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help リーダーに追加 RSS 皆川博子 『伯林蝋人形館』 皆川博子の得意とする幻想的世界である。

<<   作成日時 : 2006/10/23 15:12   >>

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エロチックでグロテスクな狂気を耽美的に描く皆川博子の得意とする幻想的世界である。
狂乱へとむかう1920年代のドイツを舞台に6人の男女が織りなす運命の輪舞
「彼らの人生は、さまざまな場所、時代で交錯し、激動の歴史に飲み込まれていく………

ドイツの歴史をまるで知らない私はバラバラにある6つの物語を時間の流れに沿って組み替えしないとおさまりがつかなかった。
1914年に始まった第一次世界大戦、フランスとの主要戦場のひとつであった1916年のヴェルダンの戦いには生粋のドイツ人とユダヤ系ドイツ人の若者がいる。1917年ロシア革命、暴徒と化した労働者・兵士に追われベルリンへ亡命したロシア人・上流階級の家族には娘がいた。1918年、ソヴィエト・ロシアのクーデターに呼応した共産主義者によりドイツ・キールの水兵は反乱を起こし、さらに暴動はベルリンへと波及する。赤色暴徒との市街戦を戦う愛国少年がいる。労働者の武装蜂起は地方へも波及しつつ内戦のミュンヘンではルンペンの少年が極右への道を踏み始める。そして1919年、敗戦とワイマール共和国の成立。しかし戦闘はやまず、1923年フランスのルール地方侵攻に対し義勇軍として戦火に身を投じる若者たち。1929年の世界恐慌から1933年のヒットラー政権の登場。
なるほど当時のドイツは民族主義と共産主義革命の対立軸がナチスに収斂する過程であったか。
心はドイツ人でありながらユダヤ人であるがゆえにアメリカに亡命する若き実業家。つかの間の享楽に身をゆだねるベルリン上流階級とそこにまとわりつく隠微な生き物たち。麻薬に溺れる生きたままの死人。死をささやきかける幾体もの蝋人形たち。

1914年からの20年間の血みどろの戦場に加え、倦怠と退廃のベルリンが6つの物語の背景として繰り返し繰り返し登場する。それぞれの登場人物は微妙に時間の中心軸がずれているため、どの時点でどの場所でだれとだれが交錯しているのか判然としないままにそれでも引き込まされる妖しい魅力がある。

著者のお家芸、読者を惑乱させる作中作の華麗なテクニックがこの作品でも使われる。6人の主人公の6つ物語りはだれによって書かれているのか、どこまでが真実でどこに虚構が潜んでいるのか。そしてそれぞれの語りはそもそも現実であったのか夢だったのかあるいは麻薬による幻覚・幻聴なのか、思い込みなのか。
男と女、男と男のいくつかの愛の形。三角関係?四角関係?いや多重関係なのかもしれないのだが何人かが死んで、どろどろした愛憎劇がごった煮状態のまま最終章へなだれ込む。

『死の泉』から9年、壮大な歴史ミステリー長編
とあるが、しかしこの展開をどんでん返しの妙として賞賛する気にはならないものだ。謎解きのためには細部にわたり読み返す必要があるのだが、その根気はもちあわせていない。「ミステリー」と名乗らないほうが読者は謎を解かねばならないと拘束されずにこの耽美幻想のデカダンスを味わうことができるであろう。

戦争がなぜ起こるのかではない。まず血みどろの抗争ありきなのだ。戦争、内乱、それは物理的大量破壊なのだがそれがまるでボレロのリズムのように繰り返され昂揚するうちに人間が破壊されていく。そうなのだろうか。それともボレロは単にBGMに過ぎず人間を破壊するのは神の視座にたって冷酷に人間を観察する悪霊的人間存在のなせるわざなのだろうか。
ドイツといえば狂気のナチスしかないバカの一つ覚えにはその前夜のドイツも残酷で病的な精神の吹き溜まりであったかと思い知らされた。

ところでこの作品で著者はドイツ民族の内省あるいは自嘲であるかのようにドイツの内面からその負の国民性をつかみあげている。いかにも自虐的な装いがあって、なるほど著者のドイツについて見識には敬意を表するがドイツ人ではない著者のそれは思い上がりというものではないかと他人事ながらハラハラさせられる。
悪霊に取り付かれた民族のいかにも救いなき地獄ゆきの様相だからだ。


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