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zoom RSS 京極夏彦『書楼弔堂 破曉』  明治という時代の憑き物を落とす傑作の短編集 まさしく著者の新ジャンルだ

<<   作成日時 : 2014/02/24 22:39   >>

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画像わたしは京極夏彦の作品をよく読んでいた。読んだ作品を整理するとこんな具合である。
@ 妖怪変化がもたらすかのような奇怪な事件を「京極堂」こと中禅寺秋彦が「この世には不思議な事など何もないのだよ」と見えを切って合理的に解決する推理小説シリーズ。
姑獲鳥の夏』(1994年9月)、『魍魎の匣』(1995年1月)、『鉄鼠の檻』(1996年1月)、『絡新婦の理』(1996年11月)、『塗仏の宴 宴の支度』(1998年3月)、『塗仏の宴 宴の始末』(1998年9月)、『陰摩羅鬼の瑕』(2003年8月)
A 時代としては江戸から明治まで続いた一話完結の短編ミステリー集。ひと癖もふた癖もあるワルたちが魑魅魍魎の実態を暴いて非道を糺していくお話の数々。民間伝承を丹念に研究した作者の才がありえない話をありえそうにみせてくれ、心地よく騙されます。悪たちの仕掛ける珍妙な道具立て、罠が見ものだ。
『巷説百物語 』( 1999年10月) 続巷説百物語』(2001年5月)、『後巷説百物語』(2004年2月)、『前巷説百物語』(2007年6月)
B 著名な江戸怪談(山東京伝『復讐奇談 安積沼』、鶴屋南北『東海道四谷怪談』)のアウトラインはそのままであるが、江戸時代の庶民心理というよりは暗に現代人の複雑に屈折した精神を描いた文芸作品でした。
『覘き小平次』(2003年6月)『嗤う伊右衛門』(2003年11月)

まぁよく読んだものだとわれながら感心しますが、それぞれのシリーズが食傷気味になったのですね。2003年11月『嗤う伊右衛門』を最後に以降ご無沙汰が続いていました。

「ショロウ トムライドウ ハギョウ」、表題からしていかにも京極夏彦風ではないか。普段使わない漢語の組み合わせは難解であるがゆえに謎めいていて、またこの世のものとは思われない妖しさが立ち上っております。京極夏彦健在であるか?!「新シリーズ」とあって久々に読んでみようかと手に取った次第です。私の見立てでは新分野の開拓は大成功しております。

文中に「今は慶応元年から27年後」とあって舞台は明治25年と推定した。
「破曉」とは「The break of dawn」=明け方であり、明治という時代性をさすのか、あるいはシリーズの開始を表明しているのだろうか。
とにかく、小説の題材として「明治」は新鮮なのだ。で、このところ「明治モノ」の小説は読み応えのあるものがどんどん出ている。

辻原登『円朝芝居噺 夫婦幽霊』、;水村美苗『母の遺産』はいずれも明治期における日本近代文学の形成プロセスを語っている。木内昇『漂砂のうたう』 『ある男』は「維新」という急変についていけなかった人物群像を描いた傑作。今回の直木賞受賞の朝井まかて『恋歌』も遅れた人々の悲劇だった。
そして、『書楼弔堂 破曉』はこれらの作品と共通している。
古今東西の書物が集う墓場。移ろい行く時代の中で迷える者達。誰かが〈探書〉に訪れる時、一冊の虚(うそ)は実(まこと)になる。明治20年代の本屋が甦る、新シリーズ! ――立ち止まって眺めるに、慥(たし)かに奇妙な建物である。櫓(やぐら)と云うか何と云うか、為三も云っていたが、最近では見掛けなくなった街燈台に似ている。ただ、燈台よりもっと大きい。本屋はこれに違いあるまい。他にそれらしい建物は見当たらないし、そもそも三階建てなど然う(そう)然う(そう)あるものではない。しかし到底、本屋には見えない。それ以前に、店舗とは思えない。板戸はきっちりと閉じられており、軒には簾が下がっている。その簾には半紙が一枚貼られている。近寄れば一文字、弔――。と、墨痕(ぼっこん)鮮やかに記されていた。
6つの短編集で狂言回し役となるのは旗本高遠家の坊ちゃん旦那、35歳です。いわゆる高等遊民とはこういう人をいうのでしょう。思想もなければ主義もない、妻子を屋敷に残し、親の遺産で食いつなぎながら、唯漫然と気ままな一人暮らしで、しかも退屈している。(市川右太衛門の旗本退屈男は勧善懲悪であったがね。)ユーモア小説には欠かせないキャラクターでして、知的なおとぼけが実に可笑しいのであります。

「書楼」とは、大辞林をひいても出てきませんが、「本屋」のことでしょう。書物とは、それを記した人の生み出した、まやかしの現世、現世の屍である。屍を弔うとは供養でありそれは読む人を生かすことだ。ゆえにこの書楼を「弔堂」と称する………と牽強付会とも言える妙な三段論法で高遠旦那と読者を煙に巻くのがここの主人・元僧侶が還俗した古本屋。「人にはその人生にふさわしい本が一冊ある」というもっともらしい原理論をふりかざし、探書に訪れるひとたちのためにその一冊を探し当てるのだが、実は迷える文化人の心の奥底を見透かし、まるであの中禅寺秋彦を彷彿とさせる憑き物落とし的論法にて、たちどころに迷いを払い落としてしまいます。この痛快さには痺れます。

6篇のどれもが高遠旦那の世迷言ではじまり、さらに彼の見聞きする風俗描写がえんえん続くものだから、なかなかストーリーの本筋は見えてこない。ところがこの無駄な贅肉みたいなところで、読者は浮世の不条理に四苦八苦する凡人を観てとる。自分も同じじゃぁないかと、おもわずニヤリとするものがあって、もちろん退屈させるなんてぇことはありません。
思いがけない著名人が多数登場!!!まだ大成していない段階の迷える文化人で、弔堂の説教に覚醒させられ、やがて世に名をあげていくという筋道になっております。ここでその文化人の名前を上げることはやめます。もしかしたらこの人は後の○○○○ではないか………と見当をつけながら読み進む楽しさがあります。

明治という時代は「万物流転」と「万古不易」、対立する二つの原理が命がけで綱引きをやっていたんだ。
彼らはどんなところで行き詰っていたのか?
ひとことでいえば「不易」と「流転」の狭間で窒息している。「明治という時代性」の重圧である。
文人たちを悩ませている「憑き物」とはこの明治の時代性なのだ。
ずばり正鵠を射た視点。京極夏彦の博覧強記は本物だと思いますね。

迷妄より理性が勝利した御維新後に幽霊は存在するか。
幽霊は否定されるべき存在か。
真実というものを言葉で表現できるか。
合理主義を貫徹することでなければ近代人にはなれないのか。
口語新文体の小説は当世風で落ち着きがない……と思う心は旧弊なのか。
明治期における和魂洋才とは。
東洋的価値観は正しいあり方に反するか。
東洋的価値観で列強との競争に勝てるか。
罪刑法定主義と道徳観の懸隔。
神仏と儒教、廃仏毀釈、耶蘇教とは。
倒幕・佐幕と維新戦争と「正義」の組み立て。
ファンタジーから児童文学へのプロセス。
陰陽師・神主のなす詐術の実態………等々。

このように、かなりシリアスな文明論、文化論、文学論、宗教論、哲学を展開するわけですが、通り一遍の教養ではこうはいかない。しかも、「諧謔と悪戯にみちた虚構」と自らを笑い飛ばすようなところがあって、本著を本物のユーモア文学になぞらえている。京極夏彦、黒衣とか白衣とか伊達装束で見栄を張るが、これはけっしてみせかけじゃぁない。

なるほどもっともだと、弔堂のご高説が腑に落ちるのは悩み深き文化人だけではない。現代を生きているわたし自身、合点がいく。なにせ小気味のいい三段論法が弔堂の持ち味だ。いや、三段程度の飛躍ではないな。真央ちゃんの8トリプル級超絶ジャンプだな。あれよあれよと翻弄され、魅了され、実は理性ではなく、感性のなせるがままに結論に導かれるのである。「なるほどもっともだ」と読んでいる間は合点がいくのであるが、しばらくすると「どうしてそういう結論が出たんだっけ?」とぼんやりしてしまう。
わたしは霊場めぐりの際に般若心経を唱えるのであるが、はてその心は?と、般若心経の解説書を読む。読んで「解かった」と思うのも束の間、すぐにその論理を忘れてしまう。同じなのだ。とんでもない飛躍があるんです。しかし、このマジックに引っかかるからこそ、楽しみが倍加してくる。結論はどうでもいいじゃぁないですかと、余裕の気持ちで向かい合ったらいい。

「明治モノ」が読み応えあるのは、とどのつまり、それが現代をなぞっているからだ。科学の発展=合理主義の貫徹により未曾有の経済繁栄を実現したのが現代である。物質的繁栄が幸福をもたらすことは否定できない。この西欧流の思想を取り込んでこその明治維新であった。しかしその流れに乗れない人がいた。乗らない人がいた。日本的感性があった。人間社会は人と人との関係で成り立っている。幸福の立脚点はそこにある。外部環境の変化に関わらず変らない、あるいは変りにくいのが人間関係である。物質的繁栄は人間関係を悪化させる元凶でもある。
情・理は混沌として………ではわれわれはどう生きるべきか。
明治も今も勝負の見えないこの綱引き状況は変らない。

小説家は腕を振るってこのカオスにメスをいれる。
その切り口と読者が向き合うならば読者の心になにかが立ち上る。

弔堂は
「カオスはカオスとして受け止め、のらりくらりと生きていくしかないだろう。黒白の決着などつけようがないじゃないか。決着がついたらお仕舞だ。この世は未完です。」
と語りかけているようにわたしには思えた。

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