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zoom RSS 神田川遡行 その十 佃橋より夕やけ橋

<<   作成日時 : 2014/12/19 23:11   >>

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画像柳橋を皮切りに真夏の7月からスタートした神田川遡行であるが、今や暦の上では冬だ。11月19日、川沿いはすっかり晩秋の色に染まっている。高井戸駅で下車し、青空にそびえる杉並清掃工場のマンモス煙突を背にして源流へ向かう。4キロメートルの間に橋が20もある。宅地化の進行に伴い近隣の要請から増設していったのだろう。それぞれの橋には個性もないし、興味を引くエピソードもない。秋色の遊歩道、多様な川床の意匠をもっぱら楽しむとしよう。
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119 佃橋→120 あずまばし→121 やなぎばし→122 錦橋→123 むつみ橋
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「あずまばし」「やなぎばし」親柱のネームプレートは4隅ともひらがなだけで書かれてある。どこにでもありそうな名前がこれからも続く。
神田川にある柳橋はこの「やなぎばし」で三つあることになる。スタートの柳橋と75番目。
赤茶けて吹きこぼれた枯葉が川の淵にたまっている。

「やなぎばし」からしばらくは右手に集合住宅が並ぶ。高井戸西一丁目アパート群。

錦橋
流れは清らかになってきた。鯉が泳ぎ鴨が遊ぶ。
体操する人、ランニング、ウォーキング、買い物の自転車、子供づれ、川のある生活の一部だが生き生きとしている。

むつみ橋
町の人々の生活の一部でもある神田川なのだろう
川床のデザインには心和む工夫が加わり、その変化を楽しむことにする。 

124 あかね橋→125 高砂橋
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神田川は京王井の頭線と並行して流れる。

高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり
………夫婦和合の高砂だとは思えども、それがどうした?

126 月見橋→127 清水橋

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月見橋から清水橋までの右側は京王電鉄車両の引き込みゾーン(富士見ヶ丘駅検車区)が広がっている。
左手は久我山運動場が流れに迫ってあるため、遊歩道は途切れる。
その途切れたところに橋が一本あるのだが名前がついていない。
どうやら検車区関係者専用の通路で「神田川の橋」とはされていないようだ。

夏に来た時、この沿道には色とりどりの園芸植物で飾られていたが、
今は数が少ない。

「久我山ホタル祭り」という都会にしては珍しい行事がある。久我山橋から月見橋までが源氏ボタルの鑑賞コースになる。そこまで流れが清くなったということです。

128 久我山橋→129 都橋→130 宮下人道橋→131 宮下橋

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川の流れを楽しみながら、大きな通りに出る。
久我山橋が渡す人見街道。
久我山商店街は夏にはホタル祭りを開催することもあるからだろう、四季折々の草花を沿道に配置している。
この季節は数が少ないが………

都橋は改築工事中

宮下人道橋とはいかめしい名前ではないか。
人道とは 人の人たる道?
そうではありません
難しいことではない 車道に対する人道という意味だった。

「宮下橋」とはお宮さんの下にある橋という意味だろう。
久我山村(くがやまむら)の古来からの鎮守である「久我山稲荷神社」が橋の北側にあった。
ちょっと寄り道してきましょう。


寄り道 久我山稲荷神社
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創建の由来は詳らかでないが、古来からの久我山村の鎮守であった。
戦後開けた住宅地とは言え、昔から人の暮らしがあったのだ。

境内に面白い碑があった。
明治32年氏子が奉納した金玉均(朝鮮李王朝末の政治亡命家)の手蹟を刻んだ「人心同}の碑があるこの碑は久我山村に埋めれて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門の父を思う心に金玉均が強く心をうたれて書いたものだという。

ユーモラスな力石
明治、大正時代、村の若者がこれを担ぎ上げ、力を競って楽しんだものです。石の表にはその重さと担ぎ上げた人の名を刻んであります。古来病人のある時、これを持ち上げれば全快するとした「石占い」に由来するといわれています。この医師の重さは12キログラムあります。

湯の花神楽
昔疫病が流行し多くの人が死んだが、この神楽を奉納することで防ぐことができたと伝えれれている。湯立行事と言って大釜の熱湯を小笹ですくいとり、滴を全身に浴び、無病息災を祈念するものです。

132 緑橋→ 133 みすぎ橋→134 神田橋
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神田川の流れは杉並区から三鷹市に入る。
みすぎ橋とは「三杉橋」で三鷹と杉並の境を表すのだそうだ。

水草の間を縫って細い川筋をくねらせた川床の細工はなかなか魅力的だなぁ。

 →135 丸山橋
川面の移り変わりに魅せられながら左手の遊歩道を進んでいくと
おやおや川は突然に井の頭線の下をくぐって見えなくなりました。
川の上、コンクリートでできた橋を電車が通過します。
ただし、これは「神田川の橋」には属さない。
遊歩道が途切れたのでいったん商店街へ入り三鷹台駅前にでる。
ここには丸山橋があった。
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丸山橋の向こうには井之頭の森が広がっていた
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丸山橋から136 神田上水橋、137 あしはら橋へ暮れなずむ森をそぞろ歩く
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138 夕焼け小焼けの夕やけ橋
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カラスと一緒に帰りましょ
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詳細はアルバム デジブックをご覧ください




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