テーマ:江戸歴史

新・神田川遡行26 落合水再生センター見学

神田川の水源は井の頭池、妙心寺池、善福寺池とされているが、それぞれの湧水量はたかがしれていると思われる。流域から流れ込む水量とどんな割合になっているのかな?落合水再生センターの神田川水質改善への貢献は?放水路はどこにあるのか?そもそも再生センターの役割は?いろいろな疑問があって今日の見学会となったのです。 会議室で資料やパネルを見…
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新・神田川遡行 25 淀橋から長者橋

平成27年8月11日  第六回神田川逍遥会  本日のコース 神田川逍遥会のみなさま 酷熱の日々も峠を越えたかに思われますが、さてどうでしょうか。 先般のお知らせの線で下記の通り実施しますのでご参加ください。 この会の発足時の予定では6日間で全コース完了でしたが大幅に遅れております。 特に急ぐ気もありませんのでよろしくお願い…
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新・神田川遡行 24 末広橋より淀橋

柏橋から末広橋へ向かう。 また嫌な臭いが漂ってきた。末広橋の手前左岸に旧桃園川の合流口が見える。臭いの元だな。江戸川橋でもそうであったが、暗渠化して汚水が流れる旧河川の出口はたいがい汚臭がでている。神田川がきれいになったと言ってもまだまだやり残しいるところは多い。 桃園川は杉並区と中野区を流れる河川で全区間暗渠化されている。中野区内…
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小名木川探訪 江戸の水運・小名木川を歩く 1

大江戸歴史散歩の会の新しいテーマは「江戸の水運・小名木川を歩く」だ。メンバーの一人、このあたりの水路の専門家である新居正夫さんのガイドでじっくりと探訪する。 10月14日 都営新宿線東大島口に集合して、小名木川が旧中川に接する中川番所跡あたりからスタートする。 ところで小名木川とはいったいどんな川であるか? 東京都江東区北部を流れ…
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新・神田川遡行23 新堀橋より柏橋

46番新堀橋から47番せせらぎ橋は近い。オヤ!蝉の鳴き声に混じって瀬の走る音が聞こえてきた。川床を見ると細かい段差が並べられ流れが音を奏でる仕組みになっている。粋な演出です。神田川を遡ってきましたが「せせらぎ」を聞けるところはあまりなかった。 せせらぎ橋 左岸に「せせらぎの里」公園(Click!」がある。子供達のための池や水遊び場が…
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新・神田川遡行22 高田馬場から新堀橋

第5回神田川逍遥会は7月19日13時に高田馬場駅前に集合し、41番清水橋から59番淀橋までゆるりと神田川遡上を楽しんできました。予定では6日間で全コース踏破のはずが、まだ中間地点にまで到達していないという余裕しゃくしゃくの散策です。きょうはようやく一つの区切りである高田馬場を越えるんです。 清水川橋 神高橋から見ることができた清…
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新・神田川遡行 21 高戸橋より神高橋

支流の探索が長くなってしまいましたが、このあたりで本流に戻りましょう。 高戸橋 江戸川橋より続いた緑の遊歩道と心和ませる川の流れはここで終わります。ここからは第一義的に洪水防止の視点で護岸壁を堅固にしている都市型河川の典型、「水路」が延々と続くことになります。 神田川も曲線を描き二つの橋が近接するなど高戸橋交差点へたどり着…
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新・神田川遡行 20 「真説 高田馬場」 水稲荷神社にあるもう一つの史跡

水稲荷神社の境内入口、石段を上った左側に巨大な石碑が威圧するようにそびえている。 水稲荷神社のホームページによると 堀部安兵衛助太刀の場所の碑です。 元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切…
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新・神田川遡行 19 番外編 高田富士祭で富士山登頂

今年は7月19日と20日が高田富士祭で神田川逍遥会のメンバーTさんと二人で出向いてみました。 まず関連する古地図(click!)と現在の在所(click!)確認します。 境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。 むかし植木…
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新・神田川遡行 18 水稲荷神社とその周辺

まず、古今の周辺の地図を見ておきましょう。古地図の中心部には小さく「三島社」とあるがこの場所に現在の水稲荷神社がある。水稲荷神社は、『江戸名所図会』に描かれた当時、「高田稲荷」とよばれていました。右下の小高い丘の上にあるのが、水稲荷神社(高田稲荷)で、ここは現在の早稲田大学9号館裏のあたりです。その右にある山は、高田富士で、水稲荷神社(…
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新・神田川遡行 17 豊橋から高戸橋

豊橋 神田川30番目の橋です。河口から7キロの地点です。全長24.6キロですからまだ三分の一にもなりません。 なお」神田川は新宿区と文京区の区境を流れていましたが、このあたりから新宿区と豊島区の境を流れます。 ところで、神田川の風景は駒澤橋からかなり変わったことに気がつきます。江戸川橋付近の流れは淀んでいて濁っていましたが…
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新・神田川遡行 16  駒塚橋界隈 (水神社・芭蕉庵・永青文庫・新江戸川公園)

胸突き坂 駒塚橋より目白台に向かって急坂が伸びている。「胸突き坂」というから苦しくなりそうだ。胸突き坂の左手には水神社、右手に関口芭蕉庵、坂を上り切ったあたりに永青文庫と文化史跡が連なり、さらに奥には講談社野間文庫、村上春樹が一時入っていたことで知られる男子学生寮の和敬塾を見ることができる。 メンバーのFさんはなぜか和敬塾に関心…
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新・神田川遡行 15 江戸川橋より駒塚橋

6月27日。このところ雨の降り続く日が続いたが、今日は梅雨の合間というタイミングか、午後には降りやんでいた。第四回神田川逍遥会は江戸川公園入口に全員が集合した。 江戸川橋 江戸川橋は目白通りを渡している。北へまっすぐにいくと護国寺に突き当たって、かつては音羽通りと呼ばれていた。 「音羽通り」の由来 天和元年(1681…
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新・神田川遡行 14 中之橋から江戸川橋

中之橋界隈 新白鳥橋に続く19番目の橋がこの仲之橋だ 現代地図にも名前が表示されていない地味な橋だが、隆慶橋と石切橋の間で古地図には「中橋」とある江戸時代からの歴史をのこす橋だ。 橋の南詰に案内板がある。 「中之橋の由来」 この橋の架けられた時期は明確ではありませんが、江戸初期に(1670年ごろ)刊行された「寛文江…
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新・神田川遡行 13 船河原橋から新白鳥橋

船河原橋は神田川14番目の橋だ。5月24日、第三回の神田川逍遥会は暑い日だった。 飯田橋交差点陸橋から眺める船河原橋はいつになっても複雑だなぁ。人が歩けないという珍妙な歩道が見える。 今日はここから江戸川橋までを散策するが、川の流れは淀んで濁り、悪臭もある。首都高が流れに覆いかぶさっているので暗い。道路にはところどころでごみの山…
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江戸城北の丸を歩く 4 代官町通りから千鳥ヶ淵沿いを

維新後、明治政府によって近衛師団の兵営地が設置された。このような地図で北の丸を鳥瞰すれば、中心に近衛歩兵の兵営があり、そこを取り巻くように営倉、病室、炊事場、体操場、火薬庫、練兵場が設けられ、東端には砲兵の兵営がせり出しています。完全に近衛連隊の特別な軍事施設だったんですね。 皇居と皇族の護衛、帝都の防衛が主な任務で、毎日2百名の…
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新・神田川遡行 12 飯田橋界隈

飯田橋を徹底解剖してみようまずはわかりにくい飯田橋交差点です。 神田川逍遥会の第三日に当たります。 外堀通りと目白通りの交差点であり、かつ大久保通りの起点であり、さらに目白通りと並行して神田川の対岸の外堀通り(一方通行)も合流する「変形五叉路」になっている。 その複雑な交差点の直下が神田川と飯田濠の合流点となっており、その神田…
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新・神田川遡行 11  水道橋・後楽橋・小石川橋

水道橋 神田川で11番目の橋だ。かつて「吉祥寺橋」と呼ばれている時代があったと言います。現在文京区本駒込にある吉祥寺が、天正19年(1591)から明暦の大火(1657年)で燃えるまでの間、水道橋北詰にあったことによるらしい。中央線に「吉祥寺駅」がありますが、あの一帯に吉祥寺というお寺は今も昔もありません。明暦の大火のあと、元吉祥寺周辺…
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新・神田川遡行 10 水道橋懸樋

お茶の水橋から水道橋方面に外堀通りを歩く。緩やかな下り坂をお茶の水坂と呼んでいる。道路の右手に案内板があった。 お茶の水坂 この神田川の外堀工事は元和年間(1615-1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘二丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。…
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新・神田川遡行 9 御茶ノ水駅界隈

昌平橋から聖橋へ向かうには神田川(仙台濠)の北側の相生坂を上れば途中右手に昌平坂を見ることができます。また南の淡路坂を通れば聖橋手前の太田姫神社元宮を見逃すことはありません。 さて今日4月13日は神田川逍遥会の遡行二日目でM1さんとNさんはあいにく都合がありましたが、ただNさんは反省会には駆けつけるそうです。予定通り御茶ノ水駅聖橋口に…
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新・神田川遡行 8 東京都水道歴史館、神田明神

江戸を知るには神田川を知らなきゃならぬ。神田川を知るにはまずは東京水道歴史館である。 [江戸っ子は水道水で産湯を使い」 とそれが江戸っ子の自慢だったそうだ。映画でみる庶民の長屋風景には井戸端が出てくるが、あれが掘り井戸ではなく水道の出口に当たる井戸だと知ったのは最近のことだ。 江戸の町に住む人たちの飲料水は水道により運ば…
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新・神田川遡行 7 万世橋、筋違橋、昌平橋

万世橋はかつて現在の地にはなく、約150m上流に筋違橋門(すじかい)に付属する筋違橋がありました。この筋違橋と昌平橋、万世橋は架橋の経緯がたいへんややこしくなっています。 今はない筋違門とは 寛永13年(1636)加賀百万石の三代藩主・前田利常が築いた。歴代将軍が大手門から神田橋門(江戸六口)を通り上野寛永寺や日光東照宮へ出…
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新・神田川遡行 5 和泉橋界隈

古地図を見れば。 浅草御門から筋違御門(すじかい)までは、北岸には船荷の集積地である「河岸」が連なり、いまでも神田佐久間河岸と呼ばれる。南側は土手が築かれていた。土手上には柳の木がずらりと植えられて、柳原土手とか柳原堤と言われていた。 北も南も町家が広がりを見せているが中で「伊勢津藩主・藤堂和泉守高猷(たかゆき)」の大名屋敷が目立っ…
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江戸城北の丸を歩く 3 北の丸公園を清水門・竹橋へと

武道館まえの大駐車場の奥に戦後20年間、学生寮があったという。その当時、学生の自治寮といえば学生運動の根城だったろうに、そんな左翼のアジトが皇居という対局の懐にあったとは全く知りませんでした。これこそ獅子身中の虫だったはずだが、当時東京の学生であったわたしには各大学にあった学生寮はともかく、ここになんかのセクトが住み着いて騒動があったと…
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新・神田川遡行 4 左衛門橋.・美倉橋界隈

左衛門橋 神田川も上流に行けば市街化が急速に進んだため次々と架けられる橋の名前には安直につけたとしか言いようのないものが多くなるのだが、古くからある橋については橋名の由来を辿るのも神田川遡行の楽しみでもある。 新・神田川遡行で使用している古地図は安政3年(1856)の実測復元地図です。 この古地図の当時にはまだ架けられていませんで…
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新・神田川遡行 3 浅草橋界隈

浅草橋の成り立ち 江戸幕府開府に伴い江戸の町づくりが進められ、その一環として江戸城防衛のため重要な拠点に見附門を設置した。 特にこの地は、日本橋から奥州街道・日光街道・水戸街道へ、又、江戸の古刹浅草寺(浅草観音)へ向かう重要な道筋にあたっていた。 このため幕府は寛永13年(1636)神田川の南岸、今の中央区側に浅草御門を設け、警護…
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新・神田川遡行 2 柳橋界隈

柳橋欄干から隅田川を観れば右手に両国橋 柳橋界隈は行政区として台東区、中央区、千代田区が入り組んでいるが、この場所は中央区東日本橋と台東区柳橋の境界にある。「柳橋」の由来についてはいろいろな説があって真説は不明だ。もともとは神田川が大川に流れ込むところにあるので「川口出口之橋」という名称であったが、ほとりに柳が植えられていたことから…
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新・神田川遡行 神田川逍遥会発足にあたって

8人のメンバーからなる神田川逍遥会。3月、好天にあたり、発会、柳橋から遡行を開始しました。 神田川にも春が来た。 ポカポカ陽気がよくなって 心ズキズキワクワクと、重たい足腰よっこらしょ。春色を川の流れに求めつつ 友よいざ、囲いの外へと彷徨い出でん。 三鷹市にある井の頭池から流れ出した水は三鷹市、杉並区、中野区、新宿…
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江戸城北の丸を歩く 2 田安門界隈

江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構(そうがまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。 もともと田安門が創建されたころはこのあたりは「田…
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