフェレス=コレッリがここにいる。そしてわたしは善悪の間に引きさかれた人間状況のシンボルとしてのファウスト=ダビッドを思い浮かべる。死人同然のダビッドにかすかな光がともるラストは少女グレートヒェンの天上の愛によって救われるファウストを重ね合わせる。

誘惑者・コレッリと魂を売るダビッドの白熱した対話は聖書にある「荒野の誘惑」であり、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にある「大審問官を髣髴させる。
イエズス会による異端審問が激しいさなかのスペインにイエス・キリストが現れ、大審問官がこのイエスを糾弾するという恐るべき寓話だ。その一節。
大審問官はイエスをこう弾劾する。
「自由の身になった人間は、ひざまずくべき相手を少しでも早く探し出そうと心労するのだ。それもすべての人間がいっせいに膝を折ることができる文句なしの相手だ。………まさしくこの、一緒にひざまずける相手を求めるということが、有史以来、各個人のみならず、人類全体のもっとも大きな苦しみだった。普遍的にひざまずける相手を探そうとして、彼らはたがいに剣で滅ぼしあってきた」
宗教の起源とは?支配・被支配の起源とは?戦争と平和と文化の根源?コレッリは「大審問官」の論理で、これこそが真実だとダビッドを恫喝する。人々を恐怖させひざまずかせて、一切の迷いを持たせぬ物語、これを疑問視する人々を敵とする教義、そして平和の救世主ではないぞ、戦士の救世主を現出させるベストセラーの執筆をダビッドに依頼したのだ。

魂の自由を求めるダビッドは絶対者の君臨を認めない。バルセロナは自治で生きるべきなのだ。この本心を隠して、延命のためにコレッリと契約を結び、コレッリを欺こうとする。堕天使を内にした天使たち、両極に分かれた究極の真理を実践証明しようとして命がけのゲームが始った。勝者は?敗者は?そしてバルセロナは?

最近読んだ水村美苗の『母の遺産 新聞小説も頭によぎった。『金色夜叉』『ボヴァリー夫人』に翻弄された女性の悲劇を描き、小説の持つ「魔力」を浮き彫りにしつつ、実は読書の「魅力」を体感させてくれるのだ。『天使のゲーム』でカルロス・ルイス・サフォンは似たような趣向で読書の楽しさを味あわせてくれた。

このような思いつきのたわごとを並べたのは読後に残った落ち着きのなさをなんとか宥めたいとの気持ちからなのだが、理屈っぽい作品と誤解されては心外。ゆっくりとした進行で始るが下巻に至れば、真相を探るダビッドの荒業、殺人犯としてダビッドを追う警察、そして予想を超えたハードバイオレンスの連続とページを追ってワクワクする上出来のエンターテインメントに仕上がっている。

それでもどこか合点のいかないところが残るから………
こう解釈しよう。
舞台がバルセロナの「ゴシック地区」だからではなく、この作品は正統のゴシック・ロマンスなのだと。

ところでゴシック・ロマンスとは?
主としてゴシック風の建物を背景とし超自然的な怪奇を扱い、恐怖感を売物とする一群の小説。ゴシック・ロマンスは背景となる中世風の城、修道院、宗教裁判、牢獄などのゴシック的道具立てにおいて、その推理小説的な筋の展開において。その人物像とくに悪人像において、さらに人物の内面的分裂を分身の形で示す手法において、新しい特質を小説につけ加えている。とくに分身の手法はゴシック・ロマンスが人間の非合理的な内面、心の中の地下風景を探求していることを示している。(平凡社 世界大百科事典より抜粋)


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