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help リーダーに追加 RSS 感動の直木賞 熊谷達也 『邂逅の森』 自然の摂理に導かれた生き様を貫く男への讃歌

<<   作成日時 : 2005/06/16 22:20   >>

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ある民族にとって自然は過酷であった。そこでは人間に絶対服従を課したのが神であった。しかし、日本民族にとって自然は生きとし生けるものに恵みを与える神である
大いなる自然の道理に導かれている存在。山、森、谷、川、そのものがそうであり、そこで息づいている草木や熊、カモシカ、ウサギなどの獣がそうだ。それらは自然の恵みをあるがままに受け入れる。しかし一方で自然の過酷な試練にさらされ、しかも生きつづけることもまた道理なのである。


人間はそうではなかった。人間は常に自然を征服しようとする。それが人類の進歩であり、文明発展の歴史であり、合理主義を真理とする近代化である。そして現代の繁栄がある。ただその延長にある未来に栄光が待っているのだろうか。自然界の摂理と人間社会の発展、抜き差しならぬ両者の対立構図を作者は念頭にしている。

大正期の秋田県。山々の懐に囲まれた集落。マタギ。狩猟の民。近代化の浸透。なお彼らの生活は山の神様に導かれている。マタギにとって獲物はすべて山の神様からの授かりものである。恵みである。そのために、狩猟時の規律、一族には頭領(スカリ)への絶対服従、族間の規則、遠征する旅マタギの縄張り、さらに生活慣習にいたるまでの厳しい掟がある。彼らの生活ぶりを詳細に描き、また熊狩りのディテイルは興味が尽きない。

地租改正の帰結として主人公・松橋富治の父は猫の額ほどの耕地を地主に奪われる。貨幣・商品経済の浸透、日清・日露戦争の軍需、あるいは戦後の恐慌などによってマタギの生活は綻びはじめる。山の神様とは相容れないハンターの登場。密猟の横行。また東北地方の貧困の代償は娘の身売りである。現金が欲しい。固有の伝統と戒律の世界にありながら、やむなく近代化・合理化と折り合いをつけなければならない。マタギは不安定な均衡状態でようやく生活を保っている。

マタギである松橋富治は自分の子を宿した地主の娘と別れ、鉱山に追いやられる。ここにもマタギと同様に親分・子分、掟の世界があった。死と向かい合わせの鉱山で生きるための秩序があった。彼はそこでたくましく一人前の採鉱夫に成長する。しかし、彼の狩人としての血の騒ぎはおさまらずふたたびマタギに戻る。その村の男の誰しもが寝たことのあると言う多淫な元娼婦と結婚して子をなす。

作者は近代化する社会から疎外されたところにある人間の生の営みにフォーカスする。マタギである富治の野性のエネルギー、本能に突き上げらるかのようなふたりの女との性愛、それが昇華したところにうまれる男女の深く結びついた生活、さらに動物的に強靭な親子の絆を濃厚に描写する。

久しぶりに恋愛小説を読んだと思った。でもこれはいわゆる恋愛小説ではないことに気づかされる。ここに登場する男と女の関係には人倫の概念は全くない、むしろ雄と雌の性愛である。さらに男女の結びつきよりも親と子の絆を明らかに上位概念としている。もちろん儒教的価値尺度ではない。種族維持最優先の動物的結合とはそういうものであろう。いくつかの親子の別れ、親子の再会、親子のありようが描かれ、その本能的愛、無心の愛にわたしは涙をこらえられないところがあった。

人は善をなすつもりで悪行を重ねるものだ。その積み重ねに今がある。それが身にしみた者にとって
自然さ抗(あらが)ってはだめなのっしゃ

との言葉には新鮮な刺激がある。

娘の幸せな行く末を確認した。マタギをやめ夫婦ふたりのつつましい生活をはじめるつもりであった。しかし富治は知り合いのマタギが娘を身売りするのを放っておけなかった。そして金を得るために最後の熊狩りを仕掛ける。しかし金だけが目的ではない。自分の明日を山の神様に尋ねるための熊狩りである。そして神様の化身である巨大熊に邂逅する。死闘の結末は………。

主人公も著者もあからさまな文明批評などはしない。ただしずかに大自然の神性に帰依していくだけである。ここには限りない生命への賛歌がある。

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