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help リーダーに追加 RSS 04/03/14三田誠広『わたしの十牛図』真の<わたし>に出会う旅

<<   作成日時 : 2005/05/27 15:53   >>

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色不異空、空不異色、色即是空、空即是色………の空ってなぁに。それはわからなくてよいのです。
わたしにとって人生とはなんであったか?
あるいはこれからの人生をいかに意義あるものとして生きるか?
本来の自分とはなんであるか?
などと思索にふけることは
物心ついてから青雲の志とか人生の明確な目標といった言葉とはまったく無縁で
ただなんとなく生きてきたのが実感だから
今さらの感があってやはり青臭いことだと思うし、
気恥ずかしさが先にたつ。
とはいえ、そういうことに全くの無関心でいいのかと問われて「それでいいのだ」と居直るほどの度量はなく、若い人たちと議論するようなことがあればおそらくなにごとかをしかつめらしく、しかも熱っぽく楽しく語るに違いない。

人生論であり仏教哲学の講義であるから『僕って何』で芥川賞を受賞した自分より若い作家のご高説など聞く耳はもたないはずであるが、過去なんどかこの「十牛図」との付き合いがあって手にとることなった。

もう十数年前のこと、会社の若手社員の幹部養成用研修に知り合いの大手百貨店役員でたいへんな苦労人を講師に頼んだことがあったがその方にこの絵の存在を教えてもらった。

その後京極夏彦のミステリー『鉄鼠の檻』にこの十枚の絵が紹介されてあった。これをコピーして新入社員に対して先輩面の講義をしたこともあった。

そして今月、還暦を迎えたわたしとしてはこの作品を素直に読むことができた。
「《わたし》の正体とは何か?今、真の自己に出合う旅が始まる。禅画『十牛図』に見る悟りの境地」

と帯にある。

「十牛図」とは人が「悟り」にいたる十段階のステップ(尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、騎牛帰家、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入廛垂水)を時系列的に絵に表したもので、判じ物として一枚一枚を分析的に眺めること自体が実に面白い。もっともこれを分析的に解釈することこそ大いなる過ちでまさに俗人の姿勢であるのだが所詮煩悩から逃れられぬ身としてはやむをえない。

「牛」を求める「若者」が山奥に踏み込み「牛」を見つけ格闘の末「牛」を我がものとする。そして「若者」が消え次に「牛」が消える。8枚目の絵は人牛倶忘(じんぎゅうくぼう)の図と呼ばれ、何も描かれていない空白画なのだが、この意味がわかれば涅槃の境地、仏になれるというものである。

「牛」とはなにか。人生の目標でもいい、この世の真理でもいい、求めてやまないものだろう。著者は「牛」を「本当の自分」とし、これを再発見しようと呼びかけているのです。

アイデンティティークライシスというのだそうですが自分がある今の閉塞状況にもだえている人はたくさんおられるでしょう。わたしのように「本当の自分とはなぁに?」と問われてそういう唐突な問いに戸惑う人はもっと多いことでしょう。だからこの作品で語る著者の非常に爽やかな人生論に素直に耳を傾けることができるのです。俗事にかまけているとときにはこんな哲学的雰囲気もいいものだと気軽な気持ちでつき合える作品だと思いました。

究極にある「空」という概念はわたしには到底理解できない深遠なものです。しかし、明治以降の西欧の科学的分析主義あるいは合理主義がグロテスクなまでに先鋭化した今日的情況があるからこれと対峙する曖昧模糊とした東洋的見かたにどこか惹かれるのです。

ただし、「空」の概念を今の人にわかってもらおうと著者は量子論、宇宙論、遺伝子論を持ち出していますがむしろ難しくなってしまったような気がしました。これはわからないままいるところが「人」である由縁なのでしょうね。

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