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zoom RSS 神田川遡行 その二 水道橋から江戸川橋      

<<   作成日時 : 2014/07/24 18:36   >>

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水道橋から江戸川橋まで外堀通り、目白通り沿いに進みます。
神田川は途中から江戸川と呼ばれました。

東京都水道歴史館
神田川に興味のある方ならに逃すことが出来ない展示施設です。江戸の上水井戸や木樋、開削の歴史など他ではお目にかかれない模型や解説があります。今回もここで小休止して、出直しました。

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水道橋には江戸名所図会による由来が銅版で埋め込まれている
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飯田橋交差点までは、引き続き神田川の北側沿い、外堀通りを歩く。

後楽橋 小石川橋あたり
外堀通りの北側は水戸藩の江戸屋敷跡で、遊園地、球場、ホテル、小石川後楽園などゆかりの施設が一帯を形成している。
小石川橋の北側に小石川後楽園は位置する。大洗堰より取水した神田上水を水戸藩江戸屋敷へ引き入れ、これより江戸市中へ暗渠にて供給していた。

寄り道 小石川後楽園を桜の時期に訪ねた懐かしいアルバム


12 後楽橋  13 小石川橋
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小石川橋より下流を振り返ると……… 
左に先ほど通過した後楽橋が見える。
そして右手前に流れがあるが、これは神田川を分流した日本橋川として新しい流れを作っている。日本橋川の起点になる橋がここに見える三崎橋。
「日本橋川散策」というテーマにも再チャレンジしよう!
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飯田橋交差点
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神田川を遡行していくとこの飯田橋交差点はもっとも間違いやすいポイントではなかろうか。五叉路に複雑に歩道橋が絡む。神田川はここで外堀通りを離れ大きく北へ方向を変える。神田川にかかる橋は外堀通りをわたす船河原橋なのだが、ここは歩行禁止になっているので人はわたることが出来ない。歩道橋はあるのだが、肝心な橋名がついたプレートがみつけにくい。実は「飯田橋」 とは 「神田川」 に架かっている橋だと勘違いしていた。「飯田橋」は目白通りが外濠をわたる小さな橋なのだ。

14 船河原橋
古地図を見ると水道橋からこのあたりまで、市兵衛河岸と呼ばれていた。物資の集散地であったのだろう。
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ここからは風景ががらりと変る。
神田川は目白通りに沿って流れがある。
目白通りにようやく人が歩ける歩道があるがそこを歩いていく。
船河原橋から江戸川橋までは首都高5号線(わたしがよく使う高速道)の高架真下を流れる。陽もあたらない汚水のような流れだ。流れというよりは澱みである。
これに沿って歩道があるのだが臭い。所々に回収された廃品が山になっている。

15 隆慶橋  16 新隆慶橋  17 白鳥橋  18 新白鳥橋
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隆慶橋は古地図では「竜慶橋」とある。
新隆慶橋の目白通り側には首都高5号線の入り口がある。しばしば利用しているにもかかわらず視点が違うからだろう、初めて見るような気がする。
白鳥橋付近は神田川が西へ大きく方向を変えるところで、「大曲」と称する。
新白鳥橋は目白通りからの一方通行の車道だ。

トッパンビル
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このあたりは昔から印刷、製本、出版業、本流通と紙関係の企業が多い
文京区側にトッパンビルがそびえ、南にはトーハンが本社を構える。

19 中ノ橋  20 小桜橋  21 西江戸川橋

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引き続いて高架下の澱みと付き合いながら………写真手前より中ノ橋、小桜橋、西江戸川橋。昔は風光明媚だったのだろう。
中ノ橋は無名であったが、下流の隆慶橋と上流の石切橋の間にあったことからこの名がつけられたという。
明治の中期から末期にはこのあたりの両岸に桜が植えられ、「東京江戸川の櫻」として東京市内屈指の桜の名所であった。
古地図にはこの川を「江戸川」と記す。上流を「神田上水」、関口から飯田橋までの中域を「江戸川」、下流を「神田川」と呼んでいた。

22 石切橋 
かつてこの橋の周辺に石工が住んでいたことからその名がついたともいわれているが、定かではない。明治中ごろにはこの付近でもっとも幅が広い橋であった。もとは「江戸川大橋」と呼ばれていた。 
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ここ江戸川は桜の名所であったばかりでない。明治以降戦前まで鰻問屋が江戸川河畔に軒を連ね、生簀に飼った天然もの養殖ものを東京市中に出荷していた。鰻の名所でもあったのだ。江戸期に著名な蒲焼屋が多かったため、明治になって鰻問屋が進出し、問屋街になったらしい。

寄り道 うな重を食す


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江戸前のうなぎやは看板に「鰻屋」とか「うなぎ屋」とか煩わしい表示はしない。ただ「う」と記すのである。石切橋の北詰にあるこの「う」の老舗は「石切橋 はし本」。仕舞うた屋風な造作が粋である。グッドタイミングに一席だけ空いていたので滑り込んだ。25分たっぷり待たされる。待つのは常識なのだが、その分うまい。3,600円はいまどき安い。この間に肝焼きをつまみに銚子の一本をいただけばなおよかったなぁ。隣のお馴染みさんがそうしておられた。天保6年 1835年創業だそうだ。江戸川沿いで、江戸時代からいまにつづく「う」は、いまや石切橋の「はし本」ただ1軒しか残っていないそうだ。

23 古川橋  24 掃部橋  25 華水橋
流れの風景は単調である。
ただこのあたりから、護岸壁に接していた道路に変り、川に隣接した民家が立ち並ぶようになる。その民家の庭から樹木の緑が川面に張り出してくる。泥の川から河らしくなってきた。
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26 江戸川橋
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これから先、風景は一変する。






より大きな地図で 神田上水・神田川散策マップ を表示


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