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zoom RSS 新・神田川遡行 8 東京都水道歴史館、神田明神

<<   作成日時 : 2015/05/03 18:07   >>

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画像江戸を知るには神田川を知らなきゃならぬ。神田川を知るにはまずは東京水道歴史館である。

[江戸っ子は水道水で産湯を使い」
とそれが江戸っ子の自慢だったそうだ。映画でみる庶民の長屋風景には井戸端が出てくるが、あれが掘り井戸ではなく水道の出口に当たる井戸だと知ったのは最近のことだ。

江戸の町に住む人たちの飲料水は水道により運ばれていたのだ。。

その水道の一つに神田上水があるのだが、そのルートは?

井之頭池から関口までは野方堀と呼ばれた開渠の堀。関口から水戸屋敷までも開渠の堀で、こちらの方は白堀または素堀と呼ばれ両岸には石垣が築かれてあった。水戸屋敷に入った上水は邸内の飲料水や生活用水及び庭園の池水に使われ屋敷を出る。水戸屋敷を出た上水は暗渠の石樋を流れ、御茶ノ水懸樋で神田川を渡り、暗渠の木樋によって武家地や町人地を給水していた。給水を行うために樋と枡を使って、水道網を形成していた。


参考 アルバム 『外堀・神田川散策』

デジブック 東京水道歴史館見学』



神田明神・神田神社
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大己貴(おおなむち)命(大国主命の別名)を主神とし、相殿(あいどの)神として少彦名(すくなびこな)命をまつる。社伝によれば,730年(天平2)武蔵国豊島郡芝崎村に大己貴命をまつったのが当社のはじまりという。徳川家康が江戸に入ると、翌1591年(天正19)江戸内に30石の神領を寄進した。1603年(慶長8)江戸城改築に伴い神田台に、さらに16年(元和2)現在の外神田に移った。徳川秀忠はこの神田明神を武州の総社とし、城下の総鎮守として篤い崇敬を寄せた。1872年神田明神を神田神社と改称。大祭は5月15日(もとは9月15日)。神田祭と称されるこの大祭は,日枝神社の山王祭とともに,江戸の代表的な祭りといえる。山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われる。

とこれは平凡社の世界大百科の解説抜粋だがそんなことよりは平将門を祀ってあることが有名。
承平5年(935年)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。

明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰した。現在は神社本庁の別表神社となっている。
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明神様裏に神田明神下に降りる急な階段がある。そこには焼き鳥屋「瑠漫」があるのだが今日はここで反省会を行う。

神田明神下といえばその長屋に住んでいたのが、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次。神田明神の敷地内に銭形平次の碑がある。

神田川逍遥会の第一回はここで終わりにしましょう。



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