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zoom RSS 木内昇 『ある男』 明治維新とはなんであったのか?近代化の光が映し出す影絵の物語

<<   作成日時 : 2013/01/07 13:51   >>

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明治維新とはなんであったか?当事者でないわたしらはなんらかの整理をしたうえで、あとづけの答えを出してみるのだが、そこに生きた人たちは整理する余裕などはなかったのだ。

分厚い農民層からなる社会を支配する核としての機構は「藩」であった。一般の人々からみれば一番えらいのはお殿様、一国一城の主であって、徳川家の将軍は眼前になかった。日本国などという概念はなかった。すなわち藩主が生活の全てを統治していたのだ。ところがある日、薩長の食いつめものたちが新政府をつくり、おらがの殿さまを排除し地元の実情など全く知らない中央政府が統治にすることになった。困った困ったと………何が困ったかは具体的にはこの7編からなる短編が語るのだが、藩中心の分権体制から中央集権体制へと統治機構が変った明治初期。しかも「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」はどこへやら、生活基盤を強奪される大衆の混乱振りを、冷酷に、だが哀しく描いた力作揃いである。

江戸時代から明治時代に入った年は1868年である。わたしなどはうっかりするとここを境目に日本は近代国家になったと錯覚するのだが、そんなことではなかったと、この物語はじっくりと語ってくれます。単に慶応から明治へと元号が変っただけであとはなにも変らないと受けとめたものの、やがて居心地が悪くなるだけだと気がつくのが、この物語の登場人物たちです。しかもそれぞれがシンボリックな変革局面に立ち会っているのです。7篇とも物語の進行役には名前がつけられていません。重要な歴史事象に歴史上無名の人物がなんらかの痕跡を残したかもしれないという体裁をとっています。

シンボリックな歴史事象のつまみ出し方が実に巧妙である。史実を丹念に検証したものでなければこういう叙述はできないものだ。わたしは松本清張の初期の秀作短編を思い浮かべた。さらに言えば明治史のおさらいをしながら読むことになった。実在の人物が多数登場し、通説にある行動をとるのであるが、彼らと接点をもつ「ある男」を含め著者が創った人々が見事にこの枠組みでいきいきと動いている。時代小説のようだが、はるかに史実に重みを持たせている。歴史小説にみえて、はるかに人物がクリエイティブなのだ。
どこまでが史実でどこからが創作なのか、じっくりと理解したくなるから、通説を一通りあたってみる手間は惜しまなかった。


第一話 「蝉」 (背景:尾去沢疑獄事件)
南部藩経営下にあった尾去沢鉱山が政商の手に渡り、採掘名人である男は行く末が心配になる。東京へ出て疑獄の張本人らしき大蔵大臣井上馨に談判にあがるのだが………。誰の手に渡ろうが山を一番よく知っているのは俺だという男の心意気を時代遅れの哀しさと共にやさしく語る。

第二話 食違坂 (背景:征韓論 不平士族 警察機構)
岩倉具視を赤坂食違坂で襲撃したのは征韓論支持者の不平士族たちであった。首謀者武市熊吉を尋問する東京警視庁の警視(元肥前武士)。二人の交流は何を生んだか。彼の進言は川路利良の進める日本警察機構構想にどう影響をあたえたのか。
第一話が時の流れに逆らう男の哀しさに対してこの第二話は時の流れに竿をさす非情な男の裏切りであるから、不愉快な男であったよ。
ここで叙述される警察機構論であるが、「行政警察」か「司法警察」かという論点が整理されている。先日読んだ横山秀夫の『64ロクヨン』にあった「国家警察対自治体警察」とも深い関連があるような気がして興味深く読むことができた。
とにかく明治の歴史をよく知らないんだと痛感します。

第三話 一両札 (背景:奥羽越列藩同盟 反政府活動 雲井竜雄)
戊辰戦争後日談といえる歴史的背景。奥羽越列藩同盟の残党たちが雲井龍雄をかつぎ、クーデターを起こす名目で偽札作りを企む。なにごとも本物そっくりにつくる名人級の細工師に偽札作りの依頼がある。老いて手元も定かではなくなった身体だからこそ、生涯の最後の仕事だ、と依頼人の素性を承知で引き受けた男の根性。職人技は細部にこだわり、完璧を目指すから遅々として進まない。依頼主らとの思惑のズレもおかしく、その結末やいかに。歴史を逆行させる若い奴等を古い世代の老人が冷ややかに観察するところが見所です。

第四話 女の面 (背景:藩政改革 藩治職制 版籍奉還 梅村騒動)
飛騨高山に初代県知事・梅村速水が中央からやってきて地元の実情を理解せぬまま、急進的な改革をすすめる。農民の不満は限界を超えて高まる。旧制度のままに村役人を勤めている男は保身に汲々としてぬらりくらり。やがて………。先を見通せなかった男の同情できない悲劇。むしろここでは彼の妻の賢女ぶりが光る。

第五話 猿芝居 (背景:条約改正と反対運動 ノルマントン号事件)
これは不平等条約改定外伝、「ノルマントン号事件」秘話といったところの物語。こうなると歴史を知らないと面白さは半減するから、勉強させてもらいました。商家の道楽息子が兵庫県の官吏になった。条約改定を進める井上馨はノルマントン号事件で窮地に立たされた。井上は内海忠勝兵庫県知事に無理難題を押付ける。世論は政府の弱腰をたたく。内海知事は無策だった。男はこれを補佐し、口八丁手八丁の商人らしさを発揮し、イギリスと日本政府の顔が立つようなシナリオを提言。事件はとりあえず落着する。なるほどねぇ………、こういう読ませるフィクションであればこそ、「ノルマントン号事件」の真実が見えるような気がします。

第六話 道理 (背景:会津藩の矜持 自由民権運動 三島事件)
自由民権運動への最初の大弾圧事件である三島事件を描いている。かつて剣の腕をかわれ勤王の志士たちを斬殺してきた男がその暴力至上主義を深く内省し、いま会津の山間で私塾を開き静かな余生を送っている。薩摩出身の県令・三島通庸の圧制に同地の自由党員・農民との対立が激化していくと、男は非暴力の立場から、法令に基づく解決策を自由党・宇田成一に提案し、合法主義での対応を進めていった。しかし自由民権運動と鋭く対立する政府が県令を後押しし、ついには農民の流血を伴う惨事となる。三島の武力・専制主義に男の和平・合法主義が一敗地にまみれる悲劇である。会津にある「什の掟」の最後に『ならぬことは ならぬものです』とある。それが福島県人の道理である。彼は「いいな………すべてはこれからなんだ」と新たな決意をつぶやく。震災後の再生の祈りに重なる印象的なシーンでした。

第七話 「フレーヘードル」 (自由民権運動 国会開設請願運動 明治14年の政変 私擬憲法)
岡山県、秀才肌の中農の男が地方自治を損なう政府政策の本質を批判、また国会開設請願運動に参加し認められるようになる。自由主義社会を夢見る男は村落共同体から疎まれるのだが、嫁の母親は彼の超然とした価値観を理解し、物心両面で支援する。しかし、読者は思いがけない背負い投げを食らい、男に裏切られることになる。だが、自由主義社会へ至る道程はこうかもしれないと思い返すことにもなって、複雑な余韻が残る作品だ。

7篇とも濃密である。それぞれが一個の長編小説に仕上げることもできただろうに。珠玉の短編集である。

急激な時の流れがある。その流れに気がつかないものがいる。流れを遡上しようとするもの、そこに止まろうとする者がいる。流れに乗り遅れまいとする、あるいはうまく乗りこなすものがいる。流れをつくるもの、流れを変える者がいる。明治初期を背景に7篇に描かれたこれら群像はそれぞれがみな痛ましい。そして読者はこれが明治初期に特有の群像ではなさそうだ、現代を生きるわたしたちも同じ哀しさの境遇にある………と気づかされるだろう。

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