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zoom RSS 江戸歴史ウォッチング 富籤とべったら市の日本橋

<<   作成日時 : 2008/01/22 19:26   >>

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さて日本橋富沢町の元吉原から大伝馬町にある椙森神社(すぎのもりじんじゃ)へ行こうとしましたがなかなか見つかりません。着物姿のいかにもこの街の人と思われる方を見つけましたので教えていただきました。直ぐそばまでたどり着いていたのですが、こじんまりと遠慮深そうにした神社で目に入らなかったんですね。
「大伝馬町」ですが、慶長11年、江戸城内にあり伝馬、荷駄の役を勤めた千代田村の駅家が、江戸城拡張に伴いこの地に移ってきた。その規模はほかの駅家より大きく、このため大伝馬町の名がついたといわれています。とにかくこのあたりは大商業地でしたから、神社仏閣は現世の利益を祈念する町人たちで栄えていたんですね。

                        椙森神社
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案内ボードによると
平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をしたところといわれています。
室町中期には江戸城の大田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して篤く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)のひとつに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
しばしば江戸城下の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために、有力な寺院で当たりくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれていました。
明治維新以後も東京市中の古社として盛んに信仰されましたが関東大震災で全焼し現在の社殿は昭和6年に耐震構造の鉄筋作りで再建されました。境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正8年に建てられたもので富札も残されており、社殿とともに中央区民文化財に登録されています。


             日本でただひとつだそうです「富塚」
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椙森神社境内にあります。今でも宝くじの大当たりを神頼みする人が絶えません。
案内ボードによると
富興行は江戸庶民の楽しみの一つであり、庶民の泣き笑いがいまに思い浮かべることができます。この富塚は庶民の心の記念として大正に建立されましたが関東大震災によって、倒壊してしまいました。その後富塚の話を知った氏子の人々は有志を募って昭和28年11月に再建されたのがこの富塚です。この富塚は、多に類を見ないといわれ、日本で唯一のものです。今日では宝くじの元祖として多くの人が心中祈願をしているようです。


               べったら市で名高い宝田恵比寿神社
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ここも探すのには苦労しました。街角の駐車場の隅にポツンとありました。ここの案内ボードの内容も興味深いものがあります。
「宝田神社恵比寿神御縁起と伝馬町の由来」
宝田神社は慶長十一年(1606年)の昔四百十余年前、江戸城外宝田村の鎮守様でありました。
徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村(現在皇居内楓山付近)の転居を命ぜられましたので、馬込勘解由(かげゆ)と云う人が宝田村の鎮守様を奉安申し上げ、住民を引卒して此の地に集団移転をしたのであります。
馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時、三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので、平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申し上げたのが今日に至ったのであります。
作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。(本当かしら?)
其の後村民の生活は金銀為替、駅伝、水陸運輸、それぞれ重要な役を賜り、馬込勘解由は地主となって、三伝馬取締役に出世し、御役名に因んで大伝馬町の町名を賜って、伊勢・駿河・遠江・美濃・尾張等、家康公ゆかりの国々より商人を呼び集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商売発祥の地として大変賑わったのであります。
現在も周辺の老舗、大小商社が軒を並べて今尚盛んな取引が続いております。
宝田恵比寿神は商売繁昌、家族繁栄、火防の守護神として、崇敬者は広く関東一円に及び毎年十月十九日の「べったら市」二十日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行われます。べったら市は「年また新たまる」今年も年末が近づきお正月を迎える心構えをする商人にとって大切な年中行事として老舗は現在でも恵比寿講をお祝いして居るのであります。又若者により浅漬け大根(べったら)を混雑を利用し、参詣の婦人にべったらだーべったらだーと呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられております

べったら市とは名前だけは知っていましたがここが本場だったんですね。
「べったら市」
その昔、翌20日の恵比須講に使う様々な物(神像や打出の小槌、懸鯛、切山椒など)を売るための市でしたが、いつの頃からかここで売られるべったら漬が評判になり、「べったら市」という名が定着したようです。
今では、大伝馬町界隈で様々な露店(約300から400件)が軒を連ね、多くの人が集まります。

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