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help リーダーに追加 RSS 貝塚茂樹 『韓非』 歴史大ロマンを読む心地で

<<   作成日時 : 2006/11/23 10:03   >>

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数人の仲間と『韓非子』を読んでいる。中国文学の権威・村松暎先生と雑談を交わしながら全編を通読するのではなく、先生が用意された解釈なしの原文テキストで「孤憤」「説難」「和氏」「姦劫弑臣」「五蠹」までを読んだ。五十五篇の大著のなかからどうしてこの篇をとりあげ、この順序で読むのかわからないままに先生の洒脱な語りぶりとおとぼけにすっかりのめりこんでいた。これらは韓非子の自著であり、韓非子思想の枢要をなすものなのだろう。

比喩が巧みであり、論理的であり、感情は時に高らかに時に慎ましやかに起伏に富んで、しかも鬱屈と沈痛の心情に憂国の気が満ちている。なるほどこれを読んで秦の始皇帝が感激したわけだ。なにしろ専制君主が国家を支配のために必要とする合理的システムが指摘されている。それまで理想とされた仁や徳の政治ではない、倫理性を希薄化した法治政治である。歴史上初めて全中国を支配する秦の中央集権体制の基礎となる理論だからだ。
それだけではない、二千数百年をいまのわれわれの生活の中にその同質性を見出し驚くことになる。現代民主主義体制といえどもある意味で支配・被支配の構図にあり、会社社会も同様の関係にあるから、韓非子のこれらの編を読むものはいくつもの指摘を現実感覚で飲み込むことができる。善悪の基準よりは利害得失の選択で人は動くものだとして組織内の人間の心理をつまびらかに分析するその合理性は非情なまでに研ぎ澄まされている。

貝塚先生は歴史学者である。韓非の伝記がほぼ漢の司馬遷『史記』の叙述に限られしかもその叙述が必ずしも史実ではないと指摘される。順不同に収められた『韓非子』五十五編の内容を分析し、各編の成立年代を推定、韓非の思想発展プロセスをたどっていく。古今、日中の韓非子研究、最近発掘された古代文書などに独自の切込みをいれる分析の成果がこの著述であるが、この過程は難解でありついていくことができない部分も多かった。また貝塚先生のこの著作にいささかでも口をさしはさむ見識など待ち合わせてはいない。ただ素直に自分なりに理解できる範囲で読んだ。いくぶんかでも韓非子に触れたことがあるからだろうか、つい最近塚本青史『始皇帝』を読んだこともあるだろう、研究論文を読むつもりで手にとったのだが、思いがけずに面白くあれこれと興味の尽きない読み物だった。

韓非の思想を現代という座標軸にたって歴史的観点で学ぶ。そのための格好の書であるといっても間違いではないだろう。たとえば私の読んだ「孤憤」「説難」篇は韓非が道術によって国家の政治原理を基礎づけた道家思想から実定法による国家統治の技術論へとの思想革命をはっきり示した自画像のようなものだされる。こうしたヒントを得て原文を読み返せば、なるほど!と、七雄割拠の戦国から秦が大帝国を完成する時の流れに密着してこの篇の本質を実感できることになる。

ただ、私が面白いと思ったのはそれだけではない。韓非を主人公とした大歴史ロマンを読んだような、司馬遷『史記』にある韓非子伝記よりははるかにスリリングで波乱に満ちた人物像を思い浮かべることができたからだ。韓非の祖国韓は隣接する強国秦の脅威に運命は風前の灯であった。貧乏公子だった韓非。政治の実権からほど遠い貴族。吃音で華やかな舞台に登場できない才子。人間観察を通じて社会の積弊をえぐり法治主義こそが国家の強化・安定を可能にすると論断する。しかし、韓王へ内政強化策を提言するも受け入れられずに鬱々の孤独。燕、趙、斉、衛、魏、楚の合従か。秦との連衡か。そして秦は李斯の遠交近攻の策をとり韓への攻撃を開始する。この国際的緊張関係の中で韓非子は秦へ乗り込む。司馬遷の言うように始皇帝から招請されたのではない。秦の韓攻撃を阻止する調略をもって秦へおもむいたのだとする。そしてその役割を看破され毒殺されたのだと。
これこそ歴史大ロマンでなくてなんであろう。

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