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zoom RSS 坂東三十三ケ所観音霊場巡礼 第二十三番札所 観世音寺(佐白観音) 2013年6月3日

<<   作成日時 : 2014/01/08 10:59   >>

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夢の世に ねむりもさむる 佐白山

たえなる法や ひびく松風


白雉2年(651)、狩人の粒浦氏が獲物を占うと白馬、白鹿、白雉が現れ、観音像を配したところから山号を「三白山」と称した。
鎌倉時代建保2年(1214)豪族笠間時朝が寺を襲って焼き、僧を殺したことを悔いて焼失させた本尊に代わり千手観音を刻ませた。その霊験で鎌倉幕府の咎めを逃れたという。そこで「三白」の「三」を「佐く(たすく)」に換えて「佐白山」とよんだ。




仮堂
境内が狭いし、堂宇も簡素。
戦国時代に笠間氏が滅亡すると、正福寺も衰退。明治の廃仏毀釈で廃寺寸前となるが、昭和五年(1930)現在地に移転し、近年になって観世音寺と改称した。

「仮堂」なんですね。廃仏毀釈でひどい目にあったことは大御堂と同じなんだ。

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寄り道 大石邸跡地
佐白観音から笠間稲荷へむかう途中で思いがけなく、あの忠臣蔵の大石ゆかりの地なんですね。
案内板にはこうありました。
「ここは浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の知られた大石内蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽がすんでいた屋敷跡である。浅野氏は元和八年(1622)に笠間五万三千五百石の藩主になったが、その頃の笠間城は佐白山頂近くの本丸で政務を執っていた。浅野氏はよりよい政治をするため、城下に近い台地(いまの山麓公園)に笠間城の下屋敷として御殿を建て、また笠間城下町を整え現在の笠間市街地の基を作った。笠間藩主浅野長直の家老である大石氏は御殿のすぐ下にあるこの地に屋敷を与えられていた。長直は、正保二年(1645)に赤穂へ国替えとなったが、その後の代々の笠間藩主もこの地を家老屋敷として与えていた。」
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寄り道 笠間稲荷神社
時間がなくなり大慌てで参拝しました。

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坂東三十三ケ所観音霊場巡礼 第二十三番札所 観世音寺(佐白観音) 2013年6月3日  日記風雑読書きなぐり/BIGLOBEウェブリブログ
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