もっちゃんの読んだ夏樹静子「量刑」

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人が人を裁く、そのプロセスの危うさにぞっとする

山口の母子殺害事件、当時18歳の被告に対する広島高裁は一審の無期懲役を支持、死刑を求めた検察側控訴を棄却した。少年事件のこれまでの判例は4人以上殺害は死刑、2人なら無期であり「量刑」の相場観が通ったかに見える。裁判官は被告の更生や教育の可能性を重視する少年法のこれまでの考えを踏襲する主義なのだろう。一方、夫であり父親である遺族の無念の気持ちは計り知れないものがある。
妊娠中の母と幼子が被害者となる夏樹静子の『量刑』、今読むべきテーマであります。
2002/ 3/15/


愛する人の依頼で重要物を運搬中の女性が母子を轢く。しかもまだ息のある2人を殺害、男と山中に死体を遺棄する。
このミステリーは法廷ものであるがこれまでの法廷ものが弁護士、あるいは検事側から真相を追究するプロセスを描いたのと異なり、裁判官がどのように判決にいたる心証を形成していくかとの視点で、人を裁くことに残される普遍の不確実性を具体的に問い詰める。夏樹静子のミステリーは最近ではテレビの二時間ものサスペンスでしかお目にかからず、相も変らず時代遅れの女がおりなす、嫉妬・愛憎・未練のメロドラマに辟易するのでしたが、法曹関係者ならいざ知らず、これは大人の男が読んで慄然とする問題を提示した傑作である。
正義の実現として死刑の判断を下そうとするチーフ裁判官の娘が誘拐され、犯人から有期刑の要求がなされる。誘拐の事実が伏せられたまま、三人で構成される裁判官の「合議」は昨日までの論理と逆転し十年の有期刑に収斂していく。しかもその論理もまた正義だとすることのできる怖さ。「合議」のプロセスが圧巻である。
教訓、何かあったらどうでも実力弁護士を雇わねばならない。

百科事典よりあえて長文を引用するがここにある問題をすべて書き尽くしたドラマが「量刑」であった。
事実認定の作業を進めて犯罪の証明があったと判断すると,次いで宣告すべき刑を量定することになる。これを略して量刑と呼ぶ。刑事裁判官の使命は,このように,事実認定と量刑という二つに大別されるわけであるが,公判の審理を受ける被告人のほぼ8割が罪を認めている(自白している)といわれる日本の現状では,公判手続において量刑のもつ意味はきわめて大きい。なお付言すれば,被告人が事実関係を争う場合であっても,それは裁判所の判断をできるだけ有利な量刑に導こうとするねらいをもっていることも少なくない。
量刑の過程で,多種多様な判断が求められる。しかしその基準について法律は多くを語らず,判断の指針はほとんどなきに等しい。その判断は,一方において刑罰理論に裏打ちされつつ,他方では裁判官の経験と職業意識,そして人間性に支えられたものといえよう。 具体的な量刑に際しては,被告人の更生を図るという視点に立つか,被害感情を重視するか,あるいはまたときどきの社会風潮に対する警鐘の意味を込めて判断するか等々,さまざまな考慮がはたらく。そこでは,法理論的な思索だけではなく,刑事政策的な配慮や社会学的な考察が要求されるといえよう。
 なお,公判廷での被告人の態度を量刑の資料としてよいかどうか問題となる。頑強に否認する者もいれば,素直に自白している者もいる。被告人には黙秘権が認められているのであるから,自白しないこと自体をもって不利益に取り扱うことは,むろん,許されない。他方では,しかし,自白が悔悟・反省の念から出ているものとすれば,いわゆる改悛の情ありとして,被告人に有利な心証をとることはできよう。       米山 耕二

2001/09/01

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