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zoom RSS トルーマン・カポーティ 『冷血』 高村薫最新作『冷血』を読む前に

<<   作成日時 : 2013/01/19 23:09   >>

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トルーマン・カポーティの『冷血』は1965年の作品である。1959年11月、カンザス州の片田舎・ホルカムで起きたクラッター一家4人(夫妻と子どもたち)惨殺事件。実際にあった事件を徹底的に調べ上げ、ノート6000ページに及ぶ膨大な資料をもとに、データを再構築し、実際の再現に迫ろうとする姿勢で、実録風の小説に纏め上げたものだ。
被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル………。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノベル。
裕福で勤勉な農場主クラッターはこの村落共同体の中心人物であり、敬虔、誠実な人柄から誰からも慕われていた。家族も村人から愛され、家族関係も円満であった。周辺住民はみな「あれほど徳行を積んだ人びとが無残に殺されるとは……」と怖れおののき、犯人への憎悪も否応なく高まった。
読んでいるわたしだって、この犯人は当然に死刑だと思いましたね。
殺人者はペリー・スミスとリチャード・ヒコック(ディック)という2人の男。カポーティの綿密な取材活動から浮き彫りになったのは凶悪犯二人(特にペリー)の家族関係、彼らの生い立ちと生活環境だった。

ところが肝心の「なぜ彼らは無意味としか思えない残忍な殺人行為に至ったのか」については、腑に落ちる形では明らかにされなかった。最終的には法廷という場に集約されていくのだが、弁護士、精神科医、牧師、友人、家族などからの証言や意見は詳述してあり、しかも彼ら自身の供述も詳しい。にもかかわらず、真実は濃い霧に閉ざされたままだったのだ。カポーティ自身も直接的には判断、推測を下していない。

怨恨ではない、金銭でもないなぁ。現代流儀の「だれでもよかった」でもなさそうだし「なりゆきでなっちゃった」のかな。
読者の推測は自由であるが、結局、殺人者の心の闇の部分は決定的な解釈がなされないまま放置されたのだ。言い換えれば周囲を丹念に執拗に追求したのだが、核心には至らなかった。あるいは、そもそも神のみぞ知る世界に第三者が足を突っ込むなということなのかもしれない。

カポーティ自身、積極的には判断する姿勢にないのだが、しかし、証言者や当人たちの語りを再構成するプロセスではあえて選択、抑揚をつけて、読者の推測を一定の方向へ導こうとする意図が見受けられる。

知能指数も並み以上のディックは実践派であり、具体的に犯罪計画を立てペリーを巻き込んだ。金銭を強奪し、皆殺しにするとペリーに説明した。ところが現金はなかった。ディックの皆殺しは口先だけで、実際には二の足を踏み、むしろ娘を強姦したくなった。もともと殺人には消極的であったペリーはディックのいい加減さと変態性欲とを憎悪し、………ここからがわけのわからぬところで………、なぜか殺すつもりのなかった人たちに散弾銃を打ち込んだ。
こういうのは今では「切れた」と言う説明になるのだろうか。

ペリーの知り合いでカトリック教徒カリヴァンにペリーはこの瞬間を次のように語ったと著者は紹介している。(こういう表現手法がいたるところにあり、ノンフィクションノベルなんだ)
なぜ撃ったのか、自分でもわからないんだ。足がつくのを恐れてやったというわけでもなかった。クラッター一家が何かしたわけでもなかった。あの人たちはおれを傷つけたりはしなかった。ほかのやつらみたいには。おれの人生でほかのやつらがずっとしてきたみたいには。おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろう
おれはクラッター家の人たちとはほんの一時間だけの知り合いだった。ありのままをいえばあれは射撃場で標的を狙い撃ちするようなもんだった
そして著者は「おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろう」と語ったペリーの心理について、専門家の意見のように示しながら、(自分の推定も含まれているような、ちょっと胡散臭い手法で、)詳細な精神分析を試みている。そこは興味をもって読むことができた。

どうもカポーティは彼らに死刑の判決を下したこの裁判に対し、一癖ある疑問を投じているようだ。
第一に陪審員を含め弁護士、判事たちは裁判開始前から死刑を前提にしていたのではないか。
第二に四人全員への発砲はペリー一人の行為で、ディックは傍観者であったと思われるのだが、それを明らかにせぬまま、ディックを同罪の死刑とするには問題があるのではないか。
第三に彼らを精神疾患者とする充分な根拠があるにもかかわらず、裁判は精神分析をおざなりに扱っている。
第四にペリーの彼の生い立ちは、悲惨で不幸だった。肉体的精神的暴力を受けながら育った。ナルシスト。音楽、絵画、詩歌を好み、夢想家。野生のリスを飼いならすやさしさもある。そういう全体像を考慮した判決であってほしかった。
………これはわたしのあて推量なのだが、カポーティがこんな気持ちをもってこの作品を仕上げたような気がしてならない。

50年以上も前ならともかく、こうした残忍な事件がよくおこる現在であるから、『冷血』のこのテーマは古びた印象があった。
しかし、じっくり読み込むとフェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』を髣髴させるところがある。『犯罪』は異常な犯罪と向き合う現職弁護士が描いた小説。異常な犯罪者たちの「事実」を弁護士、検事らが積み上げるのだが、法廷はそこにある「真実」を証明しつくせるか?と鋭い問題提起がある。著者は小説と言う手法で真実に近づこうとするのだが………。古びたかのように思えた『冷血』には実は裁判制度の限界という現代に通ずるメッセージがある。

わたしはもっぱら小説指向だからあまりノンフィクションは読まない。これはノンフィクション・ノベルの代表作とされ、一度読んでみたいとは思っていた作品だった。
実は先月、高村薫が新作『冷血』を発表、タイトルだけではなくカポーティのこの作品と関連がありそうなコピーを目にしたものだから、いい機会だと手に取った次第。もしかしたら、高村の新作は『太陽を曳く馬』の延長線上にあるのかもしれない。そうであればこれで高村の新作を読むためのヒントがつかめたかもしれない。


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「冷血」トルーマン・カポーティ
カンザスで起きた一家4人惨殺事件。 歴史に残るニュージャーナリズム(ノンフィクション)。   原題は「In Cold Blood」。1959年11月に事件は起きた。 農場主クラッター夫婦と2人の子どもが殺された。 犯人は二人の男。 事件発生前は家族と犯人の動きが交互に… ...続きを見る
りゅうちゃん別館
2014/07/25 14:55

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